長女は中学で、一応の不登校は終わりました。

 

でも、当然ながら、長女の生き辛さが急になくなったわけでも、何もなかったように

 

生きていけたわけでもありません。

 

小中学校で、なんとなくの違和感がきっかけで、不登校になったというだけで、

 

長女の抱える困り感が消失したわけではなかったのですから・・・。

 

だからこその、特別支援校高等部への入学でした。

 

言い換えれば、中学校での深い不登校の日々が、長女の困り感を気づかせて

 

くれた…ということなのだと思います。

 

 

卒業後、4月から、入学を許されて通い始めた病弱系特別支援校の高等部では、

 

クラスメイトは、最初、男子1人K君だけで2人だけのクラスでした。担任は1人です。

 

生徒二人に担任が1人。この環境を聞いただけで、いかに手厚いサポートが受けられる

 

ことがご想像頂けると思います。

 

人によっては、常に先生に監視されているような感覚で嫌だ…と感じるかもしれません。

 

逆に言えば、常に監視が必要な、体調等に不安のある者だけが入学を許される学校だ

 

ということなのですよね。

 

 

男子K君は、小学校高学年くらいから、病気に気づき、今は隣接する病院に

 

滞在しながら、学校に通ってきていました。

 

彼の病気は「デュシェンヌ型 筋ジストロフィー」というもので、高校生になった

 

頃には、すでに車いす生活でしたが、まだ、体も支えられて、手の筋肉も動かせ

 

割と元気そうでした。

 

リーダーシップの取れるさわやか男子でしたが、当初クラスで二人きりの時は、

 

少しギクシャクした雰囲気もあったかもしれません。

 

途中から、もう一人女子Sちゃんが入ってきて3人クラスになりました。

 

Sちゃんは、全日制普通高校に通っていたものの、これまた遺伝性の難病で

 

ある日急に全身がしびれて、言葉をしゃべるのも大変になってしまい、特別支援校に

 

移籍してきたのでした。

 

でも、しばらく治療しているうちに、症状はどんどん改善し、1年くらいすると、

 

普通の女子高生のような感じになっていました。車いすを使っていたのも不要に

 

なり、得意のピアノも良く学校で弾いていました。

 

そんなクラスメイト達や、それを支える先生たちとかかわりながら、穏やかで

 

静かな環境に守られて、長女はほぼ毎日朝から登校できるようになりました。

 

朝、調子が良くないときも、遅刻の連絡をすれば、来れる時間で良いよ…と言って

 

もらえて、随分助けられていたと思います。

 

実は、長女がこの学校に入るとき、中学では全く登校できていなかった・・・という

 

状態を聞いて、校内の先生方の多くは、高校でも毎朝通ってくるのは難しいのでは

 

ないか?と想像していたようです。

 

でも、長女は、そこが「怖くない安全な場所だ」とわかれば、登校できるようになったのです。

 

途中、反りの合わない先生との授業で、辛い時もありましたが、全般的に、

 

とても穏やかな日々を過ごせていた時期だと思います。

 

入学前に担当の先生に言って頂いた「3年間リハビリ期間だと思って通ったらよい」

 

という言葉の通り、ここでの3年間で、大分自信を取り戻すことができた長女でした。

 

ありがたい3年間の高校生活でした。