その日は、朝から雨が降っていた。
草木に潤いを与えるような、
花がひと息つくような、
そんな静かな雨が降っていた。
午後になっても
依頼人が来る気配はなかった。
事務仕事を済ませたら
今日は早めに切り上げよう、
なんて話しを由依さんとしていた。
そんな時、その電話は掛かってきた。
相手は阿多羅布(あたらっぷ)温泉旅館の
番頭さんだった。
一昨日、鉄郎さんが亡くなったという。
教会のチャーチチェアに腰掛け、
穏やかに昼寝でもしているかのような
最期だったようだ。
老衰だった。
手にはどこからか摘んできた
ポピーの花が握られていたそうだ。
あれから一ヶ月ほど過ぎていた。
志田さんがあの後、
どんな言葉でお別れを言ったのかは
わからない。
けれど鉄郎さんは
その言葉を素直に受け入れたという。
鉄郎さんは、
志田さんが帰ったあと何度も
「“兄ちゃん”に会わせてくれて
ありがとう」
と感謝を口にしていたらしい。
番頭さんは、鉄郎さんにとって
あの選択が良かったのか悪かったのか
わからないと言った。
自分のただの自己満足でしかなかった
のかもしれない、とも言っていた。
僕は番頭さんに
どんな言葉を掛けたらいいのか
わからなかった。
僕が受話器越しに黙ってしまうと、
番頭さんは言葉を詰まらせながら
ある話しをしてくれた。
それは・・・
今、阿多羅布村は
とあるアニメの影響で
聖地巡礼の観光客が増えている。
僕らが志田さんを探しに訪れた時も、
村唯一の温泉旅館が満室になっていた。
そのアニメの原作漫画を描いた人の
ペンネームは“あたらっぷ”というのだが、
その“あたらっぷ”とは、
なんと番頭さんのことだという。
番頭さんは鉄郎さんの三男で、
村の温泉旅館に勤めるまでは
漫画家として活動していた。
デビューしたものの
ヒット作は生み出せず、
絵は上手いがストーリーが面白くないと
扱き下ろされた。
連載が打ち切りになったのをきっかけに
漫画家を辞めて故郷に戻ったのだそうだ。
当時の番頭さんはドロップアウトして
完全に腐っていたという。
何もせずに
毎日酒ばかり飲んでいたそうだ。
そんな彼に父の鉄郎さんは、
「描きたくなったら
また描けばいい」
と声を掛け、
温泉旅館の働き口を
見つけてきてくれたという。
最初は旅館で働くのは嫌々だったらしい。
都会で漫画家として成功することを
夢見ていたため、
阿多羅布村での生活は
平凡で地味で退屈に感じていたという。
しかし、宿泊客が
来た時よりも穏やかでいい顔をして
帰って行くのを見ているうちに、
田舎の村にしかない魅力に
気がついたのだそうだ。
それに気づかせてくれた
父親の鉄郎さんには、
感謝してもしきれないと言った。
鉄郎さんが村長を引退した頃、
番頭さんは村と鉄郎さんに
何か恩返しがしたいと考えた。
そして、村の景観を活かした
漫画を描くことを思い付いた。
それが一番自分らしい恩返しの仕方だと
思ったという。
働きながら休みの日などを利用して
漫画を描き溜めていったらしい。
満を持してWeb漫画の投稿サイトに
投稿したところ、
あれよあれよという間に書籍化が決まり、
昨年ついにはアニメも制作された。
あまりの反響の大きさに
描いた本人が一番驚いたという。
けれど、“翠の道”を描いたのはマズかった
と言い番頭さんは笑った。
僕は、
「鉄郎さんの愛した村を
あんなに素敵な漫画にしたんですから
充分恩返し出来ていると思います」
と番頭さんに伝えた。
すると番頭さんは、
「そう言っていただけると嬉しいです」
と鼻を啜りながら言った。
僕と由依さんは
事務所に戻ってきてから
その漫画を読んだ。
美しく繊細な絵に、
ほのぼのとした話で
心が温かくなる漫画だった。
主人公はたぶん鉄郎さんだ。
メイン登場人物には
“兄ちゃん”のシンさんや
奥さんのハナさんらしき人物も
出てきていた。
由依さんはその漫画を読んだあと、
こんな事を言っていた。
鉄郎さんたちは、
この漫画の三人みたいに
たぶんもっと笑い合いたかったと思う。
だから番頭さんは、
せめて漫画の中だけでも
鉄郎さんをシンさんとハナさんに
もう一度会わせてあげたかったのかな?
この漫画の中には
戦争で失われてしまった
本来あるべき三人の青春が
描かれているような気がした。
そして、漫画の三人が
少しだけ自分たちに見えた。
アンタと兄さんと私。
産まれた時代が違うだけなのに・・
戦争って嫌だね、と。
僕たちがもし、
鉄郎さんたちと同じ時代に
産まれていたら・・・
そう考えると胸が苦しくなった。
僕には耐えられないと思った。
土生さんの顔が浮かんだ。
本当は自分でも気づいていた。
土生さんに出会ってから、
何となくだけど・・・
でもどこか気づかないふりをしていた。
僕にとっての“兄ちゃん”は
土生さんなんだ。
そしたら、何だか急に
土生さんと飲みに行きたくなった。
だから今日誘ってみることにした。
何を食べたいか聞いてみよう。
美波さんとの馴れ初めを聞いてみよう。
いつもどこで花を買っているのか
聞いてみよう。
土生さんから見た由依さんの事を
もっと聞いてみよう。
たくさん話しをしよう。
受話器を置きながら
僕はそんな事を思っていた。
漫画をパラリと捲ると
一ページに一面花が咲いていた。
ポピーの花が揺れていた。
そう言えば、
さっきの電話で番頭さんが言っていた。
あのケシ畑は近いうちに刈り取り、
来年からはまたポピーを植えるらしい。
その時は阿多羅布村小学校の生徒と教員に
手伝ってもらう予定だという。
村には二つの秘密があった。
一つは優しい秘密。
もう一つは本当に不思議な秘密。
優しい秘密は、
もうその役割を終えた。
でも村の人の心と、
漫画の中では、その秘密が
いつまでも存在し続けるだろう。
だって、
あの漫画のタイトルは
“花いちもんめ”なのだから。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
「その花を贈った時に、
由依にプロポーズしちゃいなよぉ~。
そうすれば、晴れて“お兄ちゃん”って
呼べるわけだからさぁ」
あ、結局こうなるのね。
もう酔ってるし・・・
「平手く~ん・・・んっ!?
そろそろ名前で呼ぶ練習
しておこうかな・・・友く~ん」
いや、そんなの練習する必要ないと思う。
「友君。友くん。友く~ん!
どれがいい?」
ほんの少しニュアンス変えて
言っただけだよね!?
どれも嫌!!
美波さんとの馴れ初めや、
花を贈る話をしてる時は
あんなにスマートで
かっこよかったのに・・・
心の中では土生さんは“お兄ちゃん”だ。
でもそれを口に出して言うのは
もう少し先になりそうだ。
「土生さん帰りましょ」
「・・・ん?あっ、
いっそ呼び捨てにしようか」
まだ言ってる・・・
今はこの義兄弟ともいえない
微妙な関係を楽しんでみるかな。
ね、お兄ちゃん。
~~~~~~~~~~~~~~~~~
僕は今、土生さんに教えてもらった
花屋の前にいる。
さっき、
「ちょっと昼飯買ってくる」
と由依さんに言って事務所を抜けてきた。
花屋は意外に事務所から近い所にあった。
ショーウィンドウを覗いてみるが
なかなか店内に入れない。
僕にとって花屋は
行きつけない場所だから
少しばかり緊張していた。
店の外に置いてある花を見る振りをして、
中に入るタイミングを伺っていた。
そんな時、
花屋の前を通り掛かった人と
肩と肩がぶつかってしまった。
慌てて謝ろうとした瞬間、
僕の脳裏に
とある映像が鮮明に映し出された。
それは、まだ子供の僕と由依さん、
そして土生さんが公園にいる映像だった。
僕は泣きじゃくっていて
土生さんがそれを優しく宥めた。
土生さんが僕の頭を撫でると
僕はニコッと笑った。
そして僕は土生さんに、
「おにいちゃん
ぼく、おおきくなったら
ゆいちゃんのこと
およめさんにする」
と言った。
土生さんは笑顔で、
「そうなったら嬉しいな。
じゃあ、おにいちゃんと
約束してくれる。
大きくなったら由依に
ちゃんとプロポーズするって」
と応えた。
僕は力強く頷き土生さんと指切りをした。
由依さんは、眠そうにあくびをした。
そして僕に向かって
「ゆう、そのやくそくは
おにいちゃんとじゃなくて、
ゆいとして」
と言った・・・
映像はそこでホログラムのように
キラキラと光り消えていった。
今のいったい何だ?
何が起きたんだ!?
でもあれって、
去年のクリスマスに
土生さんに聞いた話だ。
僕と土生さんの約束。
僕が覚えていなかった約束。
ぶつかった人が
歩いて行った方向を見ると、
長身の男が肩越しに振り返り、
こちらを見ていた。
その男には見覚えがあった。
黒のキャップに
カーキ色のモッズコート。
間違いない、
二度も事務所の前を
うろついていたヤツだ。
だがその男、次の瞬間には
まるで幽霊のように消えていた。
男が消えると
僕の頭のモヤモヤも消えていった。
・・・・・ん?
何か大切な記憶が
蘇ったような気がしたけれど、
何だっけ・・・気のせいか?
あ、それより花だよ花。
僕は意を決して花屋に入った。
店内はあちこちで花の香りが漂っていた。
色々と種類がありすぎて
目移りしてしまう。
ポピーを見つけたが、
今はそれはやめておこう。
迷っていると
店員さんが声を掛けてきた。
僕は、大切な人に花を贈りたが
何を贈ればいいか解らないと相談した。
すると店員さんは
贈る相手のイメージや好きな色、
普段のファッションなんかを聞いてきた。
それを参考に花束を作ってくれるらしい。
とりあえず今日が初めてだし・・
僕は予算を伝え
店員さんにお任せする事にした。
店内で待っていると妙にソワソワした。
由依さんは喜んでくれるだろうか?
その前に、何て言って渡そう。
ああ、肝心なことを考えてなかった。
贈るならやっぱり言葉は必要だよな。
「今日も綺麗だね」
そんなの急に言えるわけないし・・・
由依さん、美容室に行ったみたいだから、
「髪切った?似合うね」
って、どんだけ髪切って欲しかったんだ
って事になるし・・・
「毎日お疲れ様」
いやいや、
それじゃまるで勤労感謝の日だし・・・
ん~・・・
あっ
「毎朝おにぎりありがとう」
うん、これで行こう。
言葉選びが落ち着いた頃、
花束ができあがった。
僕は花の種類はよくわからない。
だけど、白・青・淡いピンク・淡い緑
で作られた花束は、
優しげで柔らかい印象を受けた。
仕事モードの由依さんではなく、
ちょっと力を抜いた時の
フワッとした由依さんのイメージに
ぴったりだと思った。
彼女の喜ぶ顔を勝手に想像して
ニヤついてしまった。
会計を済まし花束を抱えて店を出た。
ふいに若竹の香りのする風が
通り抜けて行った。
少し勇気をもらった気がした。
よし、事務所に戻るとしよう。
僕は今日、
大好きな人に初めて花を贈ります。
ーーーーーーーおしまいーーーーーーー
K探偵事務所シリーズ第二弾
「花いちもんめ」をお読みくださり
ありがとうございました。
K探偵事務所シリーズは
第三弾・完結編へと続きます。
準備が整い次第投稿していきます。
その時はまたお付き合いくださると
嬉しいです。
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