病み上がりというのは、
何故かったるいのか?


もしそういう問いがあったら
答えは簡単だ。


病み上がりだから。



体力、気力共に充分ではない。


今の僕は正にそれだ。


そんな中でも、
本日既に三人目の訪問者が目の前にいた。


その人は片流楢(かたるなら)さんの
奥さんかもしれない人だ。


何故、“かもしれない”
なのかと言うと、

片流楢さんの奥さんはとっくの昔に
亡くなっているはずだからだ。


ということは、考えられるのは一つ。


後妻さんなのだろうか・・・?





「あの、すみません、
    ご主人というのは
    片流楢さんの事でしょうか?」


僕がそう聞くと、婦人は澄ました顔で、


「はい、そうです」


と答えた。



実のところ僕は、片流楢さんに
勝手なイメージを持っていた。


再婚はせず、
余生は白猫のユイさんに捧げ、
ストイックに生きていくのだろうと
思っていた。



やるなぁ、片流楢さん。


こんな綺麗な後妻さんもらっちゃって。



ただ朝一の号泣大男の件が
頭にこびり付いていて複雑な思いがした。


職業柄どうしても高齢者の再婚には
裏があるのではないかと
悪い方向に考えてしまっている
自分がいた。





奥さんは風呂敷包みを広げると
贈答用の化粧箱を僕に差し出した。


「ほんのお礼です。受け取ってください」



奥さんはそう言うけれど、
お礼はついさっき片流楢さん本人から
いただいたばかりだ。



「さきほどご本人が
    お礼にみえましたけれど・・・」


由依さんがそう言うと、
奥さんは、


「存じております。
    これは、私の気持ちですので
    是非お受け取りください」


と綺麗な瞳を輝かせて微笑んだ。



僕は少々畏まりながら
その箱を受け取った。



奥さんは、にこやかに立っていたが
履き物の草履が足に合わないのか
動作が少しぎこちなくモゾモゾしていた。


なのでソファーに掛けてもらい
冷たい緑茶を出したのだが・・・





「あの、お水をいただけますか」


と奥さんは水を所望した。


だからコップにミネラルウォーターを
注いで出した。


そうしたら、


「これは軟水ですか?」


と聞いてきた。



国産メーカーの軟水だと答えると
奥さんはその水を美味しそうに飲んだ。



硬水でお腹を壊す人がいる
と聞いたことがあるから、
たぶんこの奥さんもそうなのだろう。


それに、緑茶がダメだということは
カフェイン入りの飲み物が
たぶん苦手なのだろう、

そう解釈した。



いや、でもな・・・



ただこだわりが強いだけかもしれない。


例えば、お茶は、
どこそこの何とか農園の物しか
いただきませんの、オホホ・・・みたいな。


僕は、そんな事を思っていた。








奥さんはコップをテーブルに置くと
片流楢さんが倒れた時の話を始めた。





「庭仕事の音が聞こえなくなったので
    窓から下界を覗いたら
    ご主人が消えていて」



ん?


何だか急に色々と
日本語が可怪しくないか?



「慌てて窓を叩いたのですが
    反応がなくて」



普通そこで窓開けるでしょっ!



「なんて言うんでしたっけ、
    あのけたたましい音を鳴らして
    暴走する乗り物」



何でしょう・・・?



「それを呼ぼうと思って
    受話器を取ったのですけれど」



ああ、救急車のこと。



「番号がわからなくて」



よほど気が動転してたんだ・・・



「それでアドレス帳を捲ったら
    こちらの番号が書いてあって」



えっ、片流楢さん
アドレス帳に番号書いてくれてるんだ、
チョット嬉しいかも!



「あの優しい探偵さんなら
    助けてくれると思いまして、
    こちらに電話したんです」



ん!?


“あの”探偵って・・・


僕は貴女に会うのは
今日が初めてだと思うんですけど・・・



でも、何となく見覚えがあるような・・・


いや、たぶん気のせいだろう。



それはそうと、あの電話、
人間からじゃなかったから・・・



「そうしたら、
    本当に来てくださったので嬉しくて」



いや、貴女
あの場にいませんでしたよね・・・



「本当にありがとうございました」





もう色々とわけがわからなかった。





奥さんは僕の顔を
ニコニコしながら見ると、


「探偵さんの温もりと匂いと
    優しいお声は忘れられません」


と言った。



正直僕は焦った。


まったく身に覚えがなかった。



何の事を言っているのだろう?



そして、
その誤解を与えるような言い方は
やめて欲しい・・・



隣に座っている由依さんを
横目でチラリと見た。


彼女はまるで
汚いモノでも見るかのような視線を
僕に向けていた。



そんな目で見ないでよ・・・



僕は、由依さんの視線に
少なからずショックを受けていた。


そんな僕に追い討ちを掛けるように
にこやかに奥さんは言った。



「ところで、そちらのお嬢さん、
    どちら様ですか?」



すると由依さんは渾身の営業スマイルで


「この事務所の所長をしております」

と言った。





事務所が一瞬静まり返った。





寒い・・・



悪寒がした。





この悪寒は病み上がりだからではない。


由依さんの発する空気感が
まるで南極大陸の
ブリザードみたいだった。


そんな気候
体験したことはないし、
したいとも思わないのだけど、

僕の心は今、
そんな過酷な気象に
飲み込まれそうになっていた。



凍りそうだ・・・





すると奥さんは
由依さんの返答に、


「なるほどぉ・・・」


と納得した表情を浮かべ、


「失礼いたしました。
    では、以前おられた
    スラッと背の高い男性は
    今日はお休みなのですか?」


と聞いてきた。


たぶん、土生さんのことだろう。


もうこの事務所にはいないと答えると
奥さんは残念そうな顔をした。



まさか土生さんが
目当てだったのだろうか・・・



それならそうと、
もっと早く言ってくれればいいのに。


もう、心の氷がひび割れそうだった。



しんどい・・・





今更ながら奥さんは、
事務所の微妙な空気を感じ取ったのか
話題を変えてきた。



「あの~・・・それ、かつお節です」


そう言って化粧箱を指差した。


「本枯れ削り節です。
    私の大好物なんです!
    私はそのままいただくのが
    好きなのですけれど、ご主人・・・
    ではなく、主人は、
    熱々の白いご飯の上にのせて
    少しお醤油をかけたり、
    おにぎりの具にして食べたりするのが
    好きみたいで」



そう語る奥さんの顔は
何だか少女のようにキラキラしていた。


その瞳はとても純粋に見えた。



奥さんはかつお節の話を皮切りに
片流楢さんの好物や趣味の話をし始めた。


そして、聞いてもいないのに
片流楢さんがいかに素敵で
優しいご主人なのかという事を
はにかみながら話した。



片流楢さんの事を語る時の奥さんは、
とても優しい声だった。


言葉の端々から
信頼や愛おしさが滲み出ていた。


何だかそれだけで、
片流楢さんへの無償の愛を感じた。


僕は少しでも後妻業を疑った事を
恥じていた。





そんな時、

奥さんは急に
バチッと電源が切れたように話を止めた。


そして、黙ったまま
斜め上の壁しかない空間を見つめた。


僕と由依さんは呆気に取られ、
思わず顔を見合わせた。





少しすると奥さんは
何事もなかったかのように立ち上がり、


「ではこれで失礼いたします」


と言い、僕らにペコリとお辞儀をした。



そして、
くるりと僕らに背を向けたのだが、
その後ろ姿に驚いてしまった。





奥さんには尻尾が生えていた。


白く艶やかなその尻尾は
ゆらゆらと揺れていた。



そこで僕はようやく
この婦人が“誰”なのかがわかった。



彼女に初めて会った日、
僕は彼女を抱きかかえた。


あの日の彼女は、
タイヤの輪の中で
怯えたようにうずくまっていた。


大好きだというおやつをあげると
警戒しながらもペロペロと舐めてくれた。


たしか、故障したインターフォンの音に
驚いて逃げ出してしまったんだ。



そうか、白猫のユイさんは
僕の事を覚えていてくれたんだ。





「あの・・ユイさん、
    長生きしてくださいね」


僕がそう声を掛けると、
ユイさんは僕らの方に振り返って、


「はい、そのつもりです」


と言い尻尾を引っ込めた。


そして、
舌をペロッと覗かせ
茶目っ気のある笑顔を見せた。



「かつお節、ありがとうございました。
    あと、私も由依って名前なんですよ」


由依さんがそう言うと、
ユイさんは、


「良い響きですよね“ゆい”って。
    私はとても気に入っています。
    でも、実のところ
    名前はどうでもいいんです、
    おまけみたいなものですから。
    私は、ご主人の側にいられれば
    それで幸せなので」


と言い微笑んだ。


由依さんは、


「そうですか・・・」


と言うと、少し視線を宙に浮かせて
遠くを見ているようだった。



たぶん“あの事”だろう・・・










僕らはソロソロと歩く
ユイさんの後ろ姿を見送った。


猫がお礼に来るなんて、
不思議な事もあるものだ。



猫が頼りにしてくる探偵事務所。


僕が働いているのは、そんな職場だ。


この先も僕はずっと探偵でいよう。


ユイさんが事務所に来てくれた事で、
僕の決意は揺るぎないものになった。





「猫ってさぁ、化けるんだねぇ」


由依さんは感心したように言った。


そして、彼女は空を見上げると
グゥーと背伸びをした。



「明日のおにぎりの具は
    おかかで決まりっ!」



「本枯削り節って美味しいの?」


僕がそう聞くと
由依さんは笑いながら言った。


「舌バカのアンタにはわからないかもね」







事務所の中に戻ると
由依さんは椅子に腰掛け
少し首を傾げた。


「どうかした?」

と聞くと、


「白猫さん人間に化けてたでしょ、
    あの姿に似た人を
    どかこで見た気がするんだけど、
    どこで見たんだろうって思って・・・」

と彼女は言った。



由依さんもなのかぁ・・・



「実は、僕もなんか
    見覚えあるんだよねぇ・・・」



これまでの依頼人の中に
似ている人がいたかもしれないと
回想してみたが、
まったく見当がつかなかった。


もしかしたら、
よく行くスーパーやファミレスの店員に
似ているのかもしれない。


そう思っていたら由依さんが、

「あっ・・・」

と言い僕を見た。


その瞳はやけに冷ややかだった。



え、何なの・・・



「思い出した・・・?」


僕が恐る恐るそう聞くと、
彼女はニコリと微笑んだ。


だけど、目だけは笑っていなかった。


「ん・・・うんん」


彼女はそう言うとマグカップに
インスタントコーヒーを入れた。


あの微笑みは、
たぶん思い出したのだと思うのだけど、



なぜに言わない・・・



「え、思い出したんじゃないの?」


僕が聞いても彼女は、
「ん~」とか「別に」とか、
そんな事を言って
はぐらかしているように思えた。



「気になるって、教えてよ!」


それでも彼女は
なかなか教えてくれない。


僕があまりにしつこく聞いたからか、
彼女は軽くため息をついた。


そして、


「自分の胸に手を当てて、
    よく考えてみたら」

と言いマグカップの湯気をフゥと吹いた。



それはどういう意味なのでしょう・・・



由依さんの態度がよくわからず
僕はモヤモヤしていた。



「お願い!ヒントちょうだい」


僕は一刻も早く
このモヤモヤを解消したくて
両手を合わせた。


「今、知らなくてもいいでしょ。
    いずれ気づくと思うし・・・」


彼女はそう言ったけれど、
僕はヒントをねだった。


そうすると彼女は、
またもため息をつき、
ようやくヒントを出してくれた。



「ソファーとクッションの間」



何そのヒント・・・



僕は、由依さんの方をチラチラ見たが、
彼女は表情ひとつ変えず
コーヒーを飲んでいた。



ん・・・もしかして僕の部屋か?



何だかとても気になって
しょうがなかった。



「ちょっと二階行ってくる」



僕はソワソワと事務所の外階段を上がり
二階にある自宅へと戻った。





ソファーとクッションの間・・・



最近ろくに掃除してないなぁ、
なんて思いながら
クッションを退かしてみた。


すると、ソファーの隙間に
DVDケースが押し込まれていた。



悪い予感がした。



自分の部屋なのに、ビクビクしながら
そのケースを取り出した。





OMG!?



なぜ由依さん知ってるの・・・





それは、行方不明になっていた
アダルトビデオだった。



悪い予感というのは、
どうしてこんなによく当たるのだろう・・・



頭の中でPornが、
ポーン、ぽーん、とこだました。



AVのジャケット写真を見ると、
そこに写っている女優さんが
白猫が化けていた“あの人”に
そっくりだった。



どうりで見覚えあるわけだ・・・



嗚呼っ!?



由依さんは気を使って
あえて言わないでくれたんだ・・・


由依さんの心遣いを無にしてしまった。



あんなにしつこく聞かなきゃよかった・・・





しかし、
今更そんな事を思っても、もう遅い。





数回深呼吸をしてから
一階の事務所に戻った。



ドアを開けると、
もう冷房なんて効かせていないのに
ツーっと冷たい空気が肌に触れた。


僕はとりあえず笑って誤魔化した。


由依さんも笑った。


しかし、その微笑みが無機質で怖かった。



“パリンッ”と薄氷が割れるように、
僕の心は音を立て砕けていた。





寒い・・・





本日、事務所を開けてから
まだわずか一時間ちょっと。


僕は、今日一日を
どうやって過ごせばいいのだろう・・・





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次回、第10話より
シリーズ完結編に突入します。


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