今年はなんという始まりなのだろう....

そう感じた人も多いと思う。

 

空港の事故では、いろいろと

取りざたされてはいても、

 

とにかく

何百人という乗客が無事に避難

されことは喜ばしく、また

日航機事故のような凄惨な結果に

終わらなくて、

本当に良かったと思っている。

 

もちろん、亡くなった方もいて、

お名前を発表するテレビは見られなかった。

あの人たちの背後に、たくさんの

家族の悲嘆や後悔、慟哭がみえるようだ。

 

ただ、地震に関していえば、

自分自身としては、まったく

ふがいなく、なにもできなかったことを

告白しなければならない。

 

地震当時、私は娘の仕事の都合で

前日の大みそかから大阪のホテルの17階にいた。

 

そこで年始明けに納品予定の仕事と

格闘していたのだ。

わけのわからない論文にき~となりながら

ポチポチ入力していたときに

大きな地震の揺れを感じた。

それでも大阪は震度4程度だった。

 

それが17階となると、

 

揺れる揺れる.....アセアセアセアセアセアセ

 

おそろしほど揺れた.........

どのくらいだったのか、よくわからない。

揺れるように設計されているとは

わかっていても、

17階という高さが恐ろしくて、

頭真っ白、何も考えられなくなった。

しかも揺れが長い!

 

にげよう!アセアセ

 

そう思ってエレベーターにいくと

(なんでエレベータやねん...)

韓国か中国人かな、赤ちゃん連れのご夫婦が

やっぱり不安そうにエレベータの前にいた。

(私だけやなかった....)

 

しばし、お互いを見つめ合っていた、

揺れは続いていたけれど、最初ほどではない。

 

そうすると、旦那さんの方が

非常階段をさがしてくれた!

 

つづいて奥さんに私と降りて行った。

そうして降りていく中、

奥さんが私に順番を譲ってくれて

私を先に行かせてくれた.....!!

 

あなたには赤ちゃんがいるから、と

途中で先に行ってもらったけれど、

彼女の気持ちが嬉しかった.....。

 

そうこうしていると

 

23階で火災発生、緊急避難!アセアセアセアセアセアセ

 

という自動音声の放送が流れた!

 

え! うそやろ.....

 

よくまあ落ちなかったな、と思うほどの

勢いで降りていく途中、ホテルのスタッフさんで

若い男性が反対に階段を上ってきた!

 

”火災ってほんとですか?”と聞いたのは私だ。

(まったく自分のことしか考えてないアセアセ

 

にっこりして

”まだわかりません、これから確かめに行きます!”と

答えてくれた。。。。もやもや

そのままものすごい勢いで登っていく彼を見ていた。

 

”そんなもんいいから、一緒に逃げましょう!”

 

.........と、どうして言えなかったのか......

せめて”気を付けて!”くらいは言えるやろ!

 

今でも後悔しきりで自分が嫌になる.....

 

あほ!

昭和のおばはん、役に立たずもやもやもやもやもやもや

 

そしてワールドトレードセンターで亡くなった

消防士さんたちを想像した。

彼らも階段を上って行った数少ない人たちだったと。

 

人の使命感が輝いて見えるのは、

こんな最悪の状況なんだな、と身に染みる。

本当に感謝の念でいっぱいになる。

 

私と外国人の奥さんは赤ちゃんを抱えた旦那さんの

速さにはついていけず、はなればなれになってしまった。

私たちは一階まで降りたのだが

 

だんなさんは2階のフロントに避難されたようだ。

携帯電話で連絡を取られているのを見て、

自分はなにももってこなかったことに気が付いたアセアセ

 

そう、携帯電話も上着もなく

薄着の着の身着のまま...アセアセもやもや

 

今まで、何十回と避難訓練をしてきて、

この体たらく......

ほんまに使えん昭和のおばはんに

なりはててしまって情けなかった。。。。。

 

わたしにかまわず、だんなさんの所に

行ってくださいとつたない英語で伝え

ひとりで座っていたところ、

 

火災はない、という知らせが入った.....

 

良かった....あのスタッフさんが

確かめてくれたんかな、

彼が無事やとわかっただけでも慰めになった。

 

しばし、ぼ~としている私の隣に

座られたのが熊本から大阪に来ていた

ご家族連れだった。

 

一気ににぎやかになった。

 

彼女たちは23階にいたそうだ。

17階でもあんなに揺れたのだ、

23階はというと

たってもいられなかったそうだ。

(経験したくない...)

 

でも、熊本の人たちは陽気でにぎやかで

一緒にいるとほんとに心が和んだ....

 

薄着のわたしにコートまで貸してくださって、

ほんとにありがとうございました。

今となっては、こちらでお礼を言うしかない....

 

熊本でも大きな地震があった。

その時も、もうあかん!と覚悟されたそうだ....

でもそうして余震にも慣れてしまうと、

地震の震度がどれくらいかわかるようになったと

ガハガハ笑ってらした....

 

なんかいい!!!

 

同じ昭和のおばはんなのに、私とは全然違うもやもや

 

エレベーターが動くまでしばらくの間、

一緒にいてくださったので、ほんとに心強かった。

 

私も次は、必ず誰かの支えになると心に決める!

携帯電話も持ち出す!

 

ほんとにありがとうございました!

 

ホテルはこちらでした。

何の影響力もありませんが、スタッフさんへのお礼の一部です。

 

 

 

これが元旦の初日の出でした。

こんな未来が待っているとは思いもよらなかった。

人生は一瞬一瞬を生きるしかない.....