昨年の12月に2週間という長い間、

研修通訳という大役をいただいて、毎日

2時間半かけて大阪のお山にある工場で

働いていたことは、この前も書いた。

 

傍で工事中の道路でトラックの交通整理を

なさっていたおじさんと出くわした時、

「この辺りは一面、川と山しかなかった」と

話してくれた。

 

いかにも新興住宅という感じの住宅地と

工場やら、倉庫が立ち並んでいて、本当なら

野生の動物が生息していたんだろうと思うと

胸が痛んだ。

 

もういい加減、こんな昭和時代の開発は

やめてほしいと思ったりする。

せめて、山の木々や川くらいは残してほしい....

 

通っていた工場も、建って間もない感じの

立派な建屋で、新築独特の香りがまだ残っていた。

セキュリティー対策のためか、ミーティング室に

入るのも、社員証の読み取りなしでは入れなかった。

 

社員証を持っていない私は、いつも廊下で

誰か開けてくれるのを待っていたアセアセアセアセアセアセ

 

私の担当者は若い女性の方で、いかにも

仕事ができるシャキシャキっとした感じの営業マン。

 

「若いのにしっかりされていますね」と、

私が昭和の日本人男性にいうと

彼は

「彼女が何歳なんか知らんなあ。

今はそんなことをいうとセクハラやから」

と返した....

 

なんか、それってそうなん?と感じたのだが、

そうなんかな....

一緒に働いてる女性社員の

年齢を聞くのってセクハラ?

 

まあ、ドラスケのことはもういい....

 

とにかく、

英語もバリバリにできて、だいたい英語で仕事が

できるのに、わざわざフランス語の通訳を雇う意味が

あるのかな...と思ったくらいだ。

 

ただ、正直に言えば、彼女と話していた時に

感じる違和感があって、それが最後まで何かよく

わからなかった。

 

はっきりしていたのは、コミュニケーションが

ブツブツと切れてしまう、それも結構、前触れもなく

乱暴にぶちっと切れてしまう、ということだった。

 

でも、彼女はまったく気にも留めていないようで

私のことは眼中にない、のも感じられた....アセアセ

 

”何かな?”と思っていたモヤモヤは、研修が終わる3日前

くらいにようやくわかった。

彼女は中国人で、あの会社にやとわれて

日本に来た女性だった。

 

あんまりにも日本語のアクセントがきれいだったので、

日本語を話されていたときに気が付かなかった....もやもや

 

それで私が感じていた「モヤモヤ感」の理由が

分かった気がしたのだった。

 

決して中国人だから、というつもりはない。

フランスで生活した時も感じたことだが、

日本人のコミュニケーションには独特なものがあって

シナプスが長くて、しかも360度に回転する。

(個人的な見解ですもやもや)

 

反対にフランス人のシナプスは超短い!アセアセ

(個人的な見解ですアセアセ

こちらが精いっぱい伸ばしても届かない....

 

もう一言、情報をもらえると助かるのに....と。

よく痛感した...


とにかく......

お山の工場では、

彼女だけじゃなくて、ベトナムやらタイやら

インド、アメリカからやってきて働いている

人たちがたくさんいることに、ようやく気が付いた。

 

しかも、今や外国人の労働者は、日本企業の

中枢で日本企業のために働いていることも

ようやっとわかったアセアセ

 

アメリカ人がベトナム人と、ツトツトと日本語で

話されているのを見ると微笑ましくて嬉しくなる。

(しかも2人とも英語が堪能なのに)

 

でも、ということは、これから日本の若い人の

就職活動は、こうしたハイレベルな外国人とも

競い合ってポストを確保しなければならないんだな....

かなり厳しいかもしれない.....もやもや

 

お山の工場で朝8時から働いている

外国人たちのことは、今でもよく思い出す。

シャキシャキとした営業マンに、どこか

日本人のようなベトナム人の女性、アメリカ人や

みるからにインドから来ましたっていう設計者たち。

 

彼らも毎日、社食で定食を食べ、シャトルバスに

乗ってるかな....

 

もしかして、これが黒船になって、

昭和の時代を引きずっているように

感じられた日本企業も内部から

変わっていくかもしれない。


いや、変わってほしい...

 

どうかそれが、多少の犠牲はあっても

よい方向に向かうことを

心から願っている.....。

 

 

 

↓京都の大徳寺のお庭です。

 ここは人も少なくて、落ち着いたところです。