私が仏教や日本在来信仰を避ける訳、嫌いになった訳を書いてみたいと思う。
以前に「宗教や信仰って何?」というエントリを書いた中に、日本仏教についての疑問を書いてある。
その他にまだ疑問に思っていること、不満、不信、理不尽に思っていることが実は有った。
まず神社。
自治会の会費徴収に、なぜ宗教団体である氏子会の費用も同時に徴収するのか?
そこの神社の信徒でも無いのになぜ、地域に住んでいるというだけで、強制的に金額指定で自治会担当が集金に来るのに応じて払わないといけないのか?神社は宗教法人で、自治会のような組織と氏子会が癒着していること自体が問題ではないか?
あくまで任意のはずなのに、なぜだ?
自治会費ぶんだけ払って氏子会費ぶんは払わない、という選択肢はそもそも与えられない、それが大きな疑問。
護符の申し込み頒布までも自治会に丸投げ、氏子会そのものはお祭りの時だけで、普段は動かない組織になぜお金を強引にせびりとられなくてはいけないのか?しかも氏子会の会計が不明瞭と来た。一般的な組織としてアウト。
強引な氏子会費徴収は個人の信教の自由を侵害している行為とも言える。理不尽だ。強盗だ。
お祭りの時だけ元気になる(体育祭の時だけ元気になるアレと同じノリです)ヤンキーたちが氏子会の実働部隊=若い衆は殆どが地元の札付きのワルで組織された消防団員たち。そして、
氏子会幹部=自治会重鎮=実質は老人たちの酒呑会。それが実態。
お祭りでいきがって番を張って偉そうにしているボケ老人とヤンキーばっかり。はっきり言ってろくなのがいない。
何でそんな連中に半強制的にお金を出取られなくてはいけないのか。
で、そのようなやり方を自ら疑問としない田舎神社も嫌いになった。
お寺もそうだ。檀家のしばりで半強制的に何かと人足代わりに駆り出される。信仰以前の話になっている。
お布施だってそうだ。「あくまで、お気持ちの額で・・・」とか言いながら、実際は金額が決まっている。
*****円以上でないと、とか、卒塔婆は****円とか、「お気持ち」って嘘か?と思う。金額が少ないと坊さんの機嫌が悪くなるか、後々で嫌な思いをさせられる。
何円以上出すと戒名に**院が付いたり**大居士とか、基準金額が決まっているのが実態だ。
本来、戒名っていうのは、故人の功績(社会貢献)や人徳によって決められる、というか諡られる性質のものだろう。それなのに、遺族が出す金額による故人への変動評価だ、実際は。
どんな悪行を尽くした極悪人でも、よほどのことが無い限り遺族が奮発すればするほど、旧家や大地主や豪農、元庄屋みたいな連中は、どんなに悪どい卑劣な人間であったとしても、無条件でもの凄い戒名が貰える。院殿号付き大居士大姉という類の。いやだね〜。そんな戒名なんていらない。意味も価値も無い。もっともそんなもの、わたしはハナからもらう気は無いが。
そこにもまた、信仰を感じられない。一体・・・
仏の救いも高額なお金が必要ですか?そこから得た金銭で、第一の禁止事項のはずの偶像の他、広大な伽藍や豪華絢爛な本堂内陣を作るのですか。なぜ判で押したように僧侶たちは高級外車を乗り回すのですか。税金は優遇されているのに乗じて、ずいぶんと蓄財している人に生意気な説法をされても説得力まるで無いですが。冷暖房完備の庫裡に籠もって修行サボっていますよね。仏道を広く説いて廻っていませんよね。辻説法や托鉢は殆ど見かけませんが。教会の日曜礼拝、子供たちの日曜学校みたいな行事、お寺では行わないのですか?弱みにつけ込む強盗にしか見えない。
そんな訳で、不正蓄財に励むだけの堕落した生臭僧侶と、仏の教えを全く理解せず守った生活をする気が無い似非信徒で構成されている日本の葬式仏教も嫌いになった。
こんなことを思うきっかけになったのは、(お経の意味も解っていないくせに)自称熱心な仏教徒という者が、人の道を外れて隣人たちを酷い目に遭わせ傷つけ(もちろん周囲からは嫌われているのだが)反省もせず迷惑行為・悪行を積み重ね続け、そういう人から全くいわれの無い酷い嫌がらせを受けたことがあるから。そして、寺の僧侶からそれこそ根拠もない罵言を浴びせられたことがあるから。檀家の事を「金蔓」としか思っていないから。
そのような者たちと同じ仏教宗派をやめたことは、正しい判断だった。
これらのどこが「仏の道」を守り歩んでいる人なのだろうか、と大きく疑問に思った。全然、仏教を実生活で実践していない。実態は悪魔だ。嫌がらせや意地悪、罵言、悪辣な言動、嘘をついたり粗暴傲慢な行動で他人を欺き困らせ苦しめる事を、あなたの拝むお釈迦さんは、あなたにその非道な行いをしてよいと、特別に許可しているのですね。大したものです。ホント。
仏教は死者を拝むものだと思っている自称熱心な仏教徒。仏壇に向かって毎月坊さんが来て家族は死者を必死になって拝むけれども、隣人・社会の幸せをも願う敬虔なる崇高な気持ちは全く見受けられない。そんな人が熱心な仏教徒だとは全く笑止だ。
必死になって死者の供養とか成仏を心配するよりも、自分たちの悪どい罪から来る、自らに降りかかる罰を心配した方がよい、と忠告しておく。
そもそも間違っている。願うのではない。自ら進んで善い行いをしないといけないはずなのに人道を外れた悪事を次々と働くとは。
あんた達、仏の教えなんか全然守っていないじゃないのさ、と。呆れたのだ。
彼らが拝んでいるのは神仏ではない。その柔和とは程遠く世辞にも善人には見えない狡猾な表情からは、拝んでいるのは悪魔なのだろう。直感で思う。
悪事を働く人の願いなど、まともな神仏だったら受け入れないと思うのだがどうだろうか。
こんな連中と同じ宗教宗派というのは絶対に嫌だ。受け入れられん。
日本仏教を棄ててすっきりした。本当に酷いから。
