この写真は2003年2月8日、泉パークタウンの練習場の駐車場で撮ったもの。


寿人はジェフからレンタルで(前年はC大阪にレンタル)我らがベガルタ仙台に来たばっかりで

練習見学して選手の出待ちをしているサポに対しても、まだ見知らぬ他人なので表情が固い。

このあと2年間大活躍してくれたけれど、実際は苦労と苦悩の日々だったのではないかと思う。


今日も元気で

スポナビブログより寿人のJ1、100ゴールについて書かれた記事を勝手に2つリンク。

http://www.plus-blog.sportsnavi.com/lovesanfre/article/17

一億円を超える移籍金はベガルタに入ったのだけれど、この頃の移籍金は年齢で係数が決まっていて

その上、J2→J1、J1→J2では掛ける係数が違うので、ジェフ関係者が激怒したのだったが、J1、100ゴールには関係ない話だけど。


http://www.plus-blog.sportsnavi.com/hirohiko24/article/155

J2で3年過ごしたのは2002年C大阪、2004年仙台、そして広島。


寿人は2003年にベガルタに来てくれて、あっと言う間にチームに馴染んで活躍してくれた。

でもチームは残留争いに突入し、清水監督は解雇。

清水監督のチーム作りのおかげで観客が激増しJ1昇格までして単年度黒字を重ねてお金があったチームは、帰国していたベルデニックを2年契約で連れてくる。


それは失敗に終わったけれど、寿人はJ2降格に責任を感じて「1年で復帰する」と言って、所属のジェフに頼んでベガルタに完全移籍してくれた。(この時J1→J2だから係数が低くなる)

この時広島から声がかかっていたが断った。


寿人とザイ以外の主だった主力を切ってのJ2の1年目は昇格失敗。

それでも、また広島から声がかかった寿人は一旦断ったけれど当時のうちのフロントに怒って広島に移籍。

移籍金というお土産を置いて行ってくれた。


2003年の最終戦、大分の芝生がヌカルむピッチに苦しみ活躍できなくて交代。

我らがチームの降格をベンチで見た。

だからこそ、「1年で復帰すると言って頑張ってくれた。


2004年は、孤軍奮闘だった。

リャンリャンやセッキーが加入した年だったけれど、まだまだ主力にはほど遠かった。



なぜ、こんな昔話をしているかというと、

昨日の試合でセッキーがディフェンスラインまで戻ってクリアした時、2004年の寿人もそうだったことを思い出した。


あの時の11番の背中には悲壮感があった。


昨日の11番の背中にはそれはなかった。


寿人は今も被災地の子供たちのために塾と契約してくれている。

活躍はしたけれど、苦労もしたのに・・・・


J2での3年があったのに歴代10人めのJ1、100ゴール達成。

おめでとう♪


これからもゴールを重ねて行ってください。

うちとの試合以外でねニコニコ



本当に寿人には感謝してるよ。

ありがとうね♪