前回の「不登校のその後⑬」までで、振り返りは終わりです。
今も、悩み、疲れ、へこんだり、上がってきたり・・・を繰り返しながら、
それでも、理解と配慮のある、自分が興味を持てる関係のお仕事に携われていることに
感謝の気持ちを抱きつつ、長女は前へ進んでいこうとしています。
でも、今までたくさん、苦しい目にあい、彼女の立場から見たら「ひどい目にあって」来た・・・ので、
いつも、最悪の可能性を想像して、そうならないようにと、自分を追い立てているようなところがあります。
親の私の前では、
「きっと今にメンタルボロボロになって、人生終わってしまうのだと思う。
そうしたら、生活保護申請して、生きて行くんだ~!」
そんな風に嘯くのです。
決してそうなりたいと思っているわけではありません。でも、そうなってしまったときでも
残された生きる方法はあるんだよ…ということを、自分に言い聞かせているのだと思います。
私が、動揺して、「大丈夫だよ。そんな心配することないよ。」って慌てて言うと、
「私は最悪の場合を想定して、リスクヘッジして頑張っていく人間なの。」と言い返してきます。
最悪のことを想定していれば、それ以上の悲惨な結果にはたどり着かないだろうから、
ショックを受けないで済む・・・という理論のようです。
私は、いつも逆で、悪いことを想定していると、現実がそれに引き寄せられてしまうから、
なるべくなりたい未来を想定して思い描いたほうが良い!と思うし、長女にも伝えるのですが・・・。
それぞれ、納得し、心が落ち着くやり方は異なるのでしょうね。
この春には、次女も大学卒業して社会人になります。
それとほぼ同時に、自宅からも離れ、一人遠いところに住むことに・・・。
長女と二人暮らしになるわけです。
でも、そこからさらに一歩進んで、いずれは、長女にも一人暮らしをして生きて行って欲しいと
思っています。いずれは・・・は、5年後、10年後などというずっと先ではなくて、なるべく早く・・・です。
だからと言って、いきなり追い出すと、パニックになるかもしれず、徐々に心の準備を進めさせ、
イメージさせていくことから…だと思っています。
母子が共依存にならないためにも、それは必要なことだと思っているし、たぶん、
長女もそう感じていると思います。
これまで10年以上にわたって、ともに社会と戦ってきたようなところがあるので、
おそらく普通の親子よりも、一体感が強いのだと思います。
いまだに、長女は、不安を癒すために、私に引っ付きたがりますし、
自分のことも、親まかせ…なんてことも多いので・・・。
20代のうちに、少しずつ親離れ、子離れ・・・は意識していかないとね。
そのあたりが、小中からの不登校だったわが子が20代半ばになった今、
親である私が考えていること・・・です。
娘の子育てを通して、私自身も、考えられないほど、成長した部分があると
実感しています。
きっと、私という人間には、必要な学びだったのでしょう。
当時は、なぜ自分だけが、こんなつらい目に合うのだろう?と、自分が被害者かの
ような気持に陥ったこともありましたが・・・。
今思えば、そんなときでも一番つらかったはずなのは、娘本人なわけで・・・。
そんなことも気づかないほど、親として未熟でした。
あの頃は、まだまだ、自分も若かったので、自分が頑張れば、現実は変えられる・・・と
漠然と信じているようなところがあって・・・。
でも、変わるべきは、自分自身だったんですよね。
娘を通して、人生を教わってきた気がします。
長らく、この不登校の振り返りシリーズにお付き合い頂きまして、
ありがとうございました。