昨日の「世界仰天ニュース」の番組で、ディスレクシアの特集をやっていました。
長女の大学の同級生が教えてくれて、長女と一緒に番組を見ました。
見ながら、長女が、自分とおんなじだ!と言いながら、涙していました・・・。
親としては、色々気づいてやれずに、つらい思いをさせてきたんだな・・・と思うと、胸が痛みます。
こちらのサイト参照
番組では、小さい頃から、色々と理解は出来ているはずなのに、漢字の読み書きが出来ず、テストでひどい点を取り、先生からも「怠けているからだ、もっとまじめに勉強しなさい」と言われ、夜中まで必死で勉強するも、まったく成果が出ず、絶望して社会にでた現在50代の男性の実例を紹介していました。
識字障害という認識がまだ、世の中になかった頃。
丁度私たちの世代の方のようなので、「ど根性」が美徳とされた頃のお話です。
その後、この方は、努力で大工業の腕を磨き、もともと聡明な方だったので、仕事では頭角を表し、良い実績を上げられてきたようですが、文字を書くのが大変なので、それを悟られないように、必死に努力したり、機転を利かせてばれないように立ち回りをしたり・・・。それはそれは涙ぐましい努力をされてきたそうです。
40代になって、初めて「ディスレクシア」という言葉を知り、本に書いてあったことがまるで自分の事だったので、自分が怠けているからじゃなかったんだ・・・と言う安堵とともに、今まで何十年も不当な扱いを受けてきた事について、「俺の人生を返せ!」と言う気分になった事なども語っていらっしゃいました。
そういう様子を番組で見ていた長女も、この男性ほど極端な例ではなく、人の何倍か時間をかければ、努力をすれば、それなりに出来てしまうゆえ、さらに周りに理解してもらえず、こんなに文字を書くのが大変なのに、なぜ皆そんなに速くすらすらとかけるのだろう・・・と、負い目を感じながら、今も大学で学生をしているのです。
そんな自分の悩みともオーバーラップしたらしく、この通りなのよ・・・と、涙を流しておりました。
特に、上記の漢字のつくりがばらばらに浮かび上がり、どの場所だったのかどうしても覚えられない。あるいは、短期的には、努力によって覚えることが出来ても、しばらくするとまたすっかりわからなくなってしまう・・・という困難があるそうです。だから、いまだに漢字を書くのは非常に苦手だとか・・・。
番組の中でも、そんなディスレクシアの男性がどうしたら楽になったか・・・と言えば、PCやスマホの登場でした。
文字を予測変換してくれる・・・というこの機能が非常に役に立ったと。
さらに、知らない事は、ネット検索で調べることができるようになり、文字を音声で読んでくれるソフトなども登場し、情報を得る方法が広がって、爆発的に知識を増やすことが出来るようになった・・・とのことでした。
文字が読めないと、学習も思うように出来ず、彼は小学校高学年くらいから、学習に困難を感じるようになり、中学では先生や他の生徒から馬鹿にされるので、荒れるようになり・・・。
たまたま陸上で才能を発揮し、スポーツ入学で、高校に入学したものの、周りは勉強嫌いな学友ばかりで、落ち着いて勉強出来る環境ではなく、落胆して3カ月で退学した・・・そうで。
その後、飲食関係に進んでも、メニューが読めず、何度も聞いては店の人たちに馬鹿にされたり・・・。
文字を読んだり書いたりに困難がある以外は、知能は全くもって問題なく、むしろ聞いただけで覚えられるほどの聡明な頭を持っている人でもあり、どんなに悔しい思いを重ねてきたか・・・と、想像します。
長女の場合も、同様の苦しさがあったのだろうな~と。
彼女の場合は、それだけでなく、他にも感情面での問題も抱えており、もっともっと、生きるのが大変な面も多いのだろうと思います。
こういうディスレクシアの問題ひとつ取ってみても、学校における教育の在り方というのが、いかに画一的で、枠にはめたモノであるか・・・を痛感します。
一人ひとりに合ったやり方で、学習できる機会を与えることこそ、本当の意味での子どもの権利を保障することになるはず。
学校で決められたやり方で点数に結びつかないからと言って、理解できないわけではない生徒を、端っこに追いやって学ぶ機会を奪っても良いはずがない!と思うのです。
もっと、もっと、柔軟に本当に学ぶことのできる環境を、与えて行ける教育現場が増えて欲しいものだと思います。
科学の進化が、そういう困難を抱える人たちの助けになり、希望を与えてくれているのは、素晴らしい事ですね。
長女の大学の同級生が教えてくれて、長女と一緒に番組を見ました。
見ながら、長女が、自分とおんなじだ!と言いながら、涙していました・・・。
親としては、色々気づいてやれずに、つらい思いをさせてきたんだな・・・と思うと、胸が痛みます。
●ディスレクシアとは?
学習障害の一種で、知的や、視覚・聴覚器官の異常がないのに、
「読み」「書き」のどちらか、また両方の正確さと流暢さが困難な症状のこと。
失読症、難読症、識字障害、(特異的)読字障害、読み書き障害などとも呼ばれている
読み書きが困難な児童は4.5%、そのうち読み書きだけが困難な児童は1%くらいいる。
●ディスレクシアの症状
原因は視覚的なものと音韻的なものがある
人によって症状や程度はちがっているが、下記のような症状がある
<視覚的>
1.文字がダブって2重に見えたりねじれて見える
2.鏡文字や常に動いて見える
3.平仮名は形の似た文字の区別がつかなかったり向きを間違う。
4.漢字はどの部分に何があるのか理解できない
<音韻的>
見え方に問題はない
1.文字がどんな音なのかスムーズに浮かばない
2.一文字ずつ音に変換する作業に時間がかかり、理解が難しい
3.目で見た文字を書き写す事はできるが、耳で聞いた言葉を文字にするのは混乱する
●ディスレクシアの勉強法
病院で治療できるものではない。
各都道府県に専門家の先生がいて支援してもらえる。
呼ぶ事ができ巡回相談で各学校を回れるのでそれを利用できる。
こちらのサイト参照
番組では、小さい頃から、色々と理解は出来ているはずなのに、漢字の読み書きが出来ず、テストでひどい点を取り、先生からも「怠けているからだ、もっとまじめに勉強しなさい」と言われ、夜中まで必死で勉強するも、まったく成果が出ず、絶望して社会にでた現在50代の男性の実例を紹介していました。
識字障害という認識がまだ、世の中になかった頃。
丁度私たちの世代の方のようなので、「ど根性」が美徳とされた頃のお話です。
その後、この方は、努力で大工業の腕を磨き、もともと聡明な方だったので、仕事では頭角を表し、良い実績を上げられてきたようですが、文字を書くのが大変なので、それを悟られないように、必死に努力したり、機転を利かせてばれないように立ち回りをしたり・・・。それはそれは涙ぐましい努力をされてきたそうです。
40代になって、初めて「ディスレクシア」という言葉を知り、本に書いてあったことがまるで自分の事だったので、自分が怠けているからじゃなかったんだ・・・と言う安堵とともに、今まで何十年も不当な扱いを受けてきた事について、「俺の人生を返せ!」と言う気分になった事なども語っていらっしゃいました。
そういう様子を番組で見ていた長女も、この男性ほど極端な例ではなく、人の何倍か時間をかければ、努力をすれば、それなりに出来てしまうゆえ、さらに周りに理解してもらえず、こんなに文字を書くのが大変なのに、なぜ皆そんなに速くすらすらとかけるのだろう・・・と、負い目を感じながら、今も大学で学生をしているのです。
そんな自分の悩みともオーバーラップしたらしく、この通りなのよ・・・と、涙を流しておりました。
特に、上記の漢字のつくりがばらばらに浮かび上がり、どの場所だったのかどうしても覚えられない。あるいは、短期的には、努力によって覚えることが出来ても、しばらくするとまたすっかりわからなくなってしまう・・・という困難があるそうです。だから、いまだに漢字を書くのは非常に苦手だとか・・・。
番組の中でも、そんなディスレクシアの男性がどうしたら楽になったか・・・と言えば、PCやスマホの登場でした。
文字を予測変換してくれる・・・というこの機能が非常に役に立ったと。
さらに、知らない事は、ネット検索で調べることができるようになり、文字を音声で読んでくれるソフトなども登場し、情報を得る方法が広がって、爆発的に知識を増やすことが出来るようになった・・・とのことでした。
文字が読めないと、学習も思うように出来ず、彼は小学校高学年くらいから、学習に困難を感じるようになり、中学では先生や他の生徒から馬鹿にされるので、荒れるようになり・・・。
たまたま陸上で才能を発揮し、スポーツ入学で、高校に入学したものの、周りは勉強嫌いな学友ばかりで、落ち着いて勉強出来る環境ではなく、落胆して3カ月で退学した・・・そうで。
その後、飲食関係に進んでも、メニューが読めず、何度も聞いては店の人たちに馬鹿にされたり・・・。
文字を読んだり書いたりに困難がある以外は、知能は全くもって問題なく、むしろ聞いただけで覚えられるほどの聡明な頭を持っている人でもあり、どんなに悔しい思いを重ねてきたか・・・と、想像します。
長女の場合も、同様の苦しさがあったのだろうな~と。
彼女の場合は、それだけでなく、他にも感情面での問題も抱えており、もっともっと、生きるのが大変な面も多いのだろうと思います。
こういうディスレクシアの問題ひとつ取ってみても、学校における教育の在り方というのが、いかに画一的で、枠にはめたモノであるか・・・を痛感します。
一人ひとりに合ったやり方で、学習できる機会を与えることこそ、本当の意味での子どもの権利を保障することになるはず。
学校で決められたやり方で点数に結びつかないからと言って、理解できないわけではない生徒を、端っこに追いやって学ぶ機会を奪っても良いはずがない!と思うのです。
もっと、もっと、柔軟に本当に学ぶことのできる環境を、与えて行ける教育現場が増えて欲しいものだと思います。
科学の進化が、そういう困難を抱える人たちの助けになり、希望を与えてくれているのは、素晴らしい事ですね。
