僕が尊敬する秋山仁さんのメッセージです。

~濃く熱く、ひたむきに生きる仕事人に聞くライビング・メッセージ!~
http://c.filesend.to/plans/yuigon/body.php?od=20100309.html&pc=2

以下転載

第13回 秋山仁氏(理学博士・数学者)

よく死ぬこと=よく生きることだと言います。

各界の一流仕事人の人生観・死生観にせまる連続インタビュー第12回目は、
「受験の神様」、「数学渡世人」こと秋山仁教授の"唯言"をお届けします。

◆バカは、ゆっくりとしか進めないが、たまに小さくても美しい真実を見つけられる。

 できる人というのは、マラソン・コースをバイクで走る人である。素早くゴー
ルインできるが、道の傍らに咲くきれいな花を見つける余裕はない。
 オレは地べたにはいつくばって、42,195kmの道のりを1cm、また1cmと進ん
できた。だから、道端に咲くさまざまな可憐な花々、美しい花々を愛でることが
できた。その花々が、離散数学の分野でオレがつくった定理の数々だった。
(『秋山仁の 落ちこぼれは天才だァ』/講談社より)


「超一流の人間には、すぐに見てわかる共通点がある」とは、どこの大学教授の
弁だったろう、「明るい・子どもっぽい・淡々としゃべる」だそうだ。なるほど~
・・・とうなってしまった。これまで当コラムに登場してくださった方は、職業
を問わず、この三要素が当てはまるように思う。「なんだ、そんなこと」と思わ
れるかもしれないが、試しに「この人デキる」と思う知人を思い浮かべていただ
くと、三拍子全てが整う方は、滅多にいないのではないか。

 特に「子どもっぽい」が難関で、たいがいは社会に出るとオトナの鎧で身を固
め、子どものようにコーフンし、夢中になり、フシギがる心が縮こまる。そして、
カッコつけたコラムを書きたがったりする(反省)。

 一流と呼ばれる方は確かに子どもっぽい・・・というより、子どもめいた無邪
気さや熱心さで、自分の取り組みを、とっておきのおもちゃを披露するように語
る。だから人を惹きつけるのか。それでいて常に自分を肯定しているので、感情
が穏やかで、恬淡としている。「明るい」は、仕事に限らず、人生を前向きにつ
くる条件であることは異論がないだろう。というわけで、この三要素は、初対面
で“超できるヒト”を一瞬で見抜く「定理」になるのではないか。・・・「証明」
はできませんが。

 秋山仁教授に初めてお会いしたときも、「インテリジェンスに裏打ちされた、
静かな茶目っ気」が印象的だった。話される言葉が詩的であることにも感心した。
テレビでおなじみ、ギョロ目をむいて口角泡を飛ばして講義される印象が強かっ
たが--。楽曲のように整合性のある語り、一定の美しいアルゴリズムのような
ものがあるのは、数学を極めた方だからなのか。先生は今、自らを“数学詩人”
と称している。

「世間の目にはどう映るか知らないが、私自身は、真理の大海は発見されないま
まで私の眼前に横たわっているのに、砂浜で遊びながら ときどき普通よりも滑
らかな小石や美しい貝殻を見つけて楽しんでいる、一人の少年にすぎなかったよ
うに思う」

 これはニュートンの言葉。この偉大な数学者も、ただ明るく子どものように、
恬淡と自分の仕事を語っている。 (以下、敬称略)

唯言その一
◆努力は報われず、正義は滅びる
高校時代は学年で最後から2番目だったという。
――幼少時代から、いつもきょろきょろと行動不安定だったという秋山は、小学
時代はのびやかな自然児として過ごしたが、中学受験の全敗を皮切りに、「七転
八倒」の学生時代を歩み始めた。落ちこぼれエピソードにはことかかない。

 高校時代は「才気走った不良」をめざし、頭突きの練習などに励んでいた秋山
は、授業中に漫画やエロ小説を読みふけり、学年でビリから2番目の成績をとっ
た。教師に「なんでもいいから、質問をしてみろ」怒られ、「黒板に書いてある
“10g”ってなんですか」と聞いた。「これは対数記号のlog(ログ)だ、バカ!」
ということで、ついたあだ名は「10グラム男」。『聞くは一生の恥、聞かぬは一
時の恥』『努力は報われず正義は滅びる』などの冴えない人生観をつちかった。
 一方で、中学から数学クラブに属し(当人曰く、女子にモテたかった)、正多
面体が五種類しかないことを自力で証明し、教師達を感心させたこともある。頭
が悪かったというのは、学者のニヒルなてらいではないか?
「いや。それは中学時代から数学は好きだったし、分野によって、たまには快挙
もあったけども、全般的に成績は良くなかった。ずーーっと、数学に片思いして
いただけだと思う。この片思いを続けたら、いつか両想いになることもあるだろ
うと。オレは、その執着心と屈辱に耐える力だけが人より強かったんだよ」


画一的な競争に弱いためか、志望校にはことごとく連敗。大学では大量のアルバ
イトをこなして自活しつつ、酒&女性&旅三昧といった放蕩にふけるが、数学だ
けは自己流でガムシャラに勉強した。そして「今度こそ数学を究めよう」と懲り
ずに進学しようとするが、教授に「大学院というのは、病院じゃない。頭の悪い
奴が行くもんじゃない」と突き放され、仕方なく他大学院を志す。院生時代も、
指導教授に「数学界に生息できない生物」と言われ、研究報告をゴミ箱に捨てら
れるなど、屈辱まみれの日々を送る。

 いっそのこと、競争相手がいない分野に進めば力を発揮できるのでは?と考え
、「グラフ理論」に目をつけた。まだ日本数学界ではマイナーな分野だった。

 最後の賭けのつもりで、グラフ論理の権威・ミシガン大学のハラリー教授に手
紙を書いたときは31歳になっていた。「きみの送ってきた論文は、使いものにな
る代物ではないが、熱意だけはわかった」と入門を許され、渡米する。しかしそ
の指導は強烈だった。

「『Another Day,Another Paper(1日1本の論文を書け)』ってね。数学者の
世界では、論文は年に1本書けば活発なほうなんだけど(笑)。獅子を谷底へ突
き落とすというか、ヒナ鳥を絶壁の上から飛び立たせてくれた人だったね」

――秋山はろくに食事をする暇もなく研究を続けた。毎日作り置きのカレーを食
べ続け、顔は黄色くなった。「病気になるような弱い人間は学者としてふさわし
くない」と、ののしるハラリー教授に何度も殺意を抱くことになったが(笑)、
いざ帰国の段になると、ドケチな教授は素晴らしい餞別を贈ってくれた。

「マクドナルドの割引券か?」と開けた封筒には、全米中を回る航空券と、ホテ
ルクーポン券、講演スケジュール表が入っていた。論文を沢山書き上げたヒナ鳥
のために、全米中に成果を披露する講演ツアーを組んでいてくれたのだった。
「今があるのは、あの先生のおかげだと思う。そうした指導者に出会ってラッキ
ーだったと結びたいけども、それでは人生ってのはラッキーかアンラッキーかと
いう話になってしまうし、自分でもそうは思わない。要するに、その人自身が本
物の師匠を見抜こう、学ぼうという熱意があれば、きっと相手が応えてくれるん
じゃないかと。そういう気持ちがオレにはあったから、先生たちが応えてくれた
んだと思う。本気になって先生の心の扉を叩けば、きっと応えてくれる。叩かな
ければ、通り過ぎていく。やっぱり、『ふれる』・・・・・・心と心がふれるサ
インを発していなくちゃいけないし、そういうものを受信するアンテナを張り巡
らさないと、いい出会いが確かにあったのに、通り過ぎていっちゃう。友情でも
恋愛でも、すべて同じだと思う」

唯言その二
◆「DISCOVER」とは、ただ、覆いを一枚はがすこと

――恩師に鍛え上げられて帰国した秋山は、やがてグラフ理論を含む「離散数学
」の第一人者となってゆくが、日本の数学会に認められるまで、またもやイバラ
の道を進むことになる。さんざんな憂き目にあってもあきらめなかったが、同胞
には脱落した方も多いのでは?
「まあ、ほとんどの人が辞めていったよね。例えば母校の東京理科大学・応用数
学科でいうと、毎年、百何十人の卒業生がいるけれども、いま数学の研究をやっ
ている人は、オレの知る限りでは十人もいない。なぜなら研究者を志しても、ろ
くに食べていかれないし、過去何千年という歴史の中で、ピタゴラスとかユーク
リッドとかアルキメデスとか、優秀な人がいっぱいいて、そういう人達が探した
ことを後追いしても、何の結果にもならない。新しい定理、新事実といわれるも
のを探し当てないと実績にならない。それはゴビ砂漠の中でダイヤを探すような
もんでね。10年間も研究してても、タッチの差で、例えばロシアのサンクトペテ
ルブルグのナントカさんが、2年前にその証明に成功していたとか、そういうこ
とはいくらでもあるんだよ。人生をフイにしちゃう人もゴロゴロいる。だから数
学者っていうのはギャンブラー的な、山師的な要素があってね。実力の他に、運
も大事なんだ」

――ちなみに、そんな数学への思いが実ったと思えるのはいつ頃から?
「一方的な片思いでなく、数学の病みつき・・・というか醍醐味を知ったのは、
やっぱり自分でつたない定理を見つけた頃からだろうね。定理っていうのは、作
るものじゃなくて、既に“ある”ものを見つけるだけなの。例えば、三平方の定
理・・・直角三角形の一辺の長さをx、もう一辺をyとして、斜めの辺をzとす
ると、x2 +y2 =z2 となる。これを発見したのがピタゴラスという人ですが、
ピタゴラス以前にもその事実は成り立っていたわけで、ただ彼が“気がついた”
わけ。仏師の運慶・快慶の有名な話もあるね。『ダイナミックな仁王像を彫って、
素晴らしいですね』と皆に絶賛された時に、『いや、自分は大きな原木の中に埋
まっていた仁王像を取り出しただけです』と」

――それに近いとおっしゃるわけですか。「定理」も掘り出すものだと?
「そう。普通は気がつかないものを見つけるだけ。というのは、英語の原語に非
常に合ってるかもしれない。『discover』(発見する)という単語は、覆ってい
たカバー(cover)をはがす、ということだよね。カバーをめくったら、そこに
真実があったということだね」

――そういう本質や、真実を見出すために、秋山は「カン」が大事だと常々言う
。時宜を得て、「これからは20世紀的な合理性や論理構築より、直感力が大事」
・・・と言われる風潮にあるが、それを養うための秘訣は?
「絶対必要なのは(1)に、夢見ること。これがなくては何も始まらない。 (2)に
は執着すること。その夢のストーカーにならなくちゃいけない。失恋の痛みや、
裏切られた屈辱も、すぐ忘れたりあきらめたりしないで、明日へのバネにするこ
と。皆さんあきらめが良すぎるからね。 (3)は・・・やっぱり知識。知識がな
いと、ひらめくことも出来ない。 (4)に、日常の何の変哲もない日々に、フシ
ギを感じる感性を磨くこと。少年や少女の視線になって『なぜ、どうして』を感
じようとしてみる。大人になると、『面倒だ』と思ってその視線をあきらめるか
ら、それ以上進まなくなる。 (5)に『どうすれば儲かるか』、『どうやったら
得するか』(笑)、何でもいいから、欲望を論理的に考え詰めること。欲望を成
就させるための論理は、必要なんだよ。 (6)に、特に数学なんかだと、大自然
の摂理から学ぼうとすること。これが数学的にもうまくできているから、自然を
観察している人は、発見も多いと思うよ。 (7)は、常識を当たり前だと思わな
いこと。タイヤはなぜ丸いのか。三角や四角いタイヤがあってもいいじゃない。
今までの既成観念を払拭する。というわけで、上司や同僚の言うことも鵜呑みに
しないこと(笑)。『どうしてですか?』って何でも反駁してばかりで、嫌われ
るかもしれないけどね(笑)。 (8)に、生活でもよくある『失敗』から学ぶこ
と。失敗したらシメた!と思うこと。失敗の原因を考えることが、成功の糸口に
なることが往々にしてある。大きな結果・・・ノーベル賞を受賞するような方々
は、失敗から学んでいるよね」

――つまり(1)~(8)まで全部やると変人になるということですね・・・。
「そうだね。(9)に、仲間と群れないことも大切(笑)。自分は自分、人は人。
百万人といえど我戦わんという自立心を持つこと。それでまあ、職を失うかもし
れないし、仲間はずれになるかもしれないけど、恐れなくていいんだよ。やるべ
きことはすべてやって、結果や見返りを期待しないで天命を待てばいい。自分の
仕事をきちっとやって、相手への尊敬や優しさだけは忘れないでいれば、それで
人から変なやつだと言われても、いいじゃないか」

唯言その三
◆「青春とは、人生のある時期を指すのではなく、心のあり方をいうのである」

――秋山は、一度結婚したことがあったが、研究に没頭すると、炊きたてのご飯
を用意して待つ妻のもとへ帰宅することも忘れてしまい、結婚生活は長くは続か
なかったという。自分のなすべきことを究めようとすると、人と寄り添えないこ
ともある。寂しさはないのだろうか?
「寂しい・・・のはね、まあいろんなレベルの寂しさがあるけども、まともな人
間だったらみんな寂しいと思うんだよ。逆に『幸せ』って言ってるやつはあんま
り信じられないな。深く考えてないんじゃないかと(笑)。いつ愛する妻に逃げ
られるかわからないし、上司から突然リストラを言い渡されるかもしれないぞと。
だからこそ、やるべきことをやっときゃ、それでいいんだ。そうすれば“やるだ
けやった”と穏やかな気持ちで終われると思うよ。それは、死生観ということに
つながるかもしれないね」

――正直に言えば、わたしは死ぬのが異常に怖いのでこのコラムをやらせて戴い
ているのですが、仕事を夢中でやりきったなーと言う日は、たしかに「明日死ん
でもいい」です。脳が痺れているせいか(笑)。
「私は、死ぬことについて思うにはね、『その時』まで最善を尽くして、まだ生
き永らえるんだったら、生きている間は生きようと。幼少時のカウンセラーの、
岡宏子先生という方がおっしゃたんだけど、『生きている時は活きろ』。すなわ
ち、生きている間は自分の意思に従って、活発に行動せよ・・・と勝手に解釈し
ているんだけども。いつ命が絶えるかは神様が決めることで、われわれ人間の手
が届かないところだから、そこは恨みっこなし。今日のことばが本当の遺言にな
るかもしれないしね(笑)、ハハハ」

――光栄ですが、そんなことを言わないでください。ちなみに、数学者が死後の
世界がどうとおっしゃったらビックリしますが、その辺りは。
「良い行いをすると天国に、悪い行いをすると地獄に行くと言うけども、もしそ
うだと私は地獄に行くと思うから、ホントにあったらイヤだなーと思ってる(笑)。
死後の世界は、誰も見たことがないけれども、現世をちゃんと生きるための教育
的な教訓として、大切だと思うよ」

――なぜ、地獄に落ちると?
「それは・・・。言っていることと、やっていることが必ずしも一致しない気が
してね、日々、悩んだりすることはあるんだよ。つまり、周りのことを、だいた
いバカバカしく感じてしまうので・・・」

――一瞬言葉を濁されたが、これぞ秋山節、とうれしくなった。この意気でわれ
われ数学難民を叱ってくれなくてはつまらない。生来が“不良”の秋山なので、
単なるリップサービスかもしれないけれど。・・・「あの世」話はともかく、人
生の最期まで豊かに生きるために、必要だと思うことはなんでしょう?
「青春を貫くことだよね。サミュエル・ウルマンという詩人は、『青春とは人生
のある時期を指すのではなく、心の様相をいうのだ』と言っている。・・・人間
は年齢(とし)を重ねた時老いるのではない。理想をなくした時老いるのである、っ
てね。情熱、夢、希望を追いかけている人間っていうのは生きている人間で、守
りに入って今後をつつがなくやってこうって思う人は、もう終わりに向かってい
る。まぁ、価値観も人生観もいろいろあるけれども、私はどっちかというと前者
のようにアクティブに生きたいなあ。数学でもまだまだ、いい定理をいっぱい見
つけたいし、作詞もやりたい、歌も歌いたい、いろんな芸術作品も作りたい、み
んなを喜ばせたい、若い人たちに数学の面白さを伝えたい。いっぱいあります。
これからなんだよね」


唯言その四
◆数学の醍醐味…それは『未来永劫、真実であり続ける』

――まだまだこれから、若い人たちに数学の面白さを伝えたい! 良い研究者=
良い教育者であれかし、と米国留学中に叩き込まれた秋山は「数学伝道師」とし
てTVでカラクリ模型を用いて講義し、「国際数学オリンピック」に日本を初参
加させ、お受験改革を訴え続けた。非難ゴーゴーでも辞さなかった。
「難問を、短時間で正確に解ける人間が、数学の能力があるということになって
いるよね。確かに一面、そういうところもあるんだよ。入学試験ではね。だけど
実際に数学の研究活動をやってると、時間的制約もなければ、解答なんて有るか
無いかもわからない。いかに強い思い入れをもって、ずーっと続ける能力がある
か、なんだよ。そして問題を解くと同じくらい、問題を探すことが大切。例えば
『フェルマーの予想』っていう問題が中世に出されて、多くの数学者が挑戦し続
け、人生を棒に振った人もたくさんいた。300年以上、数学者という数学者を興
奮の坩堝にいざなったフェルマーは、やっぱり凄いと思うんだよ」

――すいません。それ、ピタゴラスの定理が三乗とかになるやつでしたっけ・・
・?
「そう、直角三角形だとx2+y2=z2を満たす整数の3つ組はたくさん存在す
るが、二乗のところを三乗にしたとたん、成り立たなくなる。『これが成り立つ
整数は、いくら探しても一つもない。私はそれを発見して、首尾よく証明に成功
したが、残念ながら自分のノートには余白がない』と言い残して死んだのが、フェ
ルマー。人騒がせな御仁だよね。みんなが血眼になって挑戦したんだけど、証明
できなかった。それを1989年にアンドリュー・ワイルズという学者が証明した。
どっちが偉いかというと、300年以上未解決だった問題を解いたワイルズが偉いっ
て言われるんだけど、オレは二者択一を迫られるならば、フェルマーのほうが偉
いと思う。世界中をあんな大騒ぎさせて、数学のひとつの鉱脈を、そこから切り
開いたんだから」

――どちらが偉いかわかりませんが、フェルマーさんのほうが、面白い人だと思
います。
「フシギを感じる感性とか、みんなが『どうして』という問題を探す能力がある
人は、すごいんだよ。そういうのは入学試験や学校のテストでは出題できない。
というのは、いい問題か悪い問題かなんて誰にもわかんないし、評価しようがな
い。入学試験なんて、ホントにたくさんある測定法のたった一つなんだ。受験数
学ができないから、オレは数学に向いてないなんて思うのはおかしい。学校の成
績はそれほどは当てにならないんだよ」

――では今後、入試制度はどうなったらよいと思われますか。
「なくせばいいの。だって、海外のほとんどの国は入学試験はないんだよ。日本
、韓国、中国とか、極東アジアのいくつかの国々はあるんだけども。入試によっ
て、本当は測定できないはずの人間の能力を測定することによって、やる気をそ
がれたり、大して出来もしないのにその気にさせられたり・・・ということが多
いわけ。だからなくしたほうがいい。でも、そうすると人気大学には人員が殺到
して困るじゃないかと。だったら二つの方法がある。一つは全員を入学させて、
昔の東京理科大みたいに、授業についていけない人を追い出す。来る者は拒まな
いけど、努力しない者は出てってくれと。または、入学試験をTOEFLの試験
みたいに資格試験化する。例えば700点取ったら、5年間有効にするとかね。若
者たちに、本当に好きなものを若いうちからやらせたほうがいい。数点刻みに採
点するなんて、ホントに意味がないよ! 730点と720点でどれだけの違いがある
んだと。このコラム・・・eふぁいるっておっしゃったっけ? 社会人の方も、
学生時代の成績は忘れてください(笑)」

――前回、モード学園の谷まさる学長も全く同じことをおっしゃっていました。
そう伺うと、あの詰め込み暗記の日々はいったい・・・という気になりますが、
本当に自分の好きな勉強を一生続けることは、やらなくちゃですね。最後に、数
学のこれぞという醍醐味を教えていただけませんか。
「やはり『未来永劫、真実であり続ける』ことです。ピタゴラスの定理は二千数
百年前に発見されたものだけれど、今でも真実であり続ける。皆に「そんなはず
はない」と反詑されても、理論的に正しいものは、いつの時代も正しい。たとえ
『孤高の真実』であっても、多数決で真偽が決められないたくましさがある。シェ
イクスピア、モーツァルト、レオナルド・ダ・ビンチ・・・優れた芸術家は多々い
るけども、あと数千年たっても愛されて生き残るかというと、わからないだろう
と。しかし数学の定理は、何千年たっても真理であって、恐らく地球外に通用す
る通信手段にもなりうる。もし今後、宇宙と交信できる何かがあるとすれば、やっ
ぱり数学と、音楽じゃないかな。表現法において、共通点があると思うから」

――55歳になってからアコーディオンを奏で始め、作詞を楽しんでいるという数
学詩人は、最後に「雲の上はいつも晴れ」と著書に記してくれて、ニヤリと笑っ
た。その視線は、せまい世間をとびこえて、どこか宇宙の彼方に注がれているよ
うでもある。

おわりに、唯言伝達人より
◆形見分け

最近、教育者という方のお話を伺うと、必ずといっていいほど話題に出るのが、
石川遼選手、浅田真央選手、北島康介選手、亀田三兄弟――。特殊教育を受け、
個性やオリジナリティを伸ばしてきた若者たちです。

 スポーツ界だけでなく、昨年の国際数学オリンピックで日本は2位だとか。全
体学力は下がっていると言われますが、特異な能力をもつ人達が育成され始めて
います。さらに、大人には考えられない情報活用能力をもつ若者も増えてきてい
ます。数学はそこに大きく寄与しています。

 サッカーのゴールネットは正六角形になり(ふんわり跳ね返る時間が長くなる
らしい)、カーナビは図形の応用で進化し、クレジットカードの暗号には整数の
理論が応用されている。また、某外資系コンサルタント会社では「世界中にピア
ノの調律師は何人いるのか」といった入社試験問題が出され、計算力ではなく、
分析力や発想力、そのプロセスをみようとされています。

 日本は、次第に「自分らしい(数)学力」を身につける時代に向かっているの
かもしれません。ぜひとも身近にある数学を愛でてみよう――かな。そうすれば、
「雲の上はいつも晴れ」という大局的な目線に、少しは近づけるのかもしれませ
ん。秋山先生、どうもありがとうございました。 (了)

《唯言人》秋山仁氏の半生

◇1946年、東京生まれ。中学、高校、大学と受験で志望校に落ちまくる
◇1969年、東京理科大応用数学科を卒業
◇1972年、上智大学大学院修士課程を修了するも、職がなく転々とする日々
◇1973年、日本医科大に助手として就任。独特の講義が話題を呼び始める。5年後に助教授に抜擢
◇1978年、ミシガン大学に留学。フランク・ハラリー教授に師事し、厳しい指導を受ける
◇1982年、日本でグラフ理論を扱った初の学位論文が受理され、東京理科大学から理学博士号取得。国内におけるグラフ理論・組合せ理論発展のパイオニアの一人となる
◇1991年、NHK教育テレビ高校数学講座の講師をはじめ、斬新な数学の解説で「バンダナ先生」と呼ばれ大人気に
◇2010年現在、東海大学教育開発研究所所長、ヨーロッパ科学院会員、NPO法人体験型科学教育研究所理事長など多数の役職を務める。専門誌に100編以上の論文を発表、著書は約90冊におよぶ。最新刊『こんなところにも数学が!』(扶桑社)、『数学ワンダーランドへの1日冒険旅行』(近代科学社)、大好評発売中。