あなたのポジションは?

と聞かれると。

まずは、右利きの右サイド

と答えるのが普通である。


高校時代から、今も変わらず右利き右サイド。




しかし、高校時代には、もう一つのポジションがありました。




『副キャプテン』



と言うポジションでした。


一瞬、聞こえはいいのですが、

私は決してハンドボールが上手なほうではありませんでした。


うちのチームは、


キャプテン1、副キャプテン2、部長1


と言う体制を取っており、

キャプテンは、高校進学がハンドボール推薦で決まっていたほど
上手な選手でした。
(お父上の仕事の都合でうちの高校に来てしまったのですが)


もう一人の副キャプテンは、
天性の運動神経でチーム全員の総意で決定した副キャプテンでした。


部長は、キーパーが務めており、
チーム一穏やかな性格の持ち主だったかもしれません。


そして、私が何故、副キャプテンに選ばれたのか??







監督推薦でした。







その理由は、

『声がでかいから』

ということと、

『相手チームの性格を誰よりも早く見抜けるから』


ということでした。


試合に出ることはほとんどなく、

前の試合のハーフタイムも、自らのアップはそこそこに、

相手チームの選手を偵察するのが仕事でした。


ハーフが終わり、監督の下に、

『相手チームの○番が要注意ですね』
『攻撃のパターンは○○ですね』



等と伝えて、ストラテジーボードを片手に、
アップの終わったチームメイトに、戦略を伝えていました。


試合に出られるタイミングとしては、

レギュラーの靴紐が解けたとき、両面テープが外れたとき

位のものでした。


※何度か、ワンマン速攻要員で出ることはありましたが・・・。


ベンチから、一際大きい声を出し、
チームメイトの指示を伝え、
得点したときには、チームを盛り上げる。


それが私のポジションでした。



それでも、ハンドボール部を辞めることはなく、


そのポジションを誇りに思っていました。


誰よりも、戦術力に長けているという自負がありました。


卒業の時に、マネージャーからかけられた言葉。


『チームの中で、一番。ハンドボールをこよなく愛する選手でしたね』


嬉しかったです。


引退したあとも、練習を続け、選手を続け、今では立派なハンドボール馬鹿。



そんな、経験が、今の私を支える一つの原点かもしれません。


ペタしてね ハンドボールに愛の手を。みんなでつなごう愛とボールを。
先日、クラブチーム初練習の後に、

結婚式の二次会に行って参りました。

以前所属していた、『福岡夢倶楽部』時代のメンバーの結婚式でした。


しかも、男子部員と女子部員!!



なんと、チーム内で出会い、チーム解散後、

それぞれが上京し、そこで出会い、

愛を育み、

この度結婚にいたったと言うものでした。



二次会会場には、今のクラブチームの審判部長とともに、行ったのですが、


会場に着くや否や、


見たことのある女の子が。(もちろん当時の部員です)


私が軽く手を上げると、




きょとん・・・。




もう一度手を上げると、




きょとん・・・。





『俺だ。俺』





『兄さん??』





『です。』
『久しぶりにあってそのリアクションはなんだ。兄さんはお前をそんな風に育てた記憶はない!!』




『すいません。ほんっとすいません』



『まぁ、めでたい席だからいいけどさ』



こんなしょうもないやり取りをしながら、当時の女子部員たちと
思い出話や現状をワイワイしゃべりながら、


新郎新婦の入場。



お~二人とも大人になっとる・・・。



特に嫁のほう。。。



当然です、出会った頃は女子大生。

すっぴん、ジャージで練習しに来てましたからショック!



みんな、になっていたり、社会人になっていたり、になっていたり。



この5年で随分と環境が変わったもんです。




しかし、変わってないものがありました。



それは、皆が口をそろえて言うのです。



『兄さん、またハンドボールしたいです』





お前達。兄さんは嬉しいぞ。(ごくせん風)



今は、妻になり、母になり、社会人になり、
なかなか忙しい日々を過ごしているだろうが、


必ず、お前達がプレーできる環境を準備してやるから。

うちのチームにもいずれ女子部を作る


と高らかに宣言して。


二次会会場を後にしました。


ハンドボールで愛がつながり、仲間がつながった瞬間でした。




ペタしてね ハンドボールに愛の手を。みんなでつなごう愛とボールを。
クラブチーム以外に、

母校ハンドボール部のコーチングを続けて、

早13年(卒業してからずっと)



毎年、学生たちの性格、カラーが違うので、日々勉強なのですが、
これが、自分のマネジメント力やプレーに直結する、
いい刺激になっている。



母校は、年によって、上下はするものの、県でベスト16くらいだろうか。


コーチをしているとはいえ、毎日行けるわけではなく、私以外に部外の監督がいらっしゃる。


監督と私のプレースタイルは違うものの、基本的には、監督の方針に従うことにしている。




そして、





今年も、インハイ予選がやってきた。




@アクシオン福岡


VS.小倉工業



決して、楽勝出来る相手ではない。
練習試合では、コテンパンにやられている。
先代は、小倉工業に引退させられている。


1年越しのリベンジマッチ。


うちの母校は、基本的に荒いプレーに弱い。
工業高校を苦手としているのだ。


まさかの遅刻で、会場に到着。

試合は、一進一退の攻防。


しかし、1度もリード出来ていない。


そう。
1点ビハインドか、同点か。



後半、ギリギリで同点に追いつき、なんとか延長戦へ。


選手の闘争心を信じるしかない。


延長後半、接戦の末、初めてのリードを得て、辛勝



しかし、1年前のリベンジは果たした。


2回戦

VS.宗像



プレースタイルとしては、オーソドックスなチーム。

比較的、得意な相手と言えそうだ。

ここでの課題は、控えの選手を引退大会のコートに立たせてやること。


しかし、意外に苦戦。

後半残り、5分で4点差という微妙な戦い。



なんとか勝利。


控えの選手を出してやれなかった。


それが悔やまれる。



しかし、翌日のベスト8を賭けた試合に向け、モチベーションをあげてやり、その日は解散。



翌日。

VS.泰星



1年生の頃から、練習試合で完敗を喫している相手。
これまで、なんども苦渋を味わってきた。


試合前に、



『先輩達の借りは返した、
次はお前達の番や。
決して勝てない相手じゃない。
気合い入れて行ってこい!!



と伝えると、今まで聞いた事のないような、


『はいっっっ!!


の返事。


これだけで、泣きそうになりながら、後輩達の成長に驚きました。

コーチとはいえ、非常勤。
ベンチに入れるわけでもなく、観戦席から張り上げる声。



すぐにガラガラになってしまいました。

横で見る、去年の選手たちも可愛い後輩達の成長に、最大限の声援を送る。


しかし、勝負とは時に非常なもので。



残念な結果を迎えました。



監督も、ほぼ負けを悟ったのか、控えの選手をコートに送り込む。



コートに鳴り響くホイッスル。



引退が決まりました。



体育館の外で、円陣を組み、大声で泣く選手たち。


引退が決まり、目に涙を浮かべる監督。


その横で、それを静かに見守りました。


監督のコメントも終わり、通常ならば、
顧問、私の順なのですが、
顧問に言って、私は、泣き止んでからにしますと伝え、
一旦、観戦席に戻りました。


2年生たちに、ハンドボールの解説をしながら、1試合を観戦。


しばらくすると、泣き止んだ選手達が円陣を組んでいたので、その前に向かい、


『お疲れ様でした。泣いたら少しはすっきりしたかな?いい試合でした、終わったことは仕方ない、あきらめて、受験勉強に励みなさい。大学に行ってハンドするもよし、卒業してうちのチームに来るもよし。とにかく今日からOB会の末端会員だから、違う意味で厳しく行くからな』


と、当人たちには、冗談に聞こえたかどうかは不明なコメントを残し、会場を後にした。


毎年、この時期になるとハンドボール続けてて良かった。
と、改めて新鮮な思いを蘇らせてもらっています。



彼らが手に入れたものは、
ハンドボールの技術ではなく、
もっと大切な何かであることを願い。




新たな代の
指導へ向かいます。




ペタしてね ハンドボールに愛の手を。みんなでつなごう愛とボールを。