生まれてから

16歳の夏まで

帯広で過ごしました。

5回の引っ越し

6軒の棲み家

通った幼稚園

小学校(転校しているので2校)

中学校、高校。

今回の旅で

それら全てを巡ってきました。




0歳から6歳まで住んでいた

古〜いボロボロの家(西5条)は

自分が帯広に居た頃

既に取り壊されていたので

もちろん無し。

裏にあった

自分のおばあちゃんの家も

跡形も無くなっていました。

ただ

当時から残っていた

家が何軒かありました。

その家からたまたま出てきた

おばあちゃん。

もしかしたら

あれからずーっと住んでいる

人かなぁ…

…声はかけなかったけど。

裏にあってよく遊んだ

広い砂場の空き地も

無くなっていて

家がたくさん立ち並んで

いました。

そこから幼稚園

そして小学校一年一学期まで

通いました。






6歳から7歳まで

住んでいたところ(白樺16条)も

違う家が建っていました。

近くにあった高校も

無くなっていたし

転校し通っていた小学校も

建て替えられていました。

ここには

一年しか住んでいなかったけど

柏林台にあった友達の家に

よく遊びに行ったことや

所々にあった空き地で

暗くなるまで野球をやっていたこと

等など

結構記憶に残っています。

(最近のことは忘れているのに 笑)




7歳から10歳まで住んでいた

家(稲田)は

なんと!

ありました!

会社の事務所かなんかに

なっていたけど。

隣の大家さんの家も

残っていたけど

住んでいる様子は無かった。

そういえば

家のまわりの畑(大家さんの持ち物)

で野球やってよく怒られたっけ。

家の前の道路も

凄く広くなっていたし

通っていた小学校

(また転校して元の小学校に)が

移転して近くにきていました。

ただ…

この家ではあまり

良い思い出が無い。

そして…




自分が10歳のとき

両親が離婚して

兄は父と

自分は母と暮らすことになり

自分たちは

またまた(たまたま)

6歳まで住んでいた跡地に

建てられていた

マンションに引っ越した。

そこで

自分のその後の人生へと導く

できごとが…。

そう。

我が家にステレオがきた

のである。

それまで

開けても暮れても

野球ばっかりだった少年が

音楽にどっぷりハマる

のである。

それは

夜仕事をしていた母が

ひとりぼっちで

寂しくならないようにと

買ってくれたもの。

自分が欲しくて催促したもの

ではない。

けど

その日から

ラジオを聴くようになり

テレビでも音楽番組を

チェックするようになる。

小遣いを貯めて

レコードも買うようになり

野球小僧から

音楽大好き少年に

変わったときだった。

…そのマンションも

別な家何軒かに変わっていた。




引っ越したマンション

小学校はよかったのだが

中学校がちと遠い。

とのことで

4回目の引っ越しは

中学校近く(南町)に。

知り合いが丁度貸しに出していた

家を借りることに。

そこでは

週末になると

たまり場になり

夜な夜な

レコードやカセットテープ

を聴いたり

ギターを弾いたり。

同級生はもちろん

可愛がっていた後輩なんかも

良く泊まりに来ていたなぁ。

部活もやっていて

遅くまで練習したあと

遠くのレコード店まで

チャリ飛ばして

レコード抱えて帰ってくる

なんていうことも日課

となっていた。

毎日が楽しかった

そんな時代である。

…その家は別な家に変わって

いました。




母が自分の店まで

タクシーで通うには遠い大変

との理由で

帯広最後の棲み家になった

ところ(21丁目)へ引っ越し。

まだ中学三年の三学期が

残っていた自分は

遠距離をチャリで通うことに。

しかも冬(笑)

よく耳が凍傷みたくなった。

ただ

小さい頃からの念願だった

ニ階建ては

嬉しかった。

二人で住むには少し贅沢だった

けど。

中学校は遠くなったけど

レコード店がめっちゃ近くに

なったのがラッキーだった。

毎日のように足を運んだ。

今思えば

店員さん

不思議に思っていたかも

いや

怪しい少年だなぁ

と思われていてもおかしくない

それほど通っていた。

春になり

高校に入学し

新たな友達が増えた。

またその場所がたまり場になった。

朝はみんなでチャリに乗って

迎えに来て

時間ギリギリまで

自分の部屋でレコード聴いたり

出始めだったファミコンで

遊んだり。

放課後はゲーセンや

ラーメン屋、喫茶店等で

時間をつぶした後

自分んちにタムろしていた。

その頃

母は札幌で自分の店を出し

引っ越していた。

自分は高校を卒業するまで

帯広に残り

それから札幌へ行く

という約束だった。

なので広い家にしばらく

自分ひとりで住んでいた。

そりゃ遅くまで

たまり場になるよね。

男女関係なく

いっぱい遊びに来ていたなぁ。

男子は音楽、麻雀、ファミコン

女子からはいろいろ

悩み、相談事を受けていた。

嗚呼 まさに青春  笑




…バンドをやりたくなった。

ただ

まわりには音楽好きは居たが

楽器をやっている友人は

居なかった。

札幌の高校に行っていた

友人や後輩と

連絡をとる機会があった。

「こっちにはバンドやっているやつ

たくさんいる!」

「こっち来ればすぐバンド組めるよ」

………。

迷った。

迷いに迷った。

バンドやりたい。

けど

こっちの友人たちとは

離れたくない。

そんなときに母からの電話。

「今すぐ札幌に来てくれないか」

母ははじめての札幌

知らない土地でのひとり暮らし

にヤラれ

参っていた。

札幌へ行く決断ができた。

16歳の夏のことである。




こうして

自分の

16年半の帯広での暮らしは

終止符。

あのときとても辛い別れをした

高校の友人たち

(一年とちょっとしか一緒じゃなかった)

とは今でも交流があり

かけがえのない親友たち

である。



懐かしところ

忘れられぬところ

あるものは変わり

あるものは変わらず。

昔の思い出は

胸の中駆けていく。

はるか遠い淡い夢たちを

抱きしめながら。

過ぎ去ったものは

儚く美しく

いつの日か忘れ

いつの日か巡りくる。

昔の恋やときめきは

心の中あたためる。

自分の人生の昔

そして今を

とても愛している。



最後の棲み家は

健在でした。




車を走らせていると

あの頃無かった道路や建物が

たくさんできていた。

38年もの時が経てば

当たり前 か。。

そんな中にも

変わらずあった家、お店

微かな名残に

胸がアツくなった。




自分の人生があと一年

ともし宣告されたら…

…その一年は

生まれ故郷で

というのが

我が人生最後の


かな。