Vol.1729 (2024・8・15 木日)

 


美容室って・・・・・
そもそも何だろう


綺麗になるところ
笑顔になれる場所

 

 

元気になれるところ
癒される場所

 

 

心をリセットしてくれるところ
落ち着く場所


お客様一人ひとりの
そんなところ


お客様一人ひとりの
そんな場所


美容室FRAME

 

http://www.frame-magic.com/

 

 

さてさて本日のお題は

★ボーッと生きてる場合じゃない

 



 

昨夜から徳島のエクシブ鳴門に来ています。

何度来ても素敵なロケーションに癒されます。

 

 

 

6:30の開湯時間を待ちきれず

徒歩でスパまで来ました。

 

 

 

バイキングでの朝食を済ませ、

今回の目玉である大塚美術館へ・・・・・

 

 

 

今日2024年8月15日は

79回目の終戦記念日
 

 

 

 

 

 

 

毎年この日が来るたびに
爺ちゃんへ哀悼の意を捧げるために
今年も同じことを綴ります。

 

 

 

何のために・・・・・

誰のために・・・・・

命を落とさなければならなかったのか。

 

 

 

どんの思いで戦地へ赴いた行ったのだろうか。

心中を察するには余りある。

 

 


私達が

何気なく生きている

『今日』という日は、

何が何でも生きたかった

先人達の『未来』だ。

 

 


今年も日本武道館で
全国戦没者追悼式が
執り行われました。

 

 


戦後79年……
絶対、風化させてはならない!

 

 


僕の爺ちゃんはフィリピン沖の

メレオン島という小さな島で
戦死しました。




30歳でした。

あまりにも若い・・・・・

若すぎる。

 

 


戦死といえば零戦に乗って
敵艦に向かって機関銃を撃ち、

やがて体当たり‼️

 

 

 

華々しく散って行く様が
イメージされますが、
爺ちゃんの状況は全く違っていました。

 

 

 

食糧の配給もままならない戦況の中、
一日配給されたお米が僅か50粒…

 

 

並べてみてください。

50粒の米を………

 


爺ちゃんの隊では無かったのですが、
死んでいった戦友の肉を食べ
飢えを凌いだ人もいました。

 

 


人道的な思考な中、
極度の栄養失調と空腹………
餓死という惨い形で亡くなりました。

 

 

 

無念だったろうな。

 

 

 

だからこそ僕は

食べものは残さないし、

粗末にしない。

 

 


終戦のわずか半年前

1945年2月26日のことです。

悔しすぎる。

哀しすぎる。

 

 


婆ちゃんが生前話をしてくれてました。

 

 


爺ちゃんの戦死の知らせが来た
前日の夜のことです。



婆ちゃんの枕元に
スッと現れて……



『わしゃ〜、腹が減って腹が減って
どうもならんし、お前や桂子(娘)や嘉義(息子)
に会いとうて会いとうて帰って来たんよ』

 

 


そう言い残すと
スーと消えたそうです。

 

 


婆ちゃんは二人の幼子を抱えながら
お腹の中にも子供を
身籠っておりました。



その幼子の一人が私の母親です。

 


 



戦争未亡人でありながら
三人の子供を育てあげ、
92歳でこの世を去りましたキラキラ

 

 


何度も死を覚悟したそうです。

 

 

 

闇米を売り歩く日々………

男に混じっての重労働………

まさに時代に翻弄された人生でした。



私達が
何気なく生きている『今日』
という日は
何が何でも生きたかった
先人達の『未来』だ‼️


 

 

 


だからこそ
僕自分が
『何のために生きているのか』
『何のために生かされているのか』



考えずにはいられない。

 

 



普段通りに朝が迎えられることに
心からありがたいと思える
8月15日でした。

 

 

 

この戦争で310万人の命が失われました。

その9割の人・・・・・

つまり270万人は終戦前の

半年間になくなりました。

(1945年2月~8月)

 

 

 

敗戦が色濃くなる中

もっと賢明な選択はなかったのか・・・・・

 

 

 

僕の爺ちゃんは生きて帰れなかった。

この事実を風化させてはならない。

 

 

 

じゃあまた来年

 

 

 

そしてまた明日