おまえは片寄っている、と言われるでしょうけれど、

そもそも既に片寄ってしまっている、

バランスがとれていない社会に対して批判します。

揺り戻しの意味を込めて。

 

 

体育会系の誤り。スポ根の勘違い。スポーツ偏重社会への疑問。

 

基本的に、スポーツをしていない人に対して、

マイナスイメージで語る人が多すぎる。

文化系は暗いとか、消極的だとか、そういうことを言い放つ。

 

本来、趣味も仕事もスポーツも、好みの事を各自勝手に、

やりたい人がやればよい。

やれない人だっている。

やりたくない人もいる。

 

そして、他人に多数派の価値観だからと言って押し付けるな。

それぞれの自由だし、それぞれの事情や都合もあるのに。

 

 

なのに、十把一絡げに言うのだ。

スポーツをしないとダメ、という話の流れになっている。

 

世の中全体が、思考回路も含め伝染病のように体育会系になってしまっている。

世の中全体が、体育会系に片寄りすぎてしまっている。

 

それが証拠に、

スポーツの「勝てば良い」は、実社会の「即戦力」「儲かれば良い」という、

速やかに結果を出すこと「だけ」しか重視されない、に繋がっている。

 

何かにつけ、ただ「勝てば」良い「だけ」、最終結果しか評価されない。

勝つための手段は、殆ど問われない。そして、同じように、

儲けるための手段は、殆ど問われない。

社会全体のモラルが低下するのは、これが主因だろう。

唯物論的な、結果論的な。そんな価値観と結合して。

 

そこには、弱い人、負けた人に対しての愛がまるで無いのだ。

弱肉強食という言葉まで持ち出して彼らは声高に語り憚ることもない。

 

そんな社会の中で、

スポーツをしていないと、まともな人間でないような扱いをする。

文化系への評価が無闇に低すぎる。

 

世の中が全部、体育会系のスポ根精神構造に完全支配されたら、

はっきり言って荒廃する。暴走するのだ。根性根性と、それだけ。

 

そんな精神論で暴走した悲惨な歴史を、日本人は忘れたのだろうか。

過去の戦争。軍隊が中心になって、精神論ばかりを重視し、

根性根性などと吹き込み、若者たちを戦地に送り込んだ。

 

今でも、日本の社会全体にその精神構造は染み付いたまま。

どこを見ても大日本帝国の軍隊のようなノリ。

体育会系部活動は最たるもの。この酷暑に我慢してトレーニングなんて、

根性以前のクレイジーな話なのに。命の危険も有るのに、

我慢とか根性とか。理性のかけらも見られない狂気としか思えない。

 

それはまさに、極論として言えば神風特攻隊と同じだ。

死をも厭わず戦うのか。精神の方向は同じ。

 

狂気を正当化するためにスポーツが有るのではないのに。

本末転倒だ。

健康を維持し、適度に楽しむためにあるのが本来のスポーツのはず。

「適度」を完全に忘れているとしか見えない。

 

蹴落とし、傷つけ、やっつけるというのは、それはスポーツではなく、

戦争と同じ。

殺戮をして人格形成が出来るのか。

それと殆ど同じ。

試合で勝つことだけしか頭に無い人に、人格形成が出来るのか。

 

ただ勝てば良いだけ。そこから導き出されるものは、

狭い了見。狭い視野。狭いものの考え方。そして傲慢さ。

その世界しか知らないということになる。

 

相撲力士が案外世間知らずだという話もよく聞く。

中学校を出てその世界に没入するのだから、

一般社会の事は、解ろうはずもない。

 

わたしは何度も聞いたことがある。

ある競技の選手が、他の競技を指して、

「あんなの何がおもしろいのか」と。

自分のやっている競技以外を否定するような発言だ。

お互いにそう思っているのだろうか。

だとすれば、その人たちは随分と了見が狭い、視野が狭い。

人格形成以前の問題かと思われ。

 

 

日本の社会全体に、

何事にも、薄っぺらい精神論中心の体育会系ノリがベースにある。

それ自体を、素朴に、疑問に思う。

 

スポーツを通じた人格形成、と、皆で申し合わせたように、

同じフレーズを繰り返し叫ぶのか。

それは本当にそうなのか、それぞれが冷静に考えたことは有るのか。

 

きっと、無いはずだ。

 

言っておくが、

スポーツ所以の人格形成は、無い。と見るべき。

 

文化系の領域では、犯罪のようなことは殆ど見聞きすることはない。

暴力やイジメなど、ゼロではないが殆ど聞いたことがない。

その必要が無いから。まず頭で考えるから、粗暴なことは不要。

問題を起こす素地が基本的に極小なのだ。

 

しかし、

体育会系は、部活動や社会人でも、イジメやしごき、暴力など、

枚挙に暇が無く、それが頻繁に繰り返されているのは事実だ。

特に個人格闘技系は目だって酷い。

どこかの柔道選手が性犯罪を繰り返したり、京都の放火犯も柔道をやっていたとか。

いくら立派な精神論を持ち出してみても、結果としてそういうことだ。

試合以外の場面では、法を守り己れを制する力が涵養されていないのだから。

 

試合で、きちんと「礼」をしていても、私生活では他人に著しい迷惑を掛け、

自分勝手で粗暴傲慢な振る舞いをしているのでは、人格形成を語る資格は無い。

 

何を意味するか、言うまでもない。

筋肉でモノを考えるのだ。いや、考えるまでに至らず先に筋肉が動くのだ。

それは頻繁に自分勝手で乱暴な行動に直結する。

だから、すぐに暴言を吐き、暴力を振るう。傲慢に振る舞う。そして反省しない。

 

スポーツによって我慢強くなるという。競技中は確かにそうかもしれない。

しかし、普段でも我慢強く自制が効くとは言えない。

むしろ練習や試合で溜まったストレスを発散すべく、

やりたい放題を働くケースが多々見られる。まさに本末転倒だ。

 

スポーツでの人格形成は、無い。

 

例えば、だ。

 

例えば柔道をやって人格形成とか言ってみても、スポ根を勘違いし、

勝つことばかりで頭が一杯になって、相手や周囲への慮りの脳力も無く、

まるで愛や礼儀の成っていない非常識な人が結構多いけれど。

 

「試合に勝てば良い」しか頭に無いから、とても身勝手で傲慢になる。

勝ち続けるとその傾向は顕著になる。特に個人格闘技系は酷い。

そんな実例を見ているからこれは断言しておく。

筋肉でしかモノを考えられないのだ。残念ながら。

 

結果として相手への配慮もできない、人格形成がまるでなっていない、

筋肉ばかりを鍛えてみても、脳みその精神性を全く鍛えていないような、

勘違い体育会系筋肉脳みそ人間より、

「**命」と言える、愛すべきヤンキーのほうが、よほど人間的に素直だ。

 

スポーツを全否定はしないが、特に個人格闘系に酷い人が多いのでこれは言っておきたい。

何度も言う。人格形成と運動は関係ない。

「試合や練習中に我慢強くなる」だけが、出てくる効果。

 

それと精神の総合的な質的向上とは、全く別物だ。勘違いしている人が多すぎる。

 

我慢、根性は、必ずしも美徳とは言えない。これを至上のものだとする、

そういったスポ根は、明らかに間違っている。

 

スポーツの極端な偏重は間違っていることに世が気がついていない。

全くバランスというものがとれていない。

「心技体」などと解ったようなことを言うが、

その一番大切な「心」だけがすっぽり欠落しているのが問題だ。

 

例えばそんな人物は、絶対に教職や公職に就いてはいけない。

職場や社会の中で、いずれ自身も必ず問題を起こす。起こしている。

 

そんなのが教員なんてやっているなんて、もう最悪だ。

自覚が無いのが最大の悲劇だ。

 

 

ついでに。日本人アスリートは過度に練習しすぎる。

だから練習中に故障したり本番試合でダメになったりする。本末転倒なのだ。

姿勢が根本的に間違っているから、そうなるのだ。

 

「勝つ」ことしか見えていない、自分の体の具合が見えなくなっているから。

木を見て森を見ていないから、だから肝心な時にあっさり故障する。

簡単なことのはずなのに、

なぜそれをだれも指摘しないのか。直前はイメージトレーニングで充分。

 

 

同じ限られた時間が与えられたら、精神と筋肉のどちらを優先して鍛えるべきか。

持ってゆけない「肉」の筋肉と、

持ってゆける「霊」の精神と。

霊的に賢い人なら答えはもうお解かりだろう。

 

 

今の社会が道徳的にも酷くなってきているのは、弱者が虐げられているのは、

体育会系ノリの責めに負うところが大きいことに、

気がつけ。

 

「勝てば良い」という薄っぺらい価値観が横行しているから世が悪くなることに、

気がつけ。

 

「勝ち負けの無い社会を」作ることが出来るのは、スポーツがメインではない。

偏重することの弊害をきちんを認識分析すべきだ。

 

人格形成、精神修養をする方法は、他にもいくらでも存在する。

スポーツ以外にも、いくらでも勝り優れた方法は有る。

ただ、それ以前に、その人の素地が一番問われるだろう。

 

 

誰にとっても良い社会を創るのに必ず必要なことは、

一番大切なのは、各自の精神性を向上させること。筋肉を鍛えることよりも、

優先すべきは、

まず第一に、

思索を深め、各自の霊性を鍛え、高めることのはず。

 

どうして、だれもこんな簡単な事を指摘しないのだろうか。