大学3年までは、仲良しの友人たちと行動を共にし、

 

授業を受けて、試験の為の勉強をし、友達は履修していない教職課程の授業も

 

プラスして履修し、それなりに「自分が出来ている!」という自信も持てて、

 

頑張れていたんですよね、長女は。(多少例のバイトのせいで、体調が悪くなっている感じはありましたが・・・)

 

しかし、環境の変化にめちゃくちゃ弱い子です。

 

ここが、とても重要なところなんです!

 

実はこの年、私達親が、離婚という大事件がありました。

 

長女が大学3年生の時です。

 

それとともに、住んでいた家を出て行く必要があり、私と娘たち3人で

 

私の実家に身を寄せることになりました。

 

その変化も、長女にとっては、かなりのストレスでした。

 

残念なことに、私の実家での祖父母との暮らしもまた、かなり祖父との

 

イザコザがあり、私もその当時は、精神的に全く余裕のない状態でした。

 

何とか、公営住宅を当てて、実家から出て、家族3人で新生活が出来るようになり、

 

ようやくホッとした面はあったのですが、またまた、住むところが変わる・・・という大きな

 

変化でした。

 

1年のうちに2度住まいが変わる・・・というのは、特に長女のような子にとっては、

 

かなりのストレスになっていたのだろうと思います。

 

3年に上がる前の春休みにトラウマになったバイトの傷もあり、体調もいまいちだったり、

 

その上にこういった環境の変化がいろいろあり、大学生活の後半になって、

 

長女の様子は目に見えて辛そうになって行きました。

 

大学4年に上がると、理系の学生たちは、研究室ごとの卒業研究をすることになります。

 

その研究室選びは、希望者の多い研究室だと、成績順に上から決められていき、

 

長女もお友達と一緒の研究室を希望したものの、結局お友達の成績の関係で、

 

一緒のところには入れなくて、長女一人での研究室配属になってしまいました。

 

仲良しの一人もいない環境、しかも、その研究室は、成績の良い人ばかりがいる

 

なんとも息の詰まるようなところ・・・。

 

長女がこの研究室にしたのは、担当教授が、面倒見の良い方だったこともあり、

 

長女も頼りにしていたから…ということもありました。

 

でも、入ってみたら、やり方は、あまり長女には合わず、余計に毎日研究室に

 

行くのが、息苦しくて体調も悪くなってきてしまって・・・。

 

4年生になってから、全く動けないほどになってしまい、2か月程、家でほとんど寝たきり

 

状態になってしまいました。

 

そんな状態だったので、春休みにバイトも出来ない状態でしたが、4年生になって、

 

成績の良かったおかげと、世帯年収の低さで、給付制の奨学金を頂けることになり、

 

卒業までの1年間は、その奨学金を小遣い変わりにしてしのいでいたのです。

 

 

その頃、ちょうど私も、婦人科の病気が見つかり、短期間でしたが、入院手術をしなければ

 

ならなくなり、動けなくなっている長女(と次女)を残して、家を空けたこともありました。

 

 

長女の場合、別に何か特別な病気…というわけではないのです。

 

嫌なこと、強いストレスになることがあり、その状態がずっと続くと、勝手に自律神経が

 

くるってきて、体調が悪くなるのです。しんどくて動けない状態を作り出してしまうのです。

 

メンタル面の弱さは、その人の体質みたいなものですから、ずっと付き合って行かねば

 

ならない事ですね。

 

関わり方も自分なりに身に着けて行くしかないわけで・・・ね。

 

おそらく、メンタル的に苦しい思いをされている方の多くが、長女と同じように、

 

自律神経の乱れをうまく整えられずに、いわば自己免疫疾患のように、自分の身体を

 

蝕んでいってしまうという回路が出来上がってしまうのでしょう。

 

それゆえに、健康なはずなのに、つらいと訴え、動けなくなったり、気力が亡くなったり

 

するのですよね。

 

そして、たとえ精神科や心療内科に行っても、特効薬があるわけではなくて、

 

ストレスから離れ、回復するまで、穏やかに過ごすように・・・と言われるだけだったりします。

 

通常であれば、一番体調不良とは縁遠い健康を持っているはずの大学生という年代に

 

どうしてここまで体調が崩れてしまうのか?、親の私でも、あまりピンとは来ない事でした。

 

そんな体調不良の中で、出来る限り長女は卒研にもかかわってきたし、担当教授に

 

相談もして、アドバイスももらっていたし、教職課程の単位履修の為、教育実習にも

 

行く必要があり、そこでも、少し配慮を頂きながらも、なんとか実習をこなしていきました。

 

それはそれは、大変な状態だったのだろうと思います。

 

卒研では、出席日数が、足りるのかどうか…非常に心配でしたが、何とかOKも出て、

 

無事卒業は認定されることに。教職の免許も取得できました。

 

でも、ご想像通り、就職活動と言われるものは、全く取り掛かることが出来ず、

 

友人たちがどんどん決まっていく就職先を横目に、そのプレッシャーもあって、

 

さらに体調が崩れる…という悪循環でした。

 

不登校だった中学時代と変わったことは、それでも、「なぜそうなるのか?」

 

「どうすれば、最悪の事態を回避できるのか?」ということを、自分で考えたり、

 

周りに足助を求めたり出来るようになった…ということでしょうか。

 

 

なんとか、ぎりぎりな感じで、大学は4年で卒業することができたものの、

 

体調も悪すぎる長女からは、「卒業後、しばらく休ませてほしい」という言葉が・・・。

 

しばらく・・・というのが、どれ位の期間を意味するものなのか?

 

それは、その時の長女にも、私にも、まだ、全くわからない事でした。

 

ただ、わかっているのは、今の状態で、何かに前向きに取り組めるほどのパワーは

 

長女には、全く残っていなかった…ということでした。

 

とにかく、元気になるまで、しばらくは家で休ませるしかないな・・・と、思うのみでした。