vol.645 (2021・8・16)
~いつも心はノーガード~
美容室FRAME
鍋島道樹の『行き当たりバッチリ』
★記憶
昨日、2021年8月15日は
76回目の終戦記念日でした。
毎年この日が来るたびに
お伝えしてます。
今年も同じことを綴ります。
私達が
何気なく生きている
『今日』という日は、
何が何でも生きたかった
先人達の『未来』だ。
今年も日本武道館で
全国戦没者追悼式が
執り行われました。
コロナ禍での開催の為
かなり規模が縮小されていました。
戦後76年……
絶対、風化させてはならない!
私の祖父はフィリピン沖のメレオン島で
戦死しました。
30歳でした。
戦死といえば零戦に乗って
敵艦に向かって機関銃をうちながら
はなばなしく散って行く様が
イメージされますが、
当時の祖父の状況は全く違っていました。
食糧の配給もままならない戦況の中、
一日配給されたお米が僅か30粒…
祖父の隊では無かったのですが、
死んでいった戦友の肉を食べ
飢えを凌いだ人もいました![]()
人道的な思考な中、
極度の栄養失調と空腹
餓死という惨い形で戦死しました。
終戦の半年前
1945年2月26日のことです。
祖母が生前話をしてくれてました。
祖父の戦死の知らせが来た
前日の夜のことです。
祖母の枕元に
スッと現れて……
『わしゃ〜、腹が減って腹が減って
どうもならんし、お前や桂子(娘)や嘉義(息子)
に会いとうて会いとうて帰って来たんよ』❤️
そう言い残すと
スーと消えたそうです。
祖母は二人の幼子を抱えながら
お腹の中にも
身籠っておりました。
その幼子の一人が私の母親です。
戦争未亡人でありながら
三人の子供を育てあげ、
92歳でこの世を去りました
まさに時代に翻弄された人生でした……
私達が
何気なく生きている『今日』
という日は
何が何でも行きたかった
先人達の『未来』だ‼️
だからこそ
私は自分が
『何のために生きているのか』
『何のために生かされているのか』
考えずにはいられません。
普段通りに朝が迎えられることに
心からありがたいと思える
8月15日でした。
じゃあまた明日






