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「日本の問題」について、大学生のリョウが考えるブログ

 我が国、日本は様々な問題を抱えています。領土問題、歴史問題、そして日本国憲法…などなど。どうすればこの国は独立することができるのか。このブログでは、現在大学生のリョウが日本の問題について考え、その問題についてどう対処すればいいのかを綴ります。

三十年戦争(1618年~1648年)から、現在の近代国際法は形成される



 世界史を見るうえで、三十年戦争(1618年~1648年)の重要性は大きい。この戦いこそ、前近代的な宗教原理主義を脱するための、最後の総決算であったと位置づけられるからだ。

三十年戦争時の虐殺を描いた
ジャック・カロによる版画『戦争の惨禍』(1632年)
何じゃこりゃ…宗教戦争ってわけわからんな…(・ω・)



 三十年戦争は最後の宗教戦争であり、その和約であるウエストファリア条約により、現代の我々が想像する近代国家ができあがった。



 ただし、1648年に突如として近代が始まったわけではない。それ以前から前近代的な宗教原理主義を超克しようという動きはあった。反動とせめぎ合いの中で行われた総決算が三十年戦争なのである。



 三十年戦争といっても、毎日戦っていたわけではない。一番多い数え方だと30年間に13度戦争が行われ、10の和平条約が結ばれた。



 三十年戦争の原因は、ドイツ地方にも領土を持つスペイン・ハプスブルク家がプロテスタントを弾圧したことであるが、そのことが反対勢力をかえって結束させ、ネーデルランド独立戦争(いわゆる八十年戦争。1568年~1648年)と同時並行で、ヨーロッパの勢力を巻き込んで大戦争に至った。ドイツ地方は三十年戦争最大の激戦地であり、土地の3分の2が焦土と化し、人口の4分の1が消滅したともいわれる。



 戦場の中心は、ボヘミア→デンマーク→スェーデンと移り、最終局面でフランスが(宗教的な理由でなく地政学的理由によって)スェーデンについたことで、大戦は終局に向かう。この政治過程を主導したのはリシュリューを継いで宰相となったマザランだった。

マザラン
1643年から死去する1661年にかけて、
リシュリューの跡を継ぎルイ14世の親政に尽力した


 リシュリューが死んでから2年後の1644年12月4日、ドイツのウェストファリア公国で和平会議が開かれる。いわゆるウェストファリア会議である。この会議には66ヵ国が参加した。ヨーロッパの目ぼしい国はほとんど参加している。



 当時はヨーロッパに数えられていなかったトルコやロシア、東方の大国であるポーランドと清教徒革命(1641年~1649年)の真っ最中だったイングランド以外が全て参加したことになる。



 会議は最初から1ヶ所で開かれたわけではない。新教徒(プロテスタント他)はオスナブリュックに、旧教徒(カトリック他)はミュンスターに集まった。そして席次(儀式などの催しにおける座席の順序)を決めるだけで半年をかけた。現代人は「何を馬鹿な」と笑うかもしれない。



 しかし、当事者能力のある有力者がノコノコと出て行って暗殺されないとも限らない。まず不信感を取り除く、そのためには敵(すなわち悪魔)とも話し合うことを双方が了解しなければ、会議そのものが始められない。



 また、外交席次は国家の格付けを意味する死活問題である。これまた、参加当事者全てが納得する理屈をひねり出さねばならない。



 こうした「格付け会議」は、現在に至る外交儀礼の確立をもたらす。「大使は公使より格上である」「陛下は閣下より格上である」「君主は対等であるが、席次は就位順にする」などである。



 さらにこの会議では、当時まだヨーロッパ公用語であったラテン語の不使用が提議され、各国の代表は自国語を使用した。こうした格付けや言語の問題の決定的な変化によって、「主権国家は対等である」という事実が積み重ねられてゆく。



 会議の間も戦闘は続き、1648年夏にフランス・スェーデン連合軍が、神聖ローマ帝国とバイエルン軍を撃破し、オーストリア・ハプスブルク家の要衝プラハを包囲して、戦局は決定的にプロテスタントとフランス連合軍に有利となった。



 三十年戦争は、1648年1月30日のスペインとネーデルランド(オランダ)の講和条約を皮切りに、最終的には10月24日の講和条約正式調印に至り、終結する。

 近代国際法は、三十年戦争(1618年~1648年)を抜きにして語ることができないということが、おわかりいただけただろうか。




ウェストファリア条約の締結により、神聖ローマ帝国は瓦解する


 ウェストファリア条約の主な内容は以下の通りである。



 ①アウグスブルク条約の破棄

 ②(ハプスブルク世襲領以外の場所で)信仰の自由を認める

 ③神聖ローマ帝国の立法権と条約締結権は、ドイツ諸侯からなる帝国議会により拘束される

 ④帝国諸侯の統治権は、帝国と皇帝に敵対しない限り認められる

 ⑤スイスとオランダは神聖ローマ帝国から正式に独立する

 ⑥フランスとスェーデンの領土拡張を認め、スェーデンは賠償金を受諾



 ④帝国諸侯の統治権は、帝国と皇帝に敵対しない限り認められるという取り決めは、実質的に神聖ローマ帝国に瓦解をもたらすものであった。これにより神聖ローマ帝国(ドイツ)は300の諸侯が割拠する状態に分裂し、フランスとイングランドに都合のよい状態が、今後200年続くことになる。ちなみに、その200年後にドイツを統一するプロイセンは、三十年戦争で地位を向上させるが、まだポーランドの傭兵集団にすぎなかった。



 この条約によって成立した体制を、ウェストファリア体制と称する。世界中の国際法の教科書では、次の3つの要点が強調される。



 ①帝国からの主権国家の独立

 ②対等な主権国家の並立

 ③教会権力と世俗権力の対等



 ウェストファリア体制(1648年)の成立以降、ローマ教皇や神聖ローマ皇帝の支配を脱しようと、オランダ・フランス・イングランドで始まった絶対王権による国家の統一の動きが、急速にヨーロッパ中に広まっていくことになる。



 しかし、この当時にできあがった国家とは、現代の国民国家ではなく、領邦主権国家である。国とは国王や特権階級の人々のものであり、そこで暮らす民衆はその人々の持ち物にすぎなかった。国王はその領内で権力を行使し、全ての特権階級を従わせる。そして他の国王の介入を許さないことで、現在に至る主権国家の原型がこの頃から形成されてゆく。



「戦争はなくせない」という思想が文明をもたらした


 三十年戦争の最中である1625年、オランダ人のフーゴー・グロチウス、『戦争と平和の法』を記し、国際法の必要性を訴えた。グロチウスの主張を現代的に理解すると、「戦争に良いも悪いもない。だからこそ戦争にも守るべき法がある」となろう。重要な点は、グロチウスは「戦争が悪である」とは主張していないということである。グロチウスは、そのような短絡的な思考はしない。

フーゴー・グロチウス(1583年~1645年)


 ここでグロチウスが提唱する「法」とは、現代国家が国会で制定する法律のようなものではない。むしろ、自然界に存在する法則のようなものである、という理解の方が正しい。グロチウスにとって「法」とは、制定するものではなく、発見するものなのである。これを自然法思想という。



 グロチウスの提唱、そしてウェストファリア体制以来、人類は国際法の発見と発展に尽力してきた。誰かが「発見」した際に認められて(合意されて)、国際法は確立される。


 

 そのような蓄積のうえで、現代においても最も確立された国際法だと認められる法則が3つある。



 ①世の中の状態には戦争平和の区別があるということ

 ②戦争において味方中立国の区別があるということ

 ③戦時において戦闘員非戦闘員の区別があるということ

 


 戦争をなくすことはできない。たとえば、「戦争をなくそう」と全世界の国が条約を結んだとしよう。宣戦布告で始まり講和条約の発効で終わる国家間の決闘としての戦争は根絶できるかもしれない。では、全ての諍いが消滅するであろうか。宣戦布告を行わないで戦いを始めるだけである。世の中に戦争がなくなることはありえないのであるから、①の法則は自明の「発見」だということがいえる。



 発見された法則は自明であるが、どこまで実質を伴うかは、国際社会の主体である主権国家がどこまで発見された国際法に忠実であるかが関わってくる。すなわち、国際法の確立とは慣習が蓄積されることにある。



 では、どのようにしたら慣習を蓄積することができるのか。何よりも軍事合理性に適っていることが必要である。たとえば、軍使を殺すと敵だけではなく味方にも不利となる場合がある。だから、殺すべきではないという合意を広げる形で慣習を蓄積し、国際法が確立していくのである。軍事合理性を抜きにした理想など存在しないのだ。



 ちなみに、軍使に期限を求められる外交官は、軍人の派生職種であり、相互に公認し合ったスパイなのである。国際法は、スパイのような非合法な存在を否定するが、そのような非合法な存在を想定してできている。



 また、外交言辞において相手の(スパイなどの)非合法行為を避難することはあっても、そのような悪徳行為は当然ながら、自分もやっていなければ主権国家失格である。日本人はよく外国人から、「建前と本音を使い分ける」などと言われ批判されるが、これこそ欧州人の「建前」による非難にすぎず、日本人だけがこのような非難をされている時点で、彼らの方がむしろ本音と建前を巧妙に使い分けていると考えるべきである。



 このことを理解できている日本人が、今何人いるであろうか。