わずかな資金で手始めに軍の放出品のモーターサイクルを整備し、それとともにサイドカーの船、つまり側車をつくって売った。当時サイドカーはライオンズの天才的なデザインセンスから生み出されたも流行っていて、船の抜群のスタイルは、市場に大いに受け入れられた。サイドカー・ビジネスで成功し、彼は自動車をつくってみよう、という気になる。ライオンズは当時のイギリスのベストセラー、オースティン・セブンのスペシャル・ボディをデザインし発表する。オースティン・セブンは、安価で信頼性が高いベーシックカー、大衆車だった。大衆車とは言っても、この自動車を持つことができたのは中流階級以上の人々ではあったのだが。「しかし、スタイルはいただけない」ライオンズの声が聞こえてくるようである。彼は、ポイントに目をつけ、見違えるようなおしゃれで流麗なクーぺのようなボディを与えた。「オースティン・スワロー」は、まさに燕の如く、飛ぶように売れた。ライオンズはすでにこのとき、大衆の興味は「デザイン」、あるいは「スタイリング」であることを見抜いていた。
博愛精神


ベントリィ・コーニッシュ・コンヴァーティブルとの生活が始まった。朝、所有している車のすべてのキーを持ち、家を出る。自宅から五分ほど歩いたところに借りていた駐車場に横並びになっている愛車たちを眺めたあと、その日の気分で車を選んで出かけることが多かったが、コーニッシュが届いた翌朝は、もちろんこの新しいパートナーと出かけることに決めていた。エンジンをかける前に、静々と乗りこみ、これまでのベントリィと同じように、まずはその極上の時間に思い知らされたことの香りを楽しむ。以前乗ったエイトは新車だったからとりわけ匂ったが、あらゆる面から来るコノリーレザーの香りには参った。このコーニッシュも生まれてから十年ほど経っていたがその香りは芳しかった。とはいえ、フロントガラスのフレームで切り取られた風景は、世田谷の住宅街以外の何ものでもない。だが見え方は車それぞれで違うし、感じ方も違った。なぜだろう、コーニッシュから見る風景は、空がいつもより青く感じられたものである。静かにキーを回す。スターターも調整した箇所だったが、問題なくかかった。