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春の陽気な気がしましたが、花粉のおかげか爽やかさのない一日でした。

私は花粉症ではないですが、アレルギーではあります。
花粉症と何が違うんだと言われれば、花粉症の症状がひどくないのですが、いつの間にか鼻詰まりになっていたり、のどがイガイガしていたりして、顕著な症状がわからない場合があります。

結構、不健康ですが自覚症状がないのが良くないところですよね。

アレルギーって腸内環境を改善すれば良い、っって聞いたことがあります。

だから、毎日ヨーグルトを食べています。
前にも(随分前)にも書いていますが、ヨーグルトはダイエット効果にもなります。
おすすめです。


話は変わりますが、
「やらない言い訳」する人ってなんでしたくないんでしょうか?

ルーティンワークだから?
言った人が嫌いだから?
自分を曲げたくないから?

生霊にも言っているんですが、「やらない言い訳」する人って「考えてるふり」なんだと思います。
どう考えても、やる「べき」事を教えているのに、しないままでいることが正しいと思っている。

因みに私は「べき」論は必要ならするべきだと考えています。

例)いちごのヘタは取る「べき」

とかいう話で、これに多様性も何も無いと思うんですよ。

ここから生霊話です。
閲覧注意です。





私は健康に生きているし、病院通いもしています。
生霊ってどこかが悪い人たちだと思っています。
もう昇天しかけていますから。

おそらく高血圧な人多そう。
睡眠不足、暴飲暴食、運動不足。

だからこそ、自分の声以外が聞こえてきたら、ちゃんとした生活習慣に変える「べき」だと思うんです。
昇天しかけていますから。

それをやらない人って多くいますが、「べき」なんです。
健康のためにも、生霊の世界では誰かのためにも。(眠たい人って覆いかぶさって体重を預ける奴がいるんです)
そこに、良い訳っていらないと思うんです。

例えば、
痩せたい。
忙しい。
疲れる。

そこに「妥協案」とか必要ですか?
「考えてみれば..」とかする必要ありますか?
無いんですよね。

自分のことだし、生霊の世界では他人のためでもある。(現実で出来ないことを見えないからといってやる奴がいるんです=オカルトヤンキー)

確かに、現実本当に忙しくて出来ない人もいるかも知れませんが、そこで「妥協案」が出てくるんです。
しかし、その「妥協案」は寝るためにあるし、食べるためにあるし、運動するためにあるのであって、それらをしなくて良い「免罪符」ではないのです、
オカルトヤンキーたちは「免罪符」を振りかざすことが多いです。

「やらない言い訳」とはこの事です。
「やりたくない」から「免罪符」が思いつくのです。
でも、それってやる「べき」なんですよ。
考えていてもしょうがないことなんです。
でも、「やりたくない」んでしょうね。

そんな悶々としたエゴイストでは悪い方向にいきかねないという話は、後日します。

なんでそうなるのかなぁ。。

と思うことが多いです。
言葉は同じでも、実際の行動が違ってくるんです。
面白いですよ。


長々と読んでくださり、ありがとうございます。
また読んでくださいね。