このロゴを見ると、心に苦い痛みを覚えます…。


折々の人について書いてると、自分の身勝手、傍若無人ブリに、顔が赤くなりっぱなしです。
皆さんの、若造に対する寛容さだけで、なし得たことだと、思わず逃げ出しそうになります。
でも、上手くいかなかったことも、勿論、当然沢山有ります。

その一つが、ヤマハ発動機やヤマハ楽器の当時の総帥「川上源一郎」氏との、ホントに申し訳ない接点です…。

家具のことで、何でもトライしようと身勝手に考えていた私は、その製作の、なんと協力を、川上源一郎氏率いるヤマハ家具にお願いしようと、とんでもない行動に出ました。

当時は個人情報が、割りと簡単に判明したので、悪乗りして、手紙に返事が無いにもかかわらず、なんと浜松のご自宅に押し掛けました。
今なら、犯罪、誇大妄想もいいところです。
当然、お会い出来ず、それでも引き下がれない私は、電話帳を頼りにお電話までしてしまいました。

確か、たまたまご在宅だったのか、川上氏本人が直接出られ、興奮と驚きをないまぜに、こちらのお願いを申し出ました。
なんと、わたしの未熟な計画を最後まで聞いて頂けました。
しかし、ことはそこまででした。

厳しく、こちらの無作法なたしなめられ、計画の杜撰さを指摘され、受話器のこちらでシュンとなる私に、人の道、社会のルールを早口で、お言い付けになると、ガチャン、電話が切れました。

その時、初めて、組織というもの、会社と社長の関係、人の上に立ち、組織を守る厳しさを教えて頂いたのです。

その後、川上氏にお会いする機会の無いまま、バブルに踊り、身の程を喪失した私は、二重の意味で、川上さんに、申し訳ないことをしてしまいました。

冬の日でした。
浜松が寒かったのは覚えています。
ただ、その寒さが季節風の為せる業なのか、我が心の貧しさが原因だったのかは、定かではありません。

このような失敗の日々が、また訪れないとも知れません。
出来れば、もう苦い吐息を経験することだけは、勘弁してツカーァサイ!
でも、私のことです、またやらかさんとも限らんとデスよ⁉合掌