松浦弥太郎さんの本を読んでいて
突き刺さった文がありました。
ブレーキの使い方![]()
それはたぶん、昔だったら魔法です。
今日送った宅配便が、明日の午前中には、
遠く離れた人のところにまで届いてしまう。
新幹線に乗ればたった二時間半で、
東京から大阪へ行ける。
百年前の人にしてみれば、奇跡です。
三十年前でも、そんなことが起きたら、
みんなびっくりでしょう。
ところが、スピードを追いかけることが当たり前
になりすぎた僕たちは、いつのまにか、
それが魔法であることを忘れてしまいます。
「早く、早く」と急ぐことに慣れすぎて、
立ち止まることが怖くなります。
スピードは快楽だから、中毒になってしまうのかもしれません。
便利さも快楽だから、溺れてしまうかもしれません。
そもそも幼いころから、僕たちは
「前に進むこと」をルールとした
「人生の運転」を学びます。
アクセルを踏み、どう動くか。
ハンドリングし、いかに方向転換するか。
このふたつについては、ずいぶん小さいときから
習ってきたように感じるのです。
いつもアクセルで、どんな時も、誰よりも早く
前に出る。
そんな技術を磨き続けてきた人も、たくさんいます。
しかし、運転に必要な技術は、二つではありません。
一番大切なのは、三つめの技術・・・ブレーキをかけること。
「そんなの簡単だ、学ぶ必要もない」と、
笑う人がいるかもしれませんが、実はブレーキを踏むのは
たいそう難しいことです。
なぜなら、立ち止まるには、勇気がいります。
人との付き合いでも仕事でも、グングンスピードを上げ、
前へ前へと進んできたのに、
ふと立ち止まろうというのですから、
ためらってしまうのは当然です。
止まった瞬間、自分自身が途方に暮れる気もします。
まわりの人に、「なぜ今までどおりのペースで進まないだ」
と非難されそうで、こわくもなるでしょう。
それでも、僕は、いつでもブレーキを踏む準備を
整えていたい。
自分にちょうどいいペースを保ちたい。
スピードが出すぎていたら、いったん止まる権利を、
自分で自分に与えたい。
そんなふうに決めているのです。
理由は簡単。
そうしないと、僕という車は、
事故を起こすか、壊れてしまうから。
山の上のドライブみたいに、
複雑なくねくね道でハンドルを切り続ける。
これが一人で生きていくということです。
複雑なのは、、道だけではありません。
木立から突然、シカの親子が飛び出して
くるかもしれない。
不意に霧が立ち込めて、前方が見えなくなるかもしれない。
そんなとき、ブレーキを踏まずに走っていたら、
事故を起こしてしまうでしょう。
自分という車が、バラバラになるばかりでなく、
道を歩いている人や、生き物を、
巻き込む可能性だってあります。
暮らしや仕事のトラブルのほとんでは、
スピードを出しすぎた結果として
起こります。
それなのに「速いが一番」など、
決めつけるのはこわいことです。
ちょうどいい感情のスピード。
ちょうどいいプロセスのスピード。
速ければいいというのではありません。
ちょうどいいスピードを無視して
一人で飛ばしたら、協調しているつもりが
たった一人で違う道を突っ走っている、
なんてことにもなりかねません。
だから、いつでもブレーキをかけて
止まることができる
「自分のペース」を守りたい。
ブレーキをかければ、飛ぶように過ぎていくだけだった
まわりの景色が見えてきます。
いったんとまれば、
この道をまっすぐ行けばいいのか、曲り角にさしかかっているのかも、
はっきりわかります。
新しいことを始めるときは特に、
いつでもブレーキを踏める、ゆったりした
ペースで走りだしましょう。
曲り角では、大丈夫そうでもいったん止まりましょう。
ブレーキを踏むというのは、よく考える
ことでもあります。
人から聞いた話ですが、トップクラスの
F1ドライバーは、アクセルではなくブレーキの
踏み方がうまいそうです。
立ち止まることも、速度を落として走ることも、
宅配便や新幹線のスピードも、
その都度、その都度、使い分けていく。
これもちょうどよい暮らしではないでしょうか。