~いつも心はノーガード~
FRAME
鍋島道樹の『行き当たりバッチリ』
『人を育てる・未来が見える』
日本の美容室
約25万件
『やり方』ばかりに捉われている
美容室経営者・経営幹部の
『どうしたら・・・・・』に応えたい
何が大切か?
それは、
『あり方』と『考え方』
美容の力で
”より美しく・より豊かに”
☆終戦記念日
記念日⁉️
ふざけてますな💢
毎年この日が来るたびに
叫ばずにはいられない🗣
私達が何気なく生きている
“今日”という日は、
何が何でも生きたかった
先人達の“未来”だ。
今年も日本武道館で
全国戦没者追悼式が
執り行われた。
内閣総理大臣は
いったいどのような気持ちで
式辞を述べられたのか?
戦後75年……
絶対、風化させてはならない!
私の祖父はフィリピン沖のメレオン島で
戦死した。
30歳😱
戦死といえば零戦に乗って
敵艦に向かって機関銃をうちながら
はなばなしく散って行く様が
イメージされるが、
当時の祖父の実情ははるかに壮絶だった。
食糧の配給もままならない戦況の中、
一日配給されたお米が僅か50粒…
祖父の隊では無かったが、
死んでいった戦友の肉を食べ
飢えを凌いだ人もいた
人道的な思考な中、
極度の栄養失調と空腹………
餓死という惨い形で戦死した。
終戦の半年前
1945年2月26日のことだ。
僅か半年前………
無念だ。
祖母が生前話をしてくれてた。
祖父の戦死の知らせが来た
前日の夜のこと。
祖母の枕元に
スッと現れて……
『わしゃ〜、腹が減って腹が減って
どうもならんし、お前や桂子(娘)や嘉義(息子)
に会いとうて会いとうて帰って来たんよ』
そう言い残すと
サーと消えたそうだ。
祖母は二人の幼子を抱えながら
お腹の中にも
身籠っていた。
その幼子の一人が私の母親だ。
戦争未亡人でありながら
三人の子供を育てあげ、
92歳でこの世を去った。
まさに時代に翻弄された人生だった……
私達が何気なく生きている
“今日”という日は、
何が何でも生きたかった
先人達の“未来”だ‼️
だからこそ
今日のこの日………
私は自分が、
『何のために生きているのか』
『何のために生かされているのか』
感じずに
そして
考えずにはいられない。