僕は、「いや、まさかぁ・・・」
なんて独り言を口にしていた。


これまでの僕の勝手な妄想と
現実の合わせ技が、
まさか現実一本なのかもしれない。


正直、動揺していた。


だけど、“かもしれない”ではなく、
“そうであって欲しい”という思いが
強かった。


無意識のうちに体が動いた。


そして、
僕は何故かスーツに着替えていた。



この勢いに任せて、
FM局に行ってしまおう!


着替えたなら
そのまま仕事に行けばいいじゃないか!!


ほら、それだと一石二鳥だろっ!!!





・・・・・って何がぁ!?



おい、何やってんだよ、
ホント落ち着け自分。



いや、でもな・・・



やっぱ確かめなきゃ!


KEYAKIさんが
平手さんである可能性がある限り
確かめなきゃ!!


今の気持ちのままで
海外赴任なんてできない。


確かめるだけだ、簡単だろっ!!!








気がつくと僕は
いつもの出勤スタイルで
玄関の戸締まりをし、
ロードバイクを担いでいた。


僕の住んでいるマンションは
単身者が多いため
割と普段から静かだ。


だけど、今は深夜ということもあって
一段と静かに感じた。


だから、
エレベーターの稼働音が
やたらとうるさく聞こえ
申し訳ない気分になった。



エントランスを抜け外に出ると
少しひんやりとした風が頬を撫でた。


人通りも車通りも全くなかった。


斜め向かいにあるコンビニからは
煌々と光が漏れていて、
そこだけが正常に時を刻んでいるように
思えた。


何だか僕一人だけが平静を失い
破茶滅茶に打楽器を鳴らしているようで
恥ずかしくなった。


でも、その恥ずかしさを上回る期待が
僕の背中をグイグイ押していた。





あのラジオ番組を放送している
FM局の場所なら知っている。


職場から徒歩でいけるカフェの
真向いにある。



僕は街灯の下で腕時計を確認した。


午前三時を丁度過ぎたところだった。


ここから職場まで急いで漕がなくても
おおよそ二十分程で到着する。


この時間帯なら
もっと早く着くかもしれない。


放送終了の午前四時までには
確実に間に合う。


それに、
時間に少し余裕があるってことは、
到着してから気持ちを落ち着かせる時間を
確保できるってことだ。


よし行こう!



僕は意を決してロードバイクに跨がった。


鼓動は相変わらず騒がしかった。


けれど、
静寂に包まれながら
夜風を切って進むのは新鮮だった。










活動を止めた街は
ゆっくりと呼吸をしていた。


ほとんどの店の看板照明は消え、
見慣れた景色は部分的に街灯と
信号機の点滅に照らされながら
眠っていた。


車はそんな眠りを無視して
ヘッドライトをギラつかせ
猛獣のように走り去って行った。


通い慣れた道にも
まだまだ知らない顔があるようだ。





知らない顔・・・





幾度となく通った道でさえ
知らない面があるというのに、
僕は彼女の、
平手さんの一体何を知ってるんだ・・・



同じクラスだった。

たまに一緒に帰った。

縁日行った。

一度だけ手を繋いだ。


それだけじゃないか・・・





僕は今、
勢いに任せて動いている。


でもこれってただの自己満足だろ。



ラジオパーソナリティの声が
平手さんの声に似ている、
それだけのこと。


さっきのトークだって
リスナーのメール内容に合わせて
話をしただけだし・・・



それに、縁日デートの思い出なんて
結構みんな似通ったもんじゃないのか?


しかも、
“ワタナベ”くんって
全国に何人いると思ってんだよ!?


高校の時のクラスにだって
僕の他にもう一人
“ワタナベ”くんがいたじゃないか。


性格のいいモテ男“渡辺” くんが。


たぶんクラスの女子の半分以上は
“渡辺”くんに好意を寄せていた。


可能性を考えたら
平手さんはそっちの“渡辺”が
好きだったんじゃないか?



僕とはただの友人、
若しくはただのクラスメイト・・・


そうだよ、
だって付き合ってないし、
告白しそびれてるし・・・




自分でもわかっていたはずだ、
あれはデートじゃないって・・・


デートしたのは渡邉じゃなくて、
渡辺なんじゃないのかっ!?





KEYAKIさん、
貴方の話の中に登場した
“ワタナベ”くんというのは、
“渡邉”?それとも“渡辺”?


まさか、渡邊とか渡部とか綿鍋とか・・・



うわぁ・・・



僕の可能性がどんどん薄らいでいく・・・





いやいや、


端から可能性なんて
なかったんじゃないの・・・





あれ・・・





そもそも、
僕がいま考えてる事って
KEYAKIさんが平手さんだった
っていうのが前提だよね。


じゃないと成立しないよね・・・




あっ、
だから確かめに行くのか・・・



けれど、
こういう場合って生放送中に番組宛に
メールでも送ればよかったのかな・・・?


今更だけど・・・



例えば・・・



突然、私的なメール失礼します。

三角学園で二年C組だった渡邉です。

KEYAKIさん、
もしかしたら同じクラスでしたか?

さっきのワタナベくんって
僕のことですか?

僕は当時同じクラスの
平手さんという人と縁日に行きました。

KEYAKIさんは平手さんですか?

もしそうなら、
生放送中に何かしらの合図をください。

僕はあなたが忘れられません。








・・・って、キモッ!?


キモいよ、

キモ過ぎる・・・


これじゃあまるで
ストーカーじゃないかっ!?


片想いを膨らませ過ぎて、
挙句の果てに妄想と現実を混同した
ヤバい奴だよ・・・





ついさっきまで無駄にあった自信が
どんどん無くなっていった。


体がズンズン重たくなり、
ついにはペダルを漕ぐ足が
止まってしまった。



まったく
僕は何をやってるんだ・・・





大型車両がすぐ脇を通過し地面が揺れた。


その振動は僕の爪先を伝い
頭の天辺まで届いた。


鼓動の早鐘は途切れ
錆びて緑青が纏わり付き、
今にも落下しそうになっていた。


彼女への気持ちは冷めていないのに
無理矢理クーラーボックスに詰め込まれ
冷却されている感覚だった。


寒くて、苦しくて、進めなくなった。



悔しいのか、悲しいのか、
惨めなのか、呆れてるのか・・・



今の自分がどれに当てはまるのか
よくわからなかった。





自販機という名の誘蛾灯で
小虫が戯れていた。


僕はそれを横目に見ながら
ロードバイクから降りた。


そして、
迷子のように立ち尽くしていた。



そんな僕に対して平手さんは
優しく笑いかけてくれた。


妄想だってわかっている。


けれど、この妄想に僕は何度も救われた。





確かめるなんて野暮なんだろうか・・・



甘酸っぱい思い出は、
そのままにしておく方が
幸せなんだろうか・・・





街灯が辺りを明るく照らし
視界は良好なのに、
僕の心は暗がりの中に
迷い込みそうだった。


すぐそこには、もう会社が見えていた。



ここまで来ておきながら・・・



心のままに行動に移したことを
後悔していた。







格好悪ぃ・・・





勝手に動いて、
勝手に恥ずかしくなって、
勝手に落ち込んだ。


それでも僕の脳裏には平手さんが
鮮明に映し出されたままだった。


不思議だった。



そんな僕に話しかけてくる人がいた。





(恥ずかしいなんて思うな、
    確かめるんだろ!)



それは、もう一人の自分だった。



(それりゃ確かめたいに決まってる)


僕は即答した。



でも、確かめたいという思いだけで
突っ走っていいんだろうか?


そんな迷いが生じていた。



すると、心のままの自分と
大人なフリをした自分が
言い合いを始めた。



(海外に行く前の恥は掻き捨てって
    よく言うだろ!)



心のままの自分が
訳の分からない事を言った。



(それを言うなら、
    旅の恥は掻き捨てだろがっ!
    今の状況で使わねぇだろ、
    その慣用句。
    意味わかって言ってんのか、
    コラァァ!!)



大人なフリをした自分が
妙なテンションでツッコミを入れた。


けれど、そんなツッコミには動じずに
もう一人の自分は言い返してきた。



(わかってねぇよっ!
    でも、好きなんだろ、平手さんが!!
    だったら恥も外聞も捨てて
    確かめてこいっ!!!
    お前は、このまま海外に行ったら
    一生後悔すると思って
    今ここにいるんだろ。
    どうせ後悔するなら、
    確認してから後悔しろよっ!)





僕は何も言い返すことができず、
ただ口唇を噛んだ。



鼻から息を吐き、目を閉じると
風向きが変わったのがわかった。


僕の背後からは
真夏の夜のような生ぬるい空気が
覆い被さってきていた。


目を開けると視界にぼんやりとした
赤い明かりが入り込んだ。


それは次第に鮮明になっていった。


赤提灯だった。




何となく見覚えのある景色が広がった。


すると、どこからか
ソースの香ばしい匂いが漂ってきた。


辺りは急に活気に溢れ、
甚平や浴衣姿の人でごった返した。


目の前には
半袖Tシャツにジーンズ姿の
僕が突っ立っていた。




あの日の僕だった。





僕は左手を強く握り締めていた。


さっきまで
彼女と繋いでいた左手を・・・





(カッコ悪ィ・・・)



僕の心の声が聞こえた。


その声は、ハウリングを起こした
マイク音のように鼓膜を叩いた。


僕は声を発することも、
体を動かすこともできなかった。


ただ、とぼとぼと歩く
あの日の自分の背中を見送った。







あの日の自分が遠ざかるにつれて
提灯の明かりは次々に消えていった。


そして、辺りは徐々に暗くなった。


すると、また風向きが変わった。



今度は前方から
少し埃っぽく冷たい風が吹いた。




風を感じていると
一瞬で暗闇に包まれた・・・


かと思えば
急激に眩しくなり僕は目を細めた。


その途端、
鼓膜を引き裂くような爆音が聞こえた。



目を見開くと、
重低音を響かせた車高の低い車が
ハイビームで爆走していったところ
だった。



僕は呆然とその場に立ち尽くした。



今の僕は、あの日の僕だ・・・





自分で格好悪いってわかっている。


けれど、
実際はそれを認めたくなくて、
必死で抑え込んで
表に出さないようにしている。


だから本当の想いを
伝えたい人に何も伝えられていない。





(恥も外聞も捨てろ!)


そう言ってるのは僕自身だ。


そんな事わかっている。





(お前はいつも自分に抵抗してばかりだ)



うん、それもわかってる。



(たまには自分に従え、自分に抗うな)



ああ、その通りだ。


そうすることで一歩も二歩も
先に進めることだってあるかもしれない。





「心のままに行け」



そう呟いたら
バラバラになっていた自身の心が
本体に戻ってきたような感覚だった。



格好悪くたっていい、
恥をかいたっていい、
それが恋ってもんだろっ!





腕時計を見ると午前四時になっていた。


放送は終わったばかり、
まだ間に合う、大丈夫だ。


僕は迷わずロードバイクに跨がった。


ペダルを漕ぐ足には
しっかりと力が入った。


あの日の背中を丸めた僕を
追い掛けるように進んだ。


漕げるだけ漕いだ。


会社を通りすぎ、
カフェを通りすぎ、
横断歩道を突っ切った。


FM局の真ん前で
急ブレーキをかけた時は
息が上がっていた。


息を整えていると
職員通用口から数人出てきた。


目を凝らしてよく見たが
平手さんらしき人はいなかった。






僕はロードバイクから降りると
花壇の縁に腰掛けた。


家を出た時は
深い群青だった空の色は薄くなり、
明かりを灯さなくても
花壇に咲く花の色が識別できた。




僕は時間を確認したくなかった。


だけど、暫くすると
物流業者のトラックが何台も
滑らかに交差点の向こう側へと
消えていった。


看板の上では
したたかそうなカラス達が
活動前のミーティングを始めた。


この街は、いつもこんな感じで
眠りから覚めていくのだろう。



淡々と時間が経過していくのがわかった。





彼女を確認できなかったら・・・



全くの別人だったら・・・



その時は、
本当に縁がなかったということだ。


きっぱり諦めるしかない・・・




その時だった。




「お疲れ様でした」 と
少し遠くの方から声が聞こえた。


僕の体はその声に過剰反応を示し
まるでバネ仕掛けの玩具のように
立ち上がっていた。


目は無意識に声のする方向を探した。


脚は3Dポリゴンみたいにカクカクして
バランスを保つので精一杯だった。


なんとか踏ん張って地面を踏みしめた。


手汗をかいているのがわかり、
ポケットに一度手を突っ込んだ。



そんな事をしていると、
視界に人を型どったような
暖かな光を捉えた。


でもそれは光でははかった。


紛れもなく人だった。



僕は一瞬
呼吸するのを忘れた。



記憶の中の髪型とは違うし、
顔はだいぶシャープになっている。


けれど、
薄暗がりのなかでもわかるくらいの
澄んだ瞳は当時のままだった。



瞬きを繰り返して確認する必要は
なかった。


間違いなく平手さんが
そこにはいた。



僕は(落ち着け、大丈夫だ)と
自分に言い聞かせた。


そして、
ありったけの力を振り絞って
彼女の名前を叫んだ。





「平手さん、平手友梨奈さん」





彼女は足を止め
驚いた表情で僕を見ていた。





「あの・・・渡邉です。ラジオ聴きました」


そう言うと彼女の表情が少し和らいだ。





「ワタナベくんって、僕のことですか?」


僕の質問に彼女はコクッと頷いた。



その瞬間、
憑き物が取れたような感覚を覚えた。


背筋がしゃんと伸び肩が軽く感じた。


カクカクのポリゴン脚も元に戻っていた。



ただ、頬は緩んでいた。

もう、どうしようもないくらい・・・



必死で照れ笑いを隠そうとしたけれど
無理だった。


僕は心のままに笑っていた。


すると彼女は、あの日の様な
はにかんだ笑顔を見せてくれた。



僕はこんな日が来ることを
ずっと待ち焦がれていた。



あれから、
多少なりとも年齢を重ねてきた。


だから、変わった部分は沢山ある。


それは当然のこと。


だけど、心の真ん中は
いい意味で変わっていなかった。



僕は彼女に返したい言葉があった。


それは、
さっきラジオ番組の中で
彼女が僕に語り掛けてくれた言葉・・・








「平手さん、僕も元気です」















~~~~~~~~~~~~~~~~~















午前二時の五分前。


僕の心は踊り始める。


カーテンを半分開けると
暖かな月の光が部屋に射し込んだ。


その光は、テーブルに置いてある
フォトフレームを優しく照らした。


僕はそのフォトフレームに入れてある
写真を見つめた。


毎度こうなるとわかっていながらも、
今日もまたニヤニヤが止まらなくなった。


逸る気持ちを抑えようと水を一口飲んだ。


そして、椅子に腰かけると
時計とにらめっこをした。


自身の鼓動がなんとも騒がしい。



もう少し待てば午前二時、
日本は午前十時。


僕と彼女は、
この時間に待ち合わせをしている。





あれから二年の月日が流れた。


再来月、僕は日本に帰る。


そうしたら、
本当に彼女と待ち合わせできる日が
やってくる。


縁日に行こう。


そう彼女と約束している。


その時はもう
繋いだ手を離したりしない。


だから、
その日がくるまで、声だけのランデブー。








電話を片手に軽く深呼吸をすると、
ほんの一瞬だけ静寂に包まれた。


すると、彼女の声が聴こえた。















~~~~~~~~~~~~~~~~~















そのラジオ番組は、
毎回こんな風に始まる。



(みなさん、こんばんは。
    午前二時になりました。
    今日も午前四時までの二時間、
    お付き合いくださると嬉しいです)


番組はリスナーからのリクエスト曲と
ラジオパーソナリティの何気ない話で
進行する。


実にシンプルで淡々としている。


そして、毎回こんな風に締めて終わる。



(お時間になりました。
    それでは、また
    午前二時にお会いしましょう。
    お相手はKEYAKIでした)








ーーーーーーーおしまいーーーーーーー


「2AM Rendez-Vous」をお読みくださり
ありがとうございました。


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