午前二時の五分前。


僕はラジオの電源スイッチを入れる。



祖父からもらったラジオ。


年季が入っており所々色褪せている。


電池カバーはひび割れ
セロハンテープで補修してある。


チューニングは
手動でしなければならない。


でも、音はいい。


デジタル機器のような
クリアな音ではないけれど、いい音だ。


角がなく柔らかい音がする。


僕はこの音が好きだ。


どこか懐かしく心が温かくなる。



今日も、そんな素敵な音を発する
ラジオの電源スイッチを入れる。










僕は数ミリにも満たない
チューニングを行い、
部屋の明かりを落とした。


カーテンを半分開けると
冴え冴えとした月明かりが
部屋に射し込んだ。


その青白い光は
部屋の片隅に置いてある
段ボール箱を照らした。


僕はその段ボール箱を横目に見ると
小さくため息を漏らしていた。


そして、少し不貞腐れたように
ごろんとベッドに横になり、
月の光をぼんやりと眺めた。


ラジオからは、
やたらと騒がしいコマーシャルが
流れていた。


そのコマーシャルが終わると
ほんの一瞬だけ静寂に包まれた。


すると、あの人の声が聴こえた。



正確に言うと、あの人と似た声。



僕はその声を聴きながら
そっと目を閉じた。








そのラジオ番組は、
毎回こんな風に始まる。



(みなさん、こんばんは。
    午前二時になりました。
    今日も午前四時までの二時間、
    お付き合いくださると嬉しいです)



そして、
リスナーからのリクエスト曲が流れる。


番組はリクエスト曲と
ラジオパーソナリティの何気ない話で
進行する。


実にシンプルで淡々としている。


でも不眠症気味の僕にはそれが丁度いい。


ラジオパーソナリティの声は
落ち着きがあり耳馴染みがいい。


ゆったりとしていて
柔らかく優しげな声。


まるで子守唄のような声。


それでいて、どこか揺るぎのない
芯のある響きのする声。


僕はその声を聴く度に彼女を思い出す。


同じクラスの真面目で大人しくて
控えめで一見目立たない人。


けれど、
どこか凛としていて、
つい目を惹かれてしまう華のある人。



目立たないのに華がある、

彼女は、
そんな矛盾を体現したような人だった。



彼女と話をすると僕の心は落ち着いた。


帰る方向が同じでよく一緒に帰った。


気が合うのか
不毛な会話も途切れなかった。


気がつくと好きになっていた。


でも、付き合っていたわけではない。


僕の片想い。



ある日、告白をしようと決意した。


けれど、遅かった。


彼女は、
僕からスルッと身をかわすように
転校していった。


高校二年の
夏の終わりだった。



たった一度だけ待ち合わせをして
二人だけで縁日に行った。


彼女は淡い色の浴衣が似合っていた。


小さな口でりんご飴を舐める様が
やたらと可愛かった。


はにかんだ笑顔が愛おしかった。



あの時、告白すればよかった・・・


そんな事を思うことがある。


転校すると分かっていれば、
僕だってもっと早く行動したのに。


今となっては、甘酸っぱくて
少しほろ苦い思い出として
頭にこびり付いていた。



でも、正直に言うと後悔している。



結果がどうであれ
恐れずに想いを伝えるべきだった。


できることなら時間を巻き戻したい・・・



だからだろうか?


このラジオ番組を聴くと
彼女とあの日のように
待ち合わせをした気分になる。


毎週月曜日から金曜日まで、
午前二時に待ち合わせ。


時間通りに落ち合い、
そして声を聴き、
そのまま寝落ちする。


ちょっとした至福の時間。


毎度寝落ちするのだけど、
たまにリクエストメールなんかを
送ったりしている。


でも、まだ一度も番組で
メールを取り上げられたことはない。



ん?


寝ている時に読まれているとか・・・?


だったら勿体ねぇ・・・


だけど、
あの声を聴きながらの寝落ちは
堪らなく気持ちがいい。


まあ、でもたぶん
僕のメールは取り上げられていない。


この番組のパーソナリティの声は
極上の癒し空間へと誘ってくれる。


顔が見えずとも、
きっとファンが多いに違いない。


だから、
僕なんかよりも熱心なリスナー達が
こまめにメールしているのだろう。


きっとそうだ。



この番組のパーソナリティは
“KEYAKI”さんという人だ。


番組ホームページを見ても
顔写真は載っていない。


だからKEYAKIさんの情報は少ない。


声から女性だということしか分からない。


でも彼女の声を聴きたい僕には
視覚情報はどうでもいい。


むしろ視覚情報が無いお陰で
妄想を膨らませる事ができている。



僕はいつもKEYAKIさんの声に
忘れられない彼女の顔を当てはめている。


そして、あたかも
彼女が僕に話し掛けてくるという
現実と妄想が入り交じった空間に
浸っている。



嗚呼、堪らない!


ラジオって、なんて素晴らしいんだろう。



因みにこの番組、
月曜日から木曜日までは事前収録らしい。


金曜日の二十六時からの二時間だけが
生放送のようだ。


収録の声もいいが、やはり生放送はいい。


声の響きが違う気がする。


まあ、そこまで耳がいいわけではない。


だけど、何となくいいんだ。


だから僕は金曜日の深夜が好きだ。


耳がいつもより幸せになる。


そして、
その幸せに包まれながら眠りに落ちる。


あの人の笑顔を思い浮かべながら、
けして長くはないけれど
幸せな眠りに僕は落ちる。



眠りから覚めると
付けっ放しのラジオから
KEYAKIさんではない声が聴こえてくる。


それで僕は
一気に現実に引き戻される。


慌ただしく朝の準備をし出勤する。


そんな日々を繰り返していた。



けれど、
あと少しで今の生活に
区切りをつけなければいけない。


海外赴任が決まった。


世間で言うところの栄転。


本来なら喜ぶべきこと。



でも僕は憂鬱だった。


海外に行くという事は、
このラジオ番組を聴くことが
できなくなるという事だ。


KEYAKIさんの声を聴きながら
眠ることができなくなる。


大好きだった彼女を
音声付きで妄想するという
僕の至福の時間がなくなってしまう・・・



これは問題だ、大問題だっ!?


この先、
僕は何を楽しみに
生きていけばいいんだろう・・・





真夜中に気分が沈んだ。


ずっしりと重力を感じ、
ベッドにめり込んで行きそうだった。


そんな僕を
月明かりが引っぱり上げてくれた。


上体を起こすと
嫌でも引越し用の段ボール箱が
目についた。


そろそろ本格的に
引っ越しの準備をしなければいけない。


そう思っただけで
何だがモヤモヤした。


たぶん今日は寝落ちできそうにない。



この生放送を聴けるのも今日が最後・・・



僕はラジオに手を伸ばし、
ほんの少しだけボリュームを上げた。



丁度リクエスト曲が終わった。


KEYAKIさんがメールを読み上げた。


それは、とあるリスナーからの
こんなメールだった。



(この前、付き合い始めた彼女と
    縁日デートに行ってきました。
    彼女の浴衣姿と、うなじの見える
    アップヘアだけでテンションが
    上がってしまい妙に恥ずかしくなって
    しまいました。KEYAKIさんは、
    縁日の思い出って何かありますか?)



実に初々しい。


僕は思わず分かる分かると頷いた。


大好きだった彼女の
浴衣姿を思い浮かべた。


ニヤニヤが止まらなかった。


そして、あの日を思い出していた。





あの日の僕は
テンションが上がりまくっていた。


彼女と縁日に行った日の事だ。


僕は彼女の前で格好つけたかったから、
必死でそのテンションを抑え込んだ。


ちょっと大人なフリをして、
こんなの慣れてます、みたいな顔をした。


でも、隣を歩く彼女の白い首筋を
チラチラ覗いては生唾を飲み込んでいた。


普段学校で見るのとは違う髪型。


後ろ髪をアップにし
サイドの髪の毛を耳にかけた彼女の姿は、
当時の僕には反則技としか思えない程の
破壊力だった。


彼女と目が合う度に
ドキドキが増していった。


耳がとんでもなく熱を持っているのが
わかった。



すっかり日が暮れた頃、神社の参道は
すれ違う人と肩が触れてしまうくらい
混雑し始めていた。


僕はその混雑に乗じて、
ほんの数十秒だけ彼女と手を繋いだ。


彼女の白くて華奢な指が
僕の手をやんわりと握り返してきた時、
僕はそれまで感じたことのない
緊張感と高揚感を覚えた。


耳だけではなく顔までもが
ホッカイロみたいに熱を持っていた。


恋をしているんだと実感した。


けれど、
そんなシチュエーションに
不慣れな自分が恥ずかしくて、
まともに彼女の顔を見れなくなった。



境内の奥にある石灯籠の近くまで行くと
同じクラスの奴らが花火をしていた。


僕は咄嗟に彼女と繋いでいた手を
離してしまった。


本当はもっと長く繋いでいたかった。


格好つけていた自分が
やたらと格好悪く思えた。



あの日の
鼻に纏わり付くような
花火の焦げ臭い匂いを
今でも時折思い出す。



彼女に触れたのは、あの日の
あの数十秒だけ。


あの時、繋いだ手を離さずに
堂々としてればよかった。


そうしていたら、
今こうやってラジオを聴きながら
感傷に浸る事はなかったかもしれない。



ん?


そういえば、
彼女の手を離した後
どうしたんだっけ・・・?



僕はそんな事を考えながら
ラジオに耳を傾けていた。


KEYAKIさんは、
縁日についての話をしていた。





(番組スタッフが縁日について
    調べてくれたんですけれど、えーと、
    縁日とは、有縁の日、結縁の日。
    つまり、神様や仏様とご縁がある日
    なんだそうです)


話のBGMには神社に因んで
雅楽の笛のような音が聴こえてきている。



(そうなんですねぇ・・・
    ああ、じゃあ私は神様のご縁に
    恵まれなかったみたいです。
    高校生の時に好きな人と行ったんです
    縁日デート。でもそれがその人との
    最初で最後のデートになってしまい
    ました。今となっては、甘酸っぱい
    思い出ですね。青春みたいな)



僕は思わずラジオを二度見していた。


視覚情報なんて無いのに、
なに二度見してんだよっ!?


なんて思いながらも、
何となく似たような経験をしている
KEYAKIさんの話に興味津々だった。


KEYAKIさんの縁日トークは続いた。



(あの縁日デート以降、
    縁日には行ってないですね。
    彼との思い出を大切に取っておきたい
    感覚というか・・・んー、
    思い出しちゃうからですかねぇ・・・)



僕もあれから縁日には行ってない。



(縁日といえば、焼きそば、
    フランクフルト、チョコバナナ等々
    色々と美味しいものがありますが、
    ラジオをお聴きの皆さんは
    何が好きですか?)



何だろ?たこ焼きかなぁ・・・


あ、でも、イカ焼きも捨てがたい。



嗚呼・・・


りんご飴を舐める彼女、
マジで可愛かったな・・・



(私は、たこ焼きが好きなんですけど、 
    でも、思い出があるのは
    りんご飴かなぁ・・・)



僕はりんご飴というワードに反応して、
ラジオを凝視していた。



(先程話をした縁日デートの
    続きなんですけれど、私、
    そのデートの時、既に転校することが
    決まっていて、
    思い切って彼に告白しようと思って
    縁日に誘ったんですよ。
    でも結局、告白できずに
    その恋は終わっちゃいました)



僕はベッドの上であぐらをかき
頷きながらラジオを聴いた。



(本当にりんご飴みたいな
    甘酸っぱい思い出です。
    りんご飴、彼が買ってくれたんです。
    嬉しかったなぁ・・・
    あー、なんか恥ずかしいですね。
    普段この番組で、プライベートな話は
    ほとんどしないのに
    今日は結構話しちゃってますね。
    もうね、スタッフさんがみんな
    ニヤニヤしてます。
    本当に恥ずかしいです。
    んー・・でも恥ずかしついでに
    話しちゃおうかな・・・)



その声で・・・


彼女の声で、恋バナはダメだって・・・



(私のKEYAKIという名前は
    縁日デートが関係しています。
    KEYAKIは勿論本名ではありません。
    縁日デートに行った神社の御神木が
    大きな欅の木で、そこから名前を
    いただきました。
    甘酸っぱいくて瑞々しい感性を
    忘れないように、という
    自分なりの理由からです)



御神木・・・


あの神社にも
たしか大きな欅の木があったっけ。


あれが御神木だったのかな・・・



僕は目を瞑り、
あの日の風景を思い起こした。





神社の参道は
露店の明かりに包まれ活気があった。


隣には彼女がいて、
僕らは手を繋いでいた。


進行方向を見上げると
風格のある大木が厳かに立っていた。


人混みを抜けると
同じクラスの奴らが花火をしていた。


僕は反射的に彼女の手を離した。



それで・・・



あっ、そうだ!思い出した。


そのタイミングで、
彼女は友人に話し掛けられたんだ。



僕は、「じゃあ、ここで」
って彼女に言って、


えーっと・・・



彼女はコクって頷いて・・・



「渡邉くん、バイバイ」


そう言いながら小さく手を振って・・・



(あの日、彼との別れ際に
    「バイバイ」としか言えなかったこと
    少し後悔しています)



えっ・・・


ラジオから聴こえる話が
何となく自分の回想と
リンクしているみたいに感じて、
僕はまたもラジオ二度見していた。



(好きだった人が、今、この番組を
    聴いてくれているかはわからない
    けれど、もし聴いてくれていたら
    嬉しいです。
    ワタナベくん、元気ですか。
    私は元気です・・・)





ん!?



(あぁ~もう今日はホントに
    恥ずかしい日です。
    スタッフさんツボってますもん。
    それでは、気を取り直して、
    こちらの曲をお聴きください)





気を取り直してって・・・



えっ・・・



ワタナベくん・・・?



あれ、

なんでだろう?


僕はどうも気を取り直せそうに
ないんですけど・・・



何やら曲が流れているけれど、
全然耳に入ってこない。


何だ?このバクバクって雑音は!?


体が微妙に前後に揺れてるし・・・



ん・・・あっ!?


心臓・・・


これって、自分の鼓動音かっ!?



おいおいおいっ

落ち着けー、
落ち着けって自分!!



あれっ・・・でもさ、


あの声、


縁日、


りんご飴、


欅の木・・・



まさかぁ・・・偶然だろ。



あり得ないって、確証ないだろっ!



ん~・・でもな・・・


あり得なくも・・ないよな・・・



ええっっ!?


いやいやいや・・・


エエエェェッ!?



これがパニックというやつだろうか?



僕は部屋中をキョロキョロ見回した。


見回したところで
何の解決にもなりゃしない。


けれど、
頭の中がグルグルして
どこか一点を見ていることが
できなかった。



ふと見上げると
やたらと天井が近かった。


どうやら僕は無意識のうちに
ベッドの中央で立ち上がっていたらしい。



ベッドから下りて数回深呼吸をした。


でも、僕の体は楽器のように
トクゥントクゥンと音を発していて
深呼吸が無駄だと思えてしまうほど
だった。


脳内では何度も
あの日の浴衣姿の彼女の映像が
再生されていた。


そしてついには、その映像とは別に
静止画の彼女が焼き増しされ、
部屋の至る所に
僕にしか見えない彼女の写真が
貼られていた。



これはもう、重症だ・・・





でも、


もしかしたら、もしかするかも・・・





KEYAKIさん、
あなたは平手さんなんですか?





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後編へつづく


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