コロナでほぼすべての仕事が
止まってしまったのと同時に
がま口作家を目指して
大阪のバッグ教室に通っていた。
その学校が4月からは生徒さん不足で
教室がなくなってしまい、
今は9月から開講されるかどうかの
判断待ち状態。
コロナになった時、その時間を絶対に
何かの役に立てようと思ったのだ。
全国ガイド試験もそうだったのだが、
こちらはみごとに弾き飛ばされてしまった。
でも、このチクチクだけはなんとか
続けてこられた。
それもこれも、国からの援助があったからだ。
でないと、難しかったに違いない。
なので、他の人がどういおうと、
時の政権、安部さんにはものすご~く
感謝している。
実は、亡くなった時は泣いた
今、娘は働いてくれているので、
学生時代と比べると雲泥の差ぐらいに
楽になった。
でも正社員ではない給料では独立するまでには
いたらない.....
その分、生活費を頂戴してはいるけれど
やはりこちらの負担は大きい。
精神的にも、なれ合いになってはいけないと
生活費は今後も、値上げはあっても
廃止にはしないつもりだ
こうしてお互いの独立国としての
権限を保って、娘には寄りかかりすぎず
私に対しても寄りかかられ過ぎないように
したい、と思っている。
ところで、私の生きる方針としては
世俗的だけれど、
「習ったことはお金にする!」だ。
フランス語も、まだ”ア~ベ~セ~デ~”の
レベルからすでに、
”フランス語でお金を稼ぐ”を目標にしていた。
何故か。
当然、習うのに費用も時間もかかったからだ。
それに、そう思っていると、熱の入れようが違う
この前、”フランス語の悩み相談会”に参加したのだが、
なんとなく検定に合格したい、と思っている人が
多い。
いや、それでもいいんだけれど、何かそこにもっと
具体的な目標やら目的がないように思えたのだ。
まあ、自分も人のことはとやかく言えない
立派な年収でもなければ、国の支援で
なんとか生きながらえてきた人間だから
バッグの教室では、ほんまに不器用で
クラスで一番出来が悪い生徒だった。
先生から何度となく呆れられた...
”これは基本的なことですよ!”とも
使っているミシンは、もう40年も前に
母が積立預金を崩して買ってくれたもので
重い上に、”整備してほしい~”という声が
聞こえてきそうなくらい。
なので、どうしようか迷ったのだが、
つまりまだ技術的には未熟だし、
プロとしての装備もないのに
もう去年からいっぱしの”作家”として
販売し始めた。
まだ”お金を稼ぐ”という段階ではない。
本当は、売れば売るほど赤字だ
それでも、やっぱり売れると”嬉しい”し
やってきてよかったと思う。
今のところ問題は、1点作るともう
飽きてしまって、同じものを作る気力が
なくなってしまう、ということ
なのでつねに作品の在庫は1点しかない
それに、作り始めると、それだけに集中してしまい
食事作りはおろか、試験勉強やらができない
仕事の時間も削ってしまいそうになる。
なんとか、そこを上手く調整して、できれば
たくさんの人にお届けできるように
精進したいと思っている.....
”稼ぐ”ことはできなくても.....
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