仏語で出てくる五蘊皆空や五蘊盛苦では
五蘊(色、受、想、行、識)という言葉が出てきます。
このうち
色は色、声、香、味、触覚の五感で感じる実世界
受は自分が実世界の状況を受け止める
想は自分の心の中で思い描く
行は自分が実世界に対して干渉する
識は物事を見分ける心のはたらき(ここだけOxford Languagesより引用)。

 つまり考察するということでしょうかね
これで5つの「五」です。

AIによると「蘊」は蓄積するという意味だそうです

 

五蘊盛苦は、これらが盛んになると苦しむという意味になります。

Wikiによると

 「五つの要素に執着する苦しみ」というのが原文の意味である。

漢訳の五蘊盛苦では「執着する」という意味が抜けている

とのことです。

何事もホドホドにということになりますね。

 

そして

五蘊皆空は、「五蘊」は全て「空」なので

「空」を虚構と解釈すると(諸説あり)

五蘊は虚構であり、

今風で言うなら

五蘊は仮想現実ですね。

 

宇宙や世界が創造主が作ったロールプレイングゲーム(RPG)と考えたら

神々の壮大なパソコン内のRPGの一つに宇宙がある。

その設定のルールに相対性理論など宇宙を定義する莫大な法則がある。

 

登場人物のちっぽけな一人が自分である。

まあスライム程度ですね。

 

地球では多くの宗教が生まれ

仏教では

RPGを極めたキャラが如来である。

仏教ではRPG内のルールを解析しているが

その精神的なルールが五蘊などである。

 

現実も思考も全てRPG内の話であり

神々のパソコンの電源を落とせば、すぐ消え去る仮想現実である。

昔のゲームなら

人間は「たまごっち」で育てられているキャラの一つなのかもしれませんね。

 

現実世界はこの世でしか体験できませんので

残された人生をしっかり味わって楽しまないといけません。

 

人生は旅ですので

「道端に落ちてる犬のうんこをじっと見つめて旅を終えるのはもったいな」

 

以上

休日の妄想です。

失礼しました。