かくれんぼ -7ページ目

かくれんぼ

私の物語の待避所です。
よかったら読んでいってください。

 

 

 

どれくらい経っただろうか。小宮さんの優しい声が私を目覚めさせた。

 

「終わりましたよ、千沙さん」

 

「もうですか?」

 

眠たい声で聞き返す。私は、体を起こしベッドから立ち上がった。

 

すると、その瞬間、私はあることに気が付いた。驚いて小宮さんの方を見る。小宮さんは私を見ながらクスクスと笑った。

 

「どう?体が軽いでしょう?」

 

「えぇ。生まれて初めてですよ、こんなに軽くなったのは。今なら空だって飛べそうです」

 

あまりの可笑しさに笑みが零れる。どうしてだろう。なぜか心の底から嬉しさが込み上げてくる。可笑しくて仕方がない。私は壊れたように笑った。

 

「あなたの体が軽いのは、ストレスが一切なくなったからです。体の重さの四分の一はストレスからきています。だから、それをなくせば必

然的に体が軽くなってしまうんですよ」

 

へぇ、と言いながら私はまた笑った。そんな私に、小宮さんは尋ねた。

 

「安月さん、あなたにとって良平君はどんな人かしら」

 

良平?良平は私の大切な彼氏様だよ?何を言ってるの、この人は。面白いなぁ。私は笑いながらそう答えた。

 

あれ、そういえば私、どうしてここに来たんだっけ?っていうか、なんか私、生まれ変わっちゃった?世界ってこんなに明るかったっけ?

 

小宮さんは私の反応をノートに書き留めていた。どうしてそのようなことをするのだろうか。不思議に思ったが、口には出さないでおいた。

 

私は、ふわふわとした気持ちのまま代金を支払い、店を出た。一回たったの千三百円。それだけのお金で、こんないい気分になれる。そう考えれば安いもんだ。私は軽い足取りで家路を歩いた。

 

翌日から、私の人生は一変した。

 

怖いものがなくなったからだ。嫌なことがあればすぐに消せる。なので、必然的に私の脳内は常にハッピー状態。マイナスな感情なんて、

もう思い出せない。毎日が楽しくて嬉しくて。亜希からは親友って呼ばれるようになったし、良平からは世界一可愛いって言ってもらえる

し。幸せすぎて死んでしまいそうだった。

 

その内、私はあのお店に行く回数がどんどん増えていき、半年後には二日に一回はお世話になるようになっていた。どうかしてる、と心の中で思いながらも、あの心地よさを手に入れたくて、もう自分では止めることができなかった。出費もかさんが、バイトをして何とかやり繰りしていった。

 

でも、次第に私は自分の異変に気付き始めた。

 

放課後に必ずお店に通うのが恒例になっていたある日。私が教室に入ると、亜希が嬉しそうな顔で私に二枚の紙を差し出したのだ。何かと思ってみると、それはライブのチケットだった。

 

「千沙、見て!これ、あんたの好きなバンドのチケット!すごくない⁉今日、千沙が誕生日って聞いて、速攻で買ってきたの!」

 

顔を上気させる亜希。けれど、私の心は何も反応しなかった。そのチケットを見つめて、ただぼぉっとするだけ。何も感じられない。

 

おかしい。

 

私は慌てて作り笑いを浮かべた。そして、ありがとうと言いながらチケットを受け取る。しかし、亜希は首を傾げて私の瞳を見つめてきた。

 

「千沙、大丈夫?」

 

「別に大丈夫だよ、全然普通だし」

 

ひらひらと手を振りながら自分の席に向かう。けれど、亜希の目は私を追ってきた。何かを勘ぐっている。そんな目つきだった。

 

私は席に座ると、頭の中を整理させた。落ち着かない心臓に手を当てながら深呼吸をした。

 

取り敢えず、先ほど受け取たチケットを見つめる。それは、紛れもない本物のチケットで、私の大好きなバンドのものだ。でも、なにも感じない。嬉しくもないし、高揚感もない。それはまるで嬉しいという感情が消えてしまったかのようだ。

 

どうして?

 

嬉しいはずだ。笑え、自分。

 

試しに口角を上げてみる。しかし、うまく笑えない。その顔は口角がニッと上がるだけの不気味な笑みだ。誰が見たってお世辞にも笑えているとは言えない。

 

けれど、不思議だ。嬉しくないが、悲しくもないのだ。焦るけれど、失望感に襲われない。不思議な感覚だった。無感覚というべきだろう。

なぜ、消えてしまったの。私はマイナスの感情しか消していないはずなのに。どうして?

 

自分の心の変化に戸惑いながらも、私は今まで通りに生活することにした。お店にも通う。小宮さんにこの事態を伝えようか迷った挙句、結局伝えないことにした。伝えてしまったらいけない気がしたからだ。

 

でも、それからの日々、私は普通に生活することが難しくなっていった。

 

笑うことがもできなければ、泣くこともできない。感情を忘れてしまった私には、もはや生きる意味なんてなかった。だんだんと、焦りも恥じらいもなくなっていく。感情が音を立てずに私から遠ざかっていく。

 

少し怖くなった私は数日間、あのお店に行くことをやめることにした。全ての始まりはあのお店だ。だから、そこに行かなければ感情を取り戻せるかもしれない。消されてしまったマイナスの感情も、なぜか消えていったプラスの感情も。

 

けれど、耐えられなかった。あのお店に通わなくなってから三日経った日、私は激しい眩暈と吐き気に襲われた。登校途中だったため、すぐに道路の端により座り込む。道行く人々は、私を怪訝そうな目で見つめた。腹の底から這いあがってくるような吐き気。しかも、眩暈のせいで目の前が歪んで見える。

 

止めた途端にこんな風になるなんて。これじゃあ、まるで麻薬の禁断症状じゃないか。私はどうしてしまったのだろう。自分で自分が恐ろしくなる。

 

耐えきれない。

 

そう思って私は無意識のうちに、あのお店へと向かっていた。

 

お店のドアを開けると、私を見た小宮さんが慌てて駆け寄ってきた。そして、近くにあったソファーに座らされる。

 

「大丈夫ですか⁉」

 

声が遠く聞こえる。

 

「今、お水持ってきますね!」

 

小宮さんは、立ち上がると奥の方にある簡易キッチンに向かった。数秒後、水の入ったグラスを持って帰ってくる。私はそのグラスを手に取り、チビチビと飲んだ。

 

どうにか落ち着くと、私は小宮さんに尋ねた。

 

「小宮さん、私はあなたに聞きたいことがあります。私、今、感情がないかもしれないんです。小宮さんは、私のマイナスの感情仕掛消していませんよね?でも、私の中でプラスの感情も消えてしまったんです。どういうことですか?しかも、数日間、このお店に通わなかっただ

けで、こんな風になってしまうんです。どう考えてもおかしいですよね?あなたは一体、私に何をしたんですか」

 

吐き捨てるように言葉を紡いだ。私の中にある、精一杯の不満。小宮さんは私を見ながら言った。

 

「でも、それはあなたが望んでしたことでしょう?」

 

「はぁ?何を言ってるんですか。私はただ、マイナスの感情を消しただけです」

 

「そうね。あなたはあの一回でやめておくべきでした。その点については謝ります。しかし、それ以来このお店に通うようになったのは私のせいではありません。あなたが望んで来たんです」

 

「じゃあ、なぜ私のプラスの感情は消えたんですか?小宮さんがやったんでしょう?」

 

「言ったでしょう、最初に。たまに副作用が起こってしまう方もいますがって。

ところで。あなたは、二元論って知ってますか?例えば、朝があるのは夜があるから、女がいるのは男がいるから。というように、世界や事物の根本的な原理として、それらは対極する二つの原理や基本的要素から構成されるという考え方のことです。つまり、私の感情ダストボックスに置き換えれば、マイナスの感情を消しすぎると、プラスの感情も比例して消えていく、ということになります。あなたは消しすぎたんです。それに、消しすぎたときに、ストレスが溜まると、さっきみたいに禁断症状が現れます」

 

ちょっと待って。どういうこと。マイナスの感情を消してしまえば、プラスの感情だけの幸せな生活ができるんじゃないの?どちらも消えてしまうって、そんなの知らないよ。

 

「小宮さんは、最初から知っていたんですよね?もしかしたら、私の感情が全て消えてしまうかもしれないって。どうして止めてくれなかったんですか」

 

私の質問に、小宮さんは嘲笑ったような笑みで答えた。

 

「私、サディストなんです。他人が壊れていくのを見るのが、大好きなんです。それに、このノートに何が書いてあると思う?私があなたの感情を消すたびに書いていたノート。別に少しの会話くらい書き留めなくても覚えていられますよ。これには、あなたが壊れていく様子が書かれているの。他の方のも載ってますよ。見ますか?とても面白いですよ」

 

「あなた、狂ってる。おかしい。お願いだから、私の感情を元に戻してください。捨てれるんだから、戻すことなんて簡単なんでしょう?」

 

私は小宮さんの肩をゆすった。早く元のような体に戻りたい。その一心で頼んだ。

 

「そう、戻りたいの。なら、戻してあげます。でも、それには準備が必要なので数日待ってください。そうしたら、戻します」

 

「本当に?」

 

「えぇ、本当ですよ」

 

私はホッとしてソファーに座りなおす。小宮さんは、そんな私を見て言った。

 

「でも、気をつけてください」

 

「何をですか?」

 

「今のあなたの状態で、深い絶望を受けてしまうと……」

 

「うそ、ですよね?」

 

しかし、小宮さんは小さく笑ってごまかした。私は数日後にまた来る約束をして、お店を出た。

 

お店を出ると、一件のメールが入っていた。見ると、良平からだった。内容はシンプル。話があるから家に来てほしい、とのことだ。良平は今、学校だろう。私はどうせ休み扱いになっているはずだから、放課後にでも行こうかな。そう思いながら家へ帰った。

 

 

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