わが子のことを振り返ると、小5で、初めての数週間の不登校があり、
この時は、大好きだった合唱の練習に朝参加する!という人参があって、
比較的短期で、登校再開できました。
それでも、親としてはものすごい大きな悩みと、不安と、心配で、胸が張り裂けそうになり
実際、小学校の卒業式の時には、無事この日を迎えられたことに、こみ上げる思いもあり
涙が止まりませんでした。
当時、小学校のクラスでは、娘はいじめを受けていました。
もともと、素直に先生の言うことに従うタイプの子ではなく、どちらかというと問題児。
宿題はやってこないわ、しょっちゅう忘れ物はするわ、親に持ち帰ったプリント類は見せないわ・・・、周りの子に合わせることより自分がやりたいことを優先するわ・・・。
言い換えれば「子供らしい子ども」だったとも言えますね。
親や大人の顔色をうかがうことなく、自分のやりたいようにやっていくタイプの子でしたが、
小学校高学年くらいになると、同級生の子たち特に女子はどんどん変化してきて、同性でグループを
作り、「仲間」と「それ以外」を区別するようになったり、だんだん異性を意識して「恋バナ」に花を咲かせるようになったり・・・。
その変化についていけなかった娘は、だんだん「変な子」「変わった子」として扱われるように・・・
当時の担任も、ノーマルタイプの子以外を配慮して、
認めて下さるタイプの思慮深い方ではなかったこともあり、
他の生徒たちが「違和感」に感じることを、率先してダメ出しして、
娘のクラスでの立場をより弱いものにしてくれました。
「模範通りにできない子」=「周りから見下げられて不当な扱いを受けても仕方ない子」
という風に、クラスの生徒たちにも印象付けてしまったのだろうと思います。
それで、一気にいじめが日常的なものになって行って・・・。
娘は、学校内で孤立していきました。
でも、唯一逃げ込める安全な場所が、ありました。
それは、当時、父親が与えたPCでのネットの中でした。
誰が教えたわけでもないのに、いつの間にか、娘はネットゲームの中に居場所を見つけて
いたのでした。
夜寝ないでいると怒られるので、いったんベッドに入り、真夜中に起き出して、ネトゲを続けていたようです。
当然、学校の勉強なんかどうでもよくて、そこには何の価値も見いだせずにいたのでしょう。
親の私も、とりあえず学校に登校してくれていれば、安心・・・と考えていて、不登校が
解決されたらホッとして、不登校再発しないでくれること!を、何よりも大事なことだと
信じていました。
今思うと、全然的外れだったんですけどね・・・。