たが、それは占い師のような大きな力ではない
ただ、瞬時に視える未来と視えない
未来がある。
その時、その時に応じて
瞬間的に未来で起こる出来事が視えるだけの話
その一つに、天理教との出会いがある。
ずっと、、天理教からは離れた場所にいた
私だが、昨年の10月頃からなのか…
友達に、教会での食事やお地場帰りに
頻繁に誘われるようになった。
初めは、何故だかわからなかったが、そこに
いるとホッとする。

やがて、その理由を知ることとなる

それは、ある一人の人物が天理教のある守護を
受けているからだ…
当人は、全く気付いていないようだが
幼少の頃から、母親が病で苦しむ姿を
目の当たりにし、自身が家族の犠牲になり
食事の支度をしていたそうだ
その時に、天理教をしていたと言う。
だが、一向に事態は変わらず、
「何故、自分だけがこんな惨めな
思いをしなくてはならないのか…
神様は不公平だ…」
そう感じていたらしい
それから天理教から離れたそうだ…

だけど、ここで勘違いしないでほしいのは
先祖供養をしているから神様に使えているから
大丈夫!病気が治ると思わないことだ!
確かに、「この法をしたら病気が治る」
「幸せになれる」
そう言われてきたのだろうが…
それは、違う

病院での治療が合わさって
はじめて力が宿るもの

やっているから籍を置いているから病気が
治るのではなく、深い祈りから
少しずつ望みが生まれるもの
決して
定められた寿命を変えられるわけではない。
辛い思い、楽しい思い色んな思いや
経験は、すべてに意味がある。
出会いにも意味があるものだ!
今まで、自身が幸せではないと
感じていたならば、これから幸せになればいい
幸せになる努力をすればいい。
どうやら、私の今回の運命の使命は
その人物にほんとの神の力を信じさせる
ことのようだ、その人物を幸せに導く
その使命から、天理教への導きがあった
そう感じている

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