長女がぱったりと学校に行けなくなってからも、しばらくは、

 

私自身、何とか登校できるようになるには・・・と、ネット検索して、「不登校」の文字を

 

探しては、記事を読んでみたり、ブログの管理者に連絡をして相談してみたり・・・。

 

かなりあがいていました。

 

担任の先生にも、定期的に家庭訪問してもらうことになり、プリントやら行事の予定やら

 

教えてもらっていました。

 

そういうのも、後あと考えてみれば、つらくて行けないでいる学校のことを、そのたびに

 

思い出すことになり、せっかく家で休んでいるのに、長女の心は全く休まらず、

 

常に自分が学校へ行けない罪悪感を深めてしまうことになるものだったんですよね。

 

担任の先生は、ベテランの小柄な女性でしたが、ただでさえ中学の教諭ということで、

 

仕事が山のようにある状態にもかかわらず、週に2回ほど、随分長く訪問しに来て

 

下さっていました。

 

でもね、先生の方が「不登校」になった子のその後をたくさん見てきているから、

 

想像ついちゃうんですよね。

 

早く登校できるように・・・と焦る私に、先生は言いました。

 

「おかあさん、でも不登校って、そんなにすぐに来れるようになるものじゃないですよ。」って。

 

それを聞いた時もまだ、私は「そんなことわからないじゃない!なんで、最初からダメだって

 

決めつけるの?」と、不満に感じていました。

 

でも、とにかく、長女はその頃、体調も悪く、同じ年ごろの子を見ただけで、

 

恐怖心で動けなくなる・・・という状態にまでなっていました。

 

お薬は、多少効くかなぁ?程度のマイルドな量だったので、特に長女自身に、

 

大きな変化が見られる…というわけではありませんでした。

 

夜、悪夢にうなされて、何度も目が覚める!と訴えていたのも、このころだったかな・・・。

 

本当に辛そうで、可愛そうだなぁ…と思うようになって・・・。

 

不登校に詳しい方からは、とにかく今の状態の子どもを受け止めてあげるように・・・と。

 

学校に行くことを、親が諦めてくれたら、楽になるのだ・・・と。

 

そこで、ようやく私は無理やりにでも、こう思いこむことにしました。

 

「長女は、学校へ行かなくても良い。」と・・・ね。

 

長女にも、これまでの態度を180度回転させて、「もう学校に行かなくていいよ。」と

 

伝えました。

 

この時の私は、

 

「ああっ、これで、もうこの子は、一生学校というところには行かない一生を送る子に

 

なるのかもしれない。」と、深い闇の中に落ちてしまったような感覚でした。

 

これで、長女のプレッシャーは軽減して、元気になってくれるかなぁ?と期待したものの、

 

そうでもなかったです。

 

ただ、徐々に、親が自分のことを理解しようとしてくれている・・・とは感じるようになって

 

くれていたのだろうと思います。

 

以前より、長女と過ごす時間も増え、今まで聞いたこともなかった長女の胸の内を

 

聞くことにもなりました。

 

平日、私が仕事を休みの時には、なるべく誘い出して、車で外出に誘いました。

 

行先は、たいていちょっと遠くのショッピングモールとかですが、長女は、この行きかえりの

 

車での移動・・・が、とても好きでした。

 

安心して乗っていられるプライベート空間であり、安心な母親だけしかいない。

 

さらに、窓の外には、動く風景が映り、それを見ているとお出かけ気分を味わえて

 

楽しく感じる・・・と、良く話してくれていました。

 

でも、それは行きかえりの車の中だけね。

 

現地について降りると、そこはもうたくさんの音と、人と、モノがあふれる世界。

 

そこに入っていくと、すぐにぐったりして、調子が悪くなり、ショッピングを楽しめる・・・という

 

状態には程遠い現実がありました。

 

それでも、こうして私が長女を車で連れ出し、ランチを一緒に食べたり、お茶したりする

 

ことで、ほんの少しは、気分転換もできたのだろうと思います。