うっすらと目を開けた時、
最初に見たのは彼女だった。



心配そうな顔で僕を見ていた。



透き通るような綺麗な瞳だった。



その瞳を見た時、

僕は自分の気持ちに気が付いた。



いや、それまで
気づかないふりをしていただけ
なのかもしれない。



僕は彼女に恋をしていた・・・・・




















僕の一日は、
彼女を起こす事から始まる。


寝ぼけた彼女は無防備で可愛い。


少し乱れた髪、
パジャマから覗く細く白い手足は
朝から煩悩の多い僕を刺激する。


毎朝のように
理性と格闘しなければいけない。



ぼんやりした状態から覚醒した彼女は、
テキパキと準備をする。


その間に僕は洗濯機のスイッチを押す。



そうしたら、
二人で朝食の準備をし、
焼きたてのトーストを頬張る。



二人で後片づけを済ますと、
彼女はまたも、
テキパキと身支度を整える。


玄関まで見送ると
彼女は僕に手を振り出社していく。



彼女を見送ると、
僕はざっと掃除機をかけ、
洗濯物を干す。


それが終わると
自分の部屋に行き仕事を始める。










僕は翻訳の仕事をしている。


打ち合わせの時などは
外出する事もあるけれど、
基本自宅で仕事をしている。



翻訳と言ってもジャンルは様々だ。


僕は、童話や寓話や伝記、絵本等の
児童文学の翻訳をしている。


でも、一般の人には
少々馴染みの薄い言語の
翻訳をしている。



ウェアウルフ語。



つまり、
狼人間の言語の翻訳をしている。



アルファベットのような、

ロシア文字のような、

でも、どこか象形文字のような、

そんな字体をしている。



現在、ウェアウルフ語の話者は
かなり少なくなっている。


実生活でこの言語を使い
コミュニケーションをとっている人は
いないと聞いている。


僕はこの仕事をしておきながら
実のところ正確な発音は
完全にマスターできていない。


生きた教材が少なく
会話の勉強はあまりできないのが
現状だ。





狼人間の起源は
人とほとんど変わらない。


だけど、
獣に変身するというだけで
多くの人々が弾圧や迫害を受け、
狼人間狩りが横行した時代があった。



僕らがいう狼人間とは
先天的に狼に変身する人の事だ。


かつて、
宗教上の理由や精神疾患などで
後天的に変身する狼人間だと
決めつけられた人もいたらしい。


後天的狼人間といわれた人の
大多数は純血の人間だった。





狼人間は理性をなくし
人を襲い、家畜を喰い荒らすという
事実に反する情報が多く出回った。


狼人間たちは、
普通の人間と同じ生活をし
人間と同じ物を食べ、服を着て、
学び、働き、家の布団で眠った。


ただ、満月の夜に姿を変える
というだけで、
恐怖の対象とされていた。


そのため、
多くの狼人間は
自らの素性を隠し生活した。





それでも、
ごく少数ではあったが、
狼人間に理解を示し、
共生していた人達もいた。


徐々に、
本当に徐々に、
千年以上の時をかけて
その輪は広がっていった。



17世紀に入ると、
人と狼人間が共生できる地域が
ごくわずかだが出来上がっていた。


その頃から、
素性を隠さなくても
生活をしていける狼人間が
少しずつ増えていったらしい。


日本は19世紀中頃に
ようやくそれが実現したようだ。



現在、日本で狼人間は
国民の三分の二を占めている。


当然、ハーフやクォーター、
それよりも薄く血が混じった人も
多い。


むしろ、混じりっけなしの血を持つ
純血の人間の方が珍しくなってきた。



だけれども、
ウェアウルフ語を話せる人は
もうほとんどいない。


弾圧を受けた際にその言語が禁じられ
多くの書物が燃やされた。


世界各地に散らばっていた話者も
みんな高齢になってしまった。



狼人間も人と同じように文化を持ち、
自分たちの言葉で表された文芸作品に
親しんでいた。


人間でいうところの
イソップ寓話やグリム童話、
日本昔話のようなお話は
ウェアウルフ語でも書かれている。



今、ウェアウルフ語を
見直す人が増えている。


自分の血に混じっている狼人間の
ルーツを知りたいと、
児童文学を皮切りに言語を学ぶ人も
増えてきている。



なので、それなりに仕事がある。


なんせこの翻訳作業は
日本では最近始まったばかりで、
翻訳されていないお話が
まだ山のようにある。


しかも、
この言語の翻訳をする人は
まだまだ少なく、
需要に対して供給が追いつかない
状態になっている。


だから、しばらくの間
僕は仕事がなくて困る、といった
心配はしなくてよさそうだ。





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