「不登校に直面した時 その16」 の続きです。
長女は、中学卒業後の進路として、病弱系特別支援学校の高等部を希望していました。
その支援校の窓口になって接して下さって先生は、自閉症スペクトラム支援士の資格を持つ方でした。
おかげで、長女の抱えている困り感にも、いろいろと寄り添って下さり、本当に助けられました。
当時、窓口になって担当して下さった先生には、長女が受験する頃まで、親身になって
関わって頂きました。
たびたび私が不安なことをかなりの長文でメールに書き、相談として送ると、翌朝には、
同じようにかなりの長文で、一つ一つ私の不安に思うことを説明して下さったり、
長女に対する考え方を示して下さったり、常に親である私を励まし支えて下さったお返事を下さっていました。
それが、当時、どこに相談に行っても、「まず見守りましょう」しか言ってくれない対応に途方に暮れていた
私にとって、どれほどありがたく感じたことか!
この先生ほど、親身になって私の不安を受け止め、さらに具体的な解決策を示してくださった方は他にはいらっしゃいませんでした。
学校の先生も、登校支援教室の先生も、主治医も、他のあらゆるカウンセラーも、誰もしてくれなかったことを、してくれた方でした。
今でも、あの先生のおかげで、長女の道は開けた・・・と感じており、足を向けて寝られない思いです。
当時も、ずっと家にいるなら、月に1~2回でも、支援校に来て、発達障害の困り感を軽減するための
トレーニング的なことをやってみる?と誘って下さり、長女は定期的に先生のもとに通うように
なりました。通っているときは、もちろん私が車で送迎です。指導時間には、時間をつぶし、
終了予定時間にまた迎えに行く・・・という感じで、私の仕事が休みの日に、
こちらの都合にも合わせて対応して下さっていたのです。
少しずつ、出来ることをステップアップしていき、時には、現役の高等部のクラスに
特別に参加させてもらって、一緒に工芸などの授業でものを作らせてもらったりも・・・。
中の先生方にも、それとなく観察していただき、見守って頂きました。
無事、入学試験にも行くことができ、もちろん成績で合否を決める学校ではないので、
合格を頂き、なんとか中学卒業後の進学先が決まったのでした。
もちろん、この頃も、家庭教師の先生には、ずっと来ていただいていて、最低限の学習は
なんとなく指導してもらっていました。英語や数学は教科書の範囲は一通りやって頂けて
今でも、それも娘の基礎学力になっていたのだろうな・・・と感じています。
とにかく当時は、出来ることは何でもやってみよう!と思うような、
藁にもすがる思いで、長女の不登校と向かい合っていました。
まるで永遠に出口の見えない暗闇を歩いているような気分で・・・。
それでも、いつか明るいところに出れる可能性を信じて、打てる手は打っておきたい…というような。
でもね、のちに言われるんですよ、長女から。
ママはいつでも、レールを敷いて、そこを私に歩かせようとしてた・・・ってね。
なかなか、苦い、一言です。