先日、とある映画を観てきた。
孤独や不安や劣等感みたいな感情は
人種とか国とか性別とか関係なく誰しも感じる得るもので
それに、もし上手く対処出来る環境にさえいれば
人は「何かを表現する」って事に行き着かないのかもしれない。
基礎代謝みたいに、何もしないでも生きるエネルギーを代謝出来るんじゃないな。
でも、その環境が無ければ
感情は、その行方を失う。
表現とは、
感情を解放するもの。
人間そのものの生きるエネルギーを具現化し、強烈な力を放つ反面、
とても繊細で壊れやすいものだ。
バランスを崩せば一瞬で消えてなくなる事もある。
本人の死後に評価される表現者もしばしばいるね。
ゴッホやゴーギャンのように。
「表現」を追求することは
光と陰。
諸刃の剣。
ショーケースの外からは、
常に輝いて見えるけど、
その闇は他人からは全く分からないもの。
常に孤独と隣り合わせだ。
この映画の自分の着眼点が
一般的なものから掛け離れてるなと自覚しつつ、
そんな事を思って、思考は燻るばかり。
ラストシーンで流れた涙の理由は
私の心の奥底の叫びとリンクしたから。
かもしれない。