ひとりの作家に密着して読み続けることは少ないのに、はや7冊目か、8冊目の犬養道子。
「ある歴史の娘」。
この本を著者の自伝と読むことも出来るし、第二次大戦までの昭和史として読むこともできる。
ともかくも、私にはたいへん面白かった。
犬養毅の孫娘として、人の出入りの多い家に育った彼女は、非常に多くの人と接し、多くの出来事を見た。
いつも家にいる五十絡みの客人。
「南さん」と呼ばれていた人、いつもベランダに向かって椅子に腰掛けていた人の素性を母に尋ねると、
その人は安南(今のヴェトナム)の最後の王であった…。
彼は若き日に、安南を占領していたフランス政府から、傀儡国家の皇帝位を約束されながら、
革命を志して相愛の美妃と二人の王子を棄てて、日本へと亡命してきたのであった。
5.15事件。
祖父犬養毅は青年将校の凶弾にたおれる。
その弔いの席で、「道っちゃんよ、気分が悪いのか」と馴れ馴れしく話し掛ける見知らぬサングラスの男性。
ところが、見知らぬ、と思ったその人の面差しに見覚えのあるものを感じ、
ついで彼の連れていた高等学校の制服姿の青年を見ると、自分とうり二つであった…。
「しかし、廃嫡と言っても…」
「出入り叶わなかった人に遺書はござんせん。…あってもござんせん。」
思いがけず、耳にした父と祖母の会話。
その人は、少年の昔継母であった「お祖母ちゃま」との確執の果てに刀を振りかざし、
家を追われる身となった、犬養家の長男であった。
暗殺のその日、家族のうちで唯一人、現場に居合わせた母は、
「大旦那様をみすみす殺させた若奥様」として、女中や自称近戚の一家から、
お嫁いじめの矢面に立たされることとなった。
しかし、母は冷静を失わなかった。
祖母は極めて怜悧な人であったから、「殺させた嫁」の言葉が
犯人の証言とも矛盾することを見抜いていた。
慶応年間生まれにして、センチメンタルなところの微塵もない彼女は、祖父の喪があけると、
早々に隠居所を構えて、一人隠棲してしまった。
「おかあさん、さみしかありませんか。ひとりで。うちにずっといて下さっていいんですよ。」父は一度言った。
「なにがさみしいのだえ。しとりで何がわるいのですえ」
お祖母ちゃまは胸元をポンと勇ましく叩きつつ、
「お祖父さんがいなくなりなすった。あたしがしとりになったのはほんとのことでござんす。
あたしゃ、しとりがけっこうでござんす…」
祖母は剛毅の人であった。
5.15事件には、右翼の民間人も係わっていた。右翼の大物、頭山満の息である、頭山秀三。
ところが、頭山満と犬養毅とは、(思想はまったく違っても)時の政府に盾突いて、
ともに孫文を匿った仲として、友誼の情があったのである。
「あの世界の仁義とは、妙なものでござんすえ」祖母は言った。
右翼といっても、現代の右翼とはよほど趣の違うのであった。
頭山満は孫文やインドのラスビハリ・ボーズなど、犬養毅とともにアジア各国の亡命者、
革命家を匿いつづけた人物であった。
さて、著者の父、犬養健はもとは白樺派の文人である。
有島生馬や数多の白樺派の文人の出入りした東中野の家。
しかし、「おとうさんを助けるために」政治家に転身した父と、
代議士の妻などは総毛立つほどいやであった母との間は、
根本には互いへの信頼をおきつつも、いつしかさざ波が立った。
だが、母もまた剛毅の人であった。
ゾルゲ事件に連座して、父を勾留すべく特高が乗り込んで来た早朝、
母はきっぱりと「ご心配なく。」と言った。そして娘をせかして機密書類をお釜にぶちこむと、米を入れて、炊いた。
犬養家は石もて投げられる家となった。
母は言った。
「道っちゃん、世間とはこういうものです。驚いてはだめよ。…」
女子学習院を出て津田塾を受験したこと。父と過ごした上海の日々。
両親の確執に心乱れた日々。キリスト教への開眼。
その時代故の、その生い立ち故の振幅。
ただただ、そうか…、と思う。