LGBTに関しては『お好きにどうぞ』と言うのが僕のスタンスです。
でも積極的に賛同はしておらず、寧ろ反対です。
ですけど会社経営の上では多様性が要求されているので受け入れざるを得ない。
でも感情論だけで言えば受け入れたくはありません。
『LGBTを攻撃はしませんけど採用もしません』と言う権利はないのだろうか?
逆の立場で言えば『聖書の教えを信じる権利を認めてはくれないの?』とも言えると僕は思っている。
何だかLGBTを受入れろと言う圧力が強すぎる気がします。
ですけど妊娠中絶には肯定的なんです。
産まない権利があっても良いと思っていて、それは社会の変化に順応した方が良いと思っている。
例えば大学生が妊娠してしまった時に中絶と言う選択肢がないと大学さえ通えない。
勿論、妊娠しないような配慮は当然するべきで、その甘さは大きな罪だとは思う。
聖書の教えに則ったら中絶は教えに反します。
一番弱い存在であるあかちゃんの命を奪う行為ですから聖書は許さない。
積極的な訳ではないけど、その様な選択肢があった方が良いと思う。
極端な例だけどレイプされた妊娠に中絶を認めない方が優しくないと僕は思います。
様々な考え方があっても良い。
勿論、差別や犯罪を”様々な考え方”とは思わないけど、LGBTに関しては個々の考え方が尊重されるべきで、『絶対にLGBTを受入れるべき!』は何か異常な気がする。
『お好きにどうぞ、でも私は肯定はしません』の何が悪いのだろうか?