どの顔があなたの本当の顔なのか?
この世の中を生きていくための生き方。
その生き方が正しいのか正しくないのか
答えは幾通りもあるだろう。
いくつもの社会的な役割を演じるために、
そしてまた自分を良く見せたい、
他人から良く見られたいために、
自分がこれ以上傷つきたくないために、
人は様々な『仮面』を被って、
時に応じて、場合に応じて、人に応じ
使い分けているように感じます。
例えば女性であれば、女・妻・母・嫁・・・
それぞれの立場でそれぞれの役を
演じているのです。
このようにひとりの人間の中には、
それこそ様々な顔があるのに、
私たちはいつしか一つの顔に
束(たば)ねられていく。
男にとってのいい女のイメージの中に。
いい妻、いい母、いい嫁という役割の中に。
建前によって本音が覆い隠された
職業的(役割)な顔の中に。
知らず知らずのうちに、感情のない、
揺らぎの少ない
“役割の顔”つまり『仮面』を被ってしまい、
本来の自分らしさを失ってはいませんか?
『素顔』の自分が
どんな人間だったのかを忘れるほどに、
この『仮面』はやがて“素肌化”していく。
怖い!ですね・・・・・・
自分を守るために必要な仮面が、
いつの間にか自分を縛り、
不自由にし、
キラキラ・イキイキ生きている自分を
感じられなくなっています。
このように自分らしさが
窒息し始めていることに
ある日突然気が付くのです。
何かが自分自身の中で
“鈍く”なってはいませんか。
傷つくことを恐れて、
当たり障りのない
表面的な言葉だけが行き交う人間関係。
それは確かに誰に傷つけられることもないし、
傷つけることもありません。
しかしそこには心のどこにも響いてこない
むなしい言葉だけが宙を舞います。
『仮面』を被ったままでは、
自分の言葉は誰の心にも届きません。
誰かの言葉も自分の心には届かないでしょう。
『仮面の言葉』には『仮面の言葉』
しか返ってこないでしょう。
『仮面をはずしても大丈夫だよ』
という人に出会えた時、
虚しい言葉、誰かの言葉を
発してる自分から解放され、
『人と人が繋がりあえる言葉』
を発せられる自分になっていくでしょう。
じゃあまた明日(^^♪