昨年の暮れにとある方にお会いしました。

ス―パで出先の「イチゴ」を眼にしたとたん
涙で前が霞んでしまったとのこと。

??・・・・・・・

「イチゴ」が食べられなかったことを思い出して、悲しくなったのかな?
それくらいに思っていました。

でも、内容は全く違いました。

その方にはお子様がふたりいらっしゃいます。
ひとりは高校生。
そして、もうひとりは幼稚園。

その下のお子様が2年前に他界したとのこと。

更に詳しくお話をお聞きすると、その下のお子様は障害を
持って生まれてこられたとのこと。

生まれたときには、自分の子であることを何日も肯定できずに
悩まれたとのことでした。

そして、本当に自分は、恥ずかしいことに
それ以来他人には言わないけれど、毎日その子が亡くなるのを
心の底で願い続けた・・・・・・

この子がいなければ、これもできた。
この子がいなければ、時間もできた。
この子がいなければ、自分は幸せだ。l
この子がいなかれば、家族はみんな自由だ。
・・・・・・・・・

こんなことが頭の中を何度も廻り、
そんな自分を責める毎日だったといいます。

でも、家族はその子がいたから一致団結して
その障害を乗り越えようとしたのかも・・・・・
とぽつりと言いました。


重い障害でしたが、自分の口で食べることはできたので
食事がその子にとっての楽しみだったかもと回想していらっしゃいました。

いつもこの時期になると「パックのイチゴ」を買ってほしいと
ねだるのだそうです。
よほど好きだったのでしょう。

上の子は、やはり「イチゴ」が好きだったのもかかわらず、
自分の分までとっておいて翌日に下の子にあげていました。

そして、2年前に病気のために他界しました。

今回は
今後ひとりで老後の生活が不安とのことで、お会いすることになりました。

実は
その後、他界してから暫くして、家族がバラバラになり
離婚をされて、ひとり生活に入られたとのことでした。

障害を持った子が実は、家族の中心となり家族の接着剤になって
いたようです。
それにもっと早く気づけば・・・・・・

(個人情報の関係で若干のお子様の年齢等に修正があります)

私たちは、朝起きてからその1日が当たり前のように
過ぎていくと錯覚しています。

今日を無事に生き延びたことはもしかしたら奇跡かもしれません。
まるで、人生に終わりがないかのように
当たり前になってしまっています。

でも、全てのことが実は当たり前ではなく
奇跡に近いことを考えると・・・・・
違う世界が見えてくる気がします。

よくお会いするとご自分がいかに恵まれていないかを
延々とお話されます。

でも、お聞きすると十分幸せだと思います。

ご自分がすごく恵まれていることに気がつないのですね。

蛇口を回せば水がでます。

スイッチを付ければ電気がつきます。

そんなの当たり前だよと言う声が聞こえそうです。

でも、震災になれば当たり前が奇跡だということに
気がつきます。

上記の方のお話をお聞きして、

改めて

全てのことに「ありがとう」という気持ちになりました。