ブロ友さんの記事で、話題になっていたので、私も書いてみよう!と思い立ちました。

 

長女には、小さい頃から、聴覚過敏があります。

 

一番それを感じたのは、小さい頃、喜ぶと思って「サンバカーニバル」に連れて行った時の事。

 

両耳を手でふさいで、不快そうな表情をしていました。

 

打楽器の音が、暴力的なんだそうです。

 

その後も、大太鼓の演技とかを見に行った時も、同じような感じでした。

 

いつも、ちょっとにぎやかかな?と感じる程度の音がある場所にいくと、辛そうな表情になります。

 

スーパーなどで、カートを押す音と、レジの電子音と、人の話し声などがざわざわする中の音が嫌いだと言っていた事もあります。

 

 

大分大人になってから、それがどんな聞こえ方なのか・・・が少しずつ理解出来てきました。

 

幸か不幸か、私自身が、長女とは逆に、難聴で、仕事に支障があるので、補聴器を使っている位なのです。

 

それで、家では、補聴器つけてると疲れるから・・・と、なるべくはずしてTVなどボリュームを上げてつけています。

 

そうすると、長女がこれまた、とても疲れるらしく、いらついてきます。

 

聞こえないなら、補聴器つけてろ~!って怒鳴ってきます。

 

だから、補聴器だとね、聞きたい音以外の音も、大きく聞こえて、疲れるのだと説明しました。

 

それに、もともと、聞こえが悪くなっている耳に、無理やり大きな音を日中聞かせている状態なわけですから、普通の状態の人が、一日中イヤフォーンをつけて、大音量で音楽を聞き続けているようなものです。耳にとって優しい環境ではないのですね。

 

だから、補聴器をつけていると、少しずつ、聴力も落ちて行きます。

 

以前は、もう少し少ない数値で聞こえたTVのボリュームも、もう少し大きい数値まで上げないと聞き取れない・・・と感じます。

 

その聞こえ方を、長女に説明していたら、自分の聞こえ方も、その補聴器みたいなんだよ・・・と言うのです。

 

だから、全体的に大きな音を聞くと、痛い様な暴力的なものに感じるのだと。

 

人の耳ってものすごく良く出来ていて、大きな音が聞こえたら、それを自然に和らげるような働きもあるし、うるさい中でも、聞きたい音だけに集中すると、他の音が聞こえづらくなるような働きもあるのです。

 

だから、人は、普通の音でも聞こえる場合でも、盛り上がりたい時、大きな音を流してハイテンションになったりして、楽しめるのですよね。

 

なのに、そういう便利機能が、長女のような聴覚過敏の子には付いていないみたいなんです。

 

本当に、遠くの小さな音まで、良く聞こえてるな・・・と感心するくらいだし、実際に聴力検査をすると、普通の人より良く聞こえていると言われるくらいなのです。でも、過集中もあるので、何かに没頭していると、呼ばれても気がつかない・・・と言う事もあり、小さい頃は耳の聞こえが悪いのかと思って、大学病院に定期的に検査に行って、お薬まで飲ませていた事があるのです。

まだ、小学生になる前だったので、面倒くさいから、すぐにボタンを押さないで、適当に押してたら、聞こえが悪いと言われていた・・・なんて、今頃になって言うんですよ。何のために、1年間も、早朝から診察券出しに行って、保育園に行く前に、病院に通っていたのか・・・です。

 

車の中でも、私が快適な音のボリュームにすると、うるさくて耐えられないと言うので、いつも小さめにします。

 

そんな感じの長女なので、実は今、職場で、今月から配属になった課で、問題が起きているようなんです。

 

その部署では、常に大きな音がしている中での作業があり、長女は上司の方から、そのやり方の説明を受けて、メモを取ったりしています。

自分で出来るようにして行かないといけないものなので、真剣ですよね。

 

ところが、その大きな音がしている中で、口頭による説明を聞いてメモを取る・・・というのが、非常に疲労困憊する作業になってしまっているようで・・・。それ以外の時間も、ずっと音の中に居るせいか、弱り果てて帰って来るように・・・。

 

音が辛い・・・というので、説明を聞く必要のない時には、許可をもらって耳栓をして作業してみたら?と勧めたところ、実行してみたようで。

 

耳栓をしている時だけ、ものすごく穏やかな気分で居られた・・・と言うのです。

 

それで、常に大きな音がある現場なので、その担当をずっとやっている人の中には、大音量難聴になる人がいるらしく・・・。

 

その話も聞いて、突如、「やっぱりイヤーマフを買おうと思うんだ。」って言いだしましたよ、長女が。

 

まあ、健常者としてではなく、障害者枠で入社させて頂いているので、こういう時は、作業環境を改善するために、耳栓なり、イヤーマフなりを使用したい!と申し出る事は、大丈夫だろうと思います。その方が、彼女の辛さを周りにも理解してもらい易いのかも…とも思います。

 

障害者枠だけど、何でも普通にできるじゃない?みたいに、安直に思われるのが一番つらいらしいですからね。

 

自分の辛さを、少しでも周りに理解してもらいたい・・・と言う思いは常にあるようです。

 

 

それ以外にも、緊張が続いたり、ストレスに思う事があっても、言わないで我慢していたりするためか、かなりグッタリしているようで、今日もお風呂にも入らず、食後布団に倒れこんでいます。夜中になってから、お風呂に入らないの?そのまま寝てて大丈夫?と声をかけるも、放っておいてくれ・・・だそうです。

 

朝、起きれるのだろうか・・・とちょっと心配している母です。

 

かといって、不登校の時のように、親が心配して、先回りして動いてしまっても、良くないのだろうな・・・と、悶々としています。

 

職場自体は、怖い人もいないし、全体的にはとてもおっとりしていて、良い職場だと言う事は本人も認識しているようなんですが・・・。

 

休日も、なかなか緊張が取れず、月曜日以降の出勤を考えては、いろんな感情に襲われるようで、自律神経の乱れが目立っています。

 

 

家に引きこもっていても、外に働きに出ても、どこで何をしていても、何らかの葛藤があり、辛そうなんですよね。

 

生きるのが辛い・・・というのは、あながち間違いではないのかもしれない・・・と、最近長女が良く口にする言葉を思い出して考えたりします。

 

自分なら、そんな事あれこれ考えないで、流すのになぁ~と言う事も、彼女には全くできないのです。

 

そうするべきだ、そうしたい・・・と思っても、出来ないのだから、諦めるしかない!と、変な開き直りまでし出す位ですから・・・。

 

本当に生きる事が、ただ生きている事が、様々な不快感で、辛く感じてしまう・・・と言う事が、あるんでしょうね。

 

自分にはわからない、共有してあげられない感覚なだけに、悩みます。