映画「42~世界を変えた男~」(原題:42 Jackie Robinson story、2013)は10年前の2013年10月に劇場公開前に試写会で見た。 ”ベースボール関連”映画の中では近年まれにみる「金字塔」的作品が現れたと感じた。
昨日16日(米国時間15日)は各球団の全選手が背番号“42”のユニフォームを身につける“ジャッキー・ロビンソン・デー”だったので一部加筆して再掲載。
この映画は、世界で始めて黒人メジャーリーガーになったジャッキー・ロビンソン(チャドウィック・ボーズマン)と、球団のジェネラル・マネージャー(GM)、ブランチ・リッキー(ハリソン・フォード)の二人が主人公だが、人種差別の激しい時代のなかで、孤独な戦いに身を投じたロビンソンと彼を支えるリッキーの姿を感動的に描いている。
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GMのリッキーが、多くの野球ファンの反感、反発を押し切ってまで、黒人選手の獲得を強行したのはなぜか?人種差別、不平等を無くすための人道主義?。黒人の野球ファンを増やして、金儲けをするため?
ロビンソン選手が「なぜ私を・・・?」
GMのリッキーが答える「それは・・・」
ラストシーンで真実が明かされる。それは感動的なものだった。
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アメリカで野球がメジャーリーグ・ベースボールとして1876年にスタートして以来、野球は白人のスポーツとされ、それは伝統的に「慣習」であり、1946年の400人の選手枠は、400人とも白人だった。
それが、1947年に、白人399人となり、観客もマスコミも騒然となり、ロビンソンは、行く先々で、罵声を浴び、トイレなど「白人専用」のカベにぶち当たるが・・・。
リッキーがロビンソンに、ドジャースに入る条件を二つ挙げ「守れるか?」と念を押す。それは、ロビンソンの性格、これまでの行動からは到底不可能に思われたが、それを実行するロビンソンの苦悩と勇気に感動する。
「42」が示すもの。
1997年にはロビンソンの背番号“42”が全球団で初の共通の永久欠番になり、彼がドジャースで初出場した4月15日には各球団の全選手が背番号“42”のユニフォームを身につける“ジャッキー・ロビンソン・デー”に制定された。
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ハリソン・フォードが、これまでのイメージとがらりと異なり、別人かと思うほどの熱演だった。
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「42~世界を変えた男~」は、1947年、ブルックリン・ドジャース(ロサンゼルス・ドジャースの前身)のゼネラルマネージャー・ブランチ・リッキーは、ニグロリーグでプレーしていたアフリカ系アメリカ人のジャッキー・ロビンソンをチームに迎え入れる。
当時はまだ黒人差別が激しく、メジャーリーグも白人だけのものだった事から、彼の入団は球団内外に大きな波紋を巻き起こす。
案の定、ロビンソンは他球団はもとより、味方であるはずのチームメイトやファンからも差別を受けてしまい、孤独な闘いを強いられる(HPより)。
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この映画の見所はたくさんあるが、ロビンソンが塁に出て、ピッチャーをかく乱し、盗塁をするシーンは、”度肝を抜く”迫力だ。
ロビンソンがバッター・ボックスに立った時に、相手チームの監督の差別の暴言は、軍隊映画の某軍曹に匹敵するくらいの強烈パンチだ。これには、ドジャースのチーム・メイトも黙ってはいられない。
信念と勇気を持った男の物語に、さまざまな味付けがある。実話をベースにしており、映画に登場した人物のその後が最後に紹介される。
ロビンソンは、野球を通じて、黒人社会の英雄的な存在になるが、列車で街を去る時に、見送っていた黒人の見知らぬ子供にボールを投げ与えると、その喜びの子供の表情が・・・。
その子供は、のちにメジャー・リーガーになった…などのテロップが入る。リッキーもロビンソンも、のちに野球殿堂入りとなっている。
野球、ベースボール・ファンでなくても映画の持つ力を感じさせる、2013年の代表する1本と言えそうだ。
2023年12月、140年の伝統あるドジャース球団に、日本人としては野茂英雄から数えて10番目となる大谷翔平選手が入団した。昨日(2024年4月16日、4月15日米国時間)、大谷選手も含む全員が「42」の背番号をつけていた。
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