小学高学年から父方の田舎で夏休み中はホームステイをしていた。
というか、母親が私たち兄弟のめんどうみるの嫌で父もろとも追い出し、仕方ないので父方の田舎にいくのだ。
もちろん母は来ない。曾祖父に悪妻と呼ばれたのを根に持っているので。
そんな親の子なので親戚の目は冷たい。父のいる時は和やかだが、ひとたび父がその場から居なくなると、視線は厳しくなる。悪口もよく聞こえる。
曾祖父にはよく団扇で叩かれた。団扇なので痛くはないが、なんか他の従兄弟と扱いが違う。
言われなき迫害なので、
挽回する方法を考えた。
可愛がられている従兄弟の家と私の家が違う点はなにか。彼らのいう悪口から彼らは何が不満なのか...敢えて悪口を聞きにそばに行って背中で情報を集めた。
そうか![]()
農作業を手伝うんだ。それが仲間に入るためにいいのだと思った。
桃園、葡萄畑、タバコ畑、田んぼ。
皆がどこに居るかわからないので、長袖、長ズボン、ぶかぶかの長靴、麦わら帽子、軍手、鎌を持って、畑のある山やまを歩いて探した。
道行く人に「(親族を)見たか?」と聞きながら突き止めて、やっていくと「よう見つけたなぁ」と喜ばれた。帰りは軽トラに乗っけてくれた![]()
タバコは収穫したあと、乾燥場に持っていき、夜に乾いたタバコの葉をサイズごとに分ける。
おばさんが「みんな(従兄弟たち)と遊んだらいい」と促してくれるが、手伝うことで親族からの当たりが軟化していくのが手に取るようにわかる。
面白くもない従兄弟と遊ぶのは時間の無駄だ。
何年か頑張っているうちになんか乾燥場に近づくと顔がチクチク。中学になりクラブがあるので夏休み中ではなくお盆だけとかだんだん短くなり曾祖父がなくなってからは行かなくなった。
20歳で国際線に乗った時、顔が腫れて気管も狭くなって頭痛もひどくなった。顔が痛いのでスチュワーデスさんにおしぼりもらって冷やし続けたけど辛かった。昔は機内でタバコ吸ってもよくて飛行機の天井の方の空気はタバコの煙でモヤってた。
当分、何が原因かわからなかったけど、その後因果関係がみてとれたので、タバコには近づかないようにしてた。
とはいえ、仕事絡みで近くで吸う人がいたら、その人が居なくなってからそっと顔を洗いに行ってた。だから、ファンデーション塗れないし、しょっちゅう洗うから、結構、顔が荒れてたな...。
今朝、顔がひりついて喉が痛くなった。あれっコロナ?
いやいや、昨日P.A.のスモーキングエリアから煙が流れてきてたのに近くのテーブルで休憩してたからだわ。
そうだった忘れてたけど、私、煙草アレルギーだった。
想い出と共に急に思い出した。
お盆だし、曾祖父が自分たちを思い出すようにしたのかもね。