教会の小窓から日が差し込み
板敷きの床を照らした。

チャーチチェアは
年季が入っているが
艶々としていて温かみがあった。


この小さな教会は、
今は使われていないとは思えないくらい
手入れが行き届いていた。





番頭さんは一枚の写真を
僕らに見せてくれた。

それはセピア色の写真で
角が少しだけ丸まっていた。



「この人が私の伯父である
    平井シンです。
    親父の“兄ちゃん”ですね」



平井シンさんは
目鼻立ちのハッキリとした美男子だった。


そして驚いたことに
志田さんとどこか似ていた。

正確に言うと、
志田さんが似ているのだけど、
平井シンさんもまた
かなりの猫顔だった。



「親父は志田さんを見て
   “兄ちゃん”が戦争から帰ってきたと
    思ったようです」





志田さんは翠の道の奥まで行き
写真を撮っていたそうだ。

その時、偶然に
山沿いの道を発見したようで、
好奇心を押さえられず歩き出したという。


そして道を抜けた先に
簡素だけれど美しい佇まいの
この教会を見つけた。

写真に収めていたところ、
教会裏で草取りをしていた鉄郎さんに
出くわしたらしい。



その日のお昼頃、
番頭さんが教会に様子を見に来ると
困り顔の志田さんがいたという。


「親父は志田さんの側から
    離れようとしないんです。
    少しでも離れると
   “戦争に行っちゃダメだぁ”と言って
    泣くものですから・・・」


番頭さんは、
そんな父親を見かねて
志田さんに事情を説明した。


そして、少しの間
“兄ちゃん”の振りをして欲しいと
無理を承知でお願いしたようだ。

それを引き受けてしまう志田さんは
かなりのお人好しなのだろう。



志田さんは当然ながら
会社や恋人の理佐さんに
連絡を取ろうとした。

けれど、その時になって
初めてスマホを失くしている事に
気がついたらしい。


どこに行っても
鉄郎さんが付いて来てしまうため
探すにも探せなかったという。

僕らが翠の道で拾ったスマホは、
やはり志田さんの物だった。





ある日、鉄郎さんは
“兄ちゃん”の振りをした志田さんに
村役場を見せてあげると言い出した。


志田さん曰く、
村役場に行くと鉄郎さんの顔付きが
凛々しくなったという。

誇らしげに役場内を
案内してくれたそうだ。

一時的に村長の顔になっていたように
感じたという。



志田さんはその時、
村役場の電話を借りて
唯一暗記していた理佐さんの電話番号に
掛けたのだが、

鉄郎さんがタイミング悪く
村役場前に停車していたバスに
乗ってしまったようだ。


バスが発車してしまった為
志田さんは慌てて電話を切り
バスを追い掛けたという。



それが理佐さんのスマホにあった
村役場からの着信だったのだろう。

また、この事がきっかけで
志田さんの“兄ちゃん”代役の件を
村役場の人が知ることになった。


村役場のAさんとBさんは
村以外の人を巻き込んでいいものか、
と番頭さんに疑問を投げ掛けたという。

ことにBさんはかなりの心配性で
ネガティブ思考の人らしく、
この件を知ってから
落ち着きがなかったみたいだ。

それが理佐さんからの
あの電話の対応不備に
繋がってしまったようだ。


しかもその後に
僕らが志田さんの事を
聞きに来たものだから、Bさんは、
これは由々しき事態になっているのでは
と完全に動揺してしまったらしい。

そのせいで“行方不明”なんていう
要らぬことを口走ってしまったという。

Aさんからの電話で番頭さんは
僕らが志田さんを探している事を
知ったみたいだ。



つまり、
志田さんがスマホを失くして、そこに
Bさんの半端ないネガティブ思考が
加わったことで創り上げられた
“行方不明”だった。








一通り話しを聞くと、
僕は完全に肩の力が抜けていた。


ずっしりと重力が伸し掛かり
どっと疲れが押し寄せてくるのが
わかった。


早く温泉に浸かり
マッサージチェアに腰掛けたい気分
だった。



そんな時、
由依さんが番頭さんに質問をした。



「この村の“花いちもんめ”は
    この教会のケシ畑に近づかせない為に
    鬼の視点が含まれた歌詞になったん
    ですか?」



すると番頭さんはニコッと微笑み
思いもよらぬことを口にした。



「それは後付けなんです。
    実は、この村には
    本当に秘密があるんですよ、
    遥か昔、江戸時代から・・・」



融け出していた緊張感が
またジワジワ戻ってくる感覚だった。



番頭さんは僕らを手招きすると
何故か小さな声で語り出した。








この阿多羅布(あたらっぷ)村には
江戸時代から鬼神様がいるという。


当時の村人は小さな山の祠に
毎日のようにお参りをし
握り飯を供えていた。


江戸時代この村は
年貢の取り立てが厳しかった。

天候によっては飢饉に襲われる事も
珍しくなかったという。

それでも村人たちは
僅かな食料を皆で分け合っていた。

暴動が起こる村もあるなか、
阿多羅布村だけは村の団結により
飢饉を乗り切っていたという。



そんなある日、村で悲劇が起きた。


人買いが村の娘を安値で買い叩き
連れ去ってしまった。

それが二度三度と続き
村の人たちは為す術もなく怯えていた。


ただ村の小さな山の祠に祈りを捧げ、
握り飯を供える事しかできなかった。



そんな中、村にまた人買いが来た。


すると突如、山の方向から風が吹き、
黒く大きな生き物が現れたという。

それには二本の角があり、
赤く大きな目玉を光らせていた。


その生き物は人買いを片手で掴むと、
隣の村まで投げ飛ばした。

そして風のように
山に戻っていったという。



それからというもの、
村に人買いは来なくなった。


村の人たちはその生き物を
鬼神様として崇め敬ったという。


そして、
鬼神様が穏やかに過ごせるように、
むやみやたらと
山の祠に近づかないようにするために、
昭和の始め頃から歌われ出したのが
あの少し変わった“花いちもんめ”だと
いわれているらしい・・・










「この村の人はみんな知ってる
    昔話なんです。
    でも、戦後に鬼神様を見た人がいる
    という話があるので
    本当にいるのかもしれません」



番頭さんは平然とした顔で言った。



人間は、不思議な話や
怪奇的な話が好きな生き物だ。

今のような伝承話は
わりと各地にあるだろう。

だから真に受けることはしなかった。





志田さんが両手を上げて
グーッと背伸びをした。


そして、


「俺は今夜もう一晩だけ
    この教会にいます。
   “兄ちゃん”として
    ちゃんと鉄郎さんにお別れをしますね」


と言った。


それを聞いた番頭さんは、


「嫌な役回りをさせてしまって
    申し訳ございません。
    これまでお付き合いくださり
    本当に感謝します」


と言い志田さんに深々と頭を下げた。





嫌な役回りかぁ・・・





番頭さんがいうには、

鉄郎さんは、
志田さんが現れる前は
鬱状態のことが多かったという。

志田さんと過ごすようになってから、
笑顔が増えたそうだ。



けれど、二度も大好きな“兄ちゃん”と
お別れをするわけだから、
鉄郎さんには残酷なことかもしれない。


志田さんにだって生活がある。

どのみち最後には
お別れをしなければならない。

それを承知で引き受けた志田さんは
やはりお人好しだ。


理佐さんは彼のそういうところも
また好きなのかもしれない。



僕は、そんな事を思った。



そうしたら、志田さんが
僕と由依さんを見ながら言った。



「でも驚いたよ!俺を探してる探偵が
    理佐の友達なんて。確か・・
    土生さんだよね、土生由依さん。
    大学の時、理佐と同じサークル
    だったでしょ。それでそっちが
    幼馴染みの平手くんだっけか・・・」



この村に来てから
色々と驚く事があったけど、
実のところ志田さんの今の発言に
一番驚いていた。


それは僕だけでなく、
由依さんも同じみたいで、


「えっ!?
    お会いしたことありましたっけ?」


なんて言っている。


僕と由依さんは顔を見合わせた。


由依さんの頭の上には、
分かり易いくらい“?”が
浮かんでいるように見えた。


たぶん僕もそうなのだろう。



すると志田さんは


「あれ?一度だけ二人と
    飯食いに行ったこと
    あったはずなんだけど、
    理佐も一緒にさ・・・
    ん・・・俺の勘違いかぁ・・・
    あ、ごめん」


と言い頭を掻いた。


僕らは苦笑いをして誤魔化した。



いま志田さんが言ったような事を
僕は数日前に由依さんに
言われた気がする・・・



探偵なんてやってると
仕事以外の肝心な記憶が
すっぽ抜けたりするものなんだろうか?


ここのところ、そんな気がしている。


しかも、今回は
由依さんまでもが度忘れしていた。


これ職業病ってやつだろうか?

だったら嫌だな・・・



僕がそんな事を思っている間に、
由依さんは理佐さんに電話を掛けていた。


そういえば、
志田さんのスマホは充電切れだった。


由依さんは
志田さんと電話を代わった。


志田さんは何度も何度も
理佐さんに謝っていた。

たぶん一生分の“ごめん”を
使い果たしてしまったのではないか。



依頼に来た時の
理佐さんの涙を思い出した。


“ごめん”じゃ足りない気もした。

ちょっと傍迷惑な人探しではあった。

しかし、犯罪に巻き込まれていたわけでは
なかった。

ちゃんと生きていた。

生きて帰れるからまた二人で笑い合える。

それでいいんじゃないか。



今、僕の目の前には、
願い続けている人がいる。

もう二度と帰ってはこない大切な人が、
生きて帰って来ると
今なお願い続けている人がいる。



記憶は時に残酷だ。


鉄郎さんの優しい微笑みを見ているのが
辛くなった。


嫌でもあの悲惨な時代に
思いを馳せていた。


由依さんの横顔が
やたらと愛おしかった。















教会を出ると
夕日が山を茜色に染めていた。


この場所に辿り着いた時は
毒々しいと思ったケシ畑も、
それが植えられている理由を知ると
可憐で儚く健気な花に見えた。


その時の感情次第で
物の見え方は変わるということを
思い知った。



それにしても疲労感が半端ない。


不安、緊張、恐怖、安心、脱力。


仕事で心の波がここまで激しく
上下したのは初めてだった。



「ねぇ、由依さん・・・疲れたぁ」


僕は相槌を求めたが
由依さんは一点を見つめたまま
反応がなかった。



「由依さ~ん、どうしたの?」


そう聞くと、由依さんは
ゆっくりと山の方角を指さした。



その指を辿ると・・・








そこには、
こちらをじっと見ている
巨大な猿のような生き物がいた。


その生き物は頭に二本の角が生えていた。



全く声が出ず、
冷や汗が背中を伝って行った。





鬼神様・・・





僕と由依さんは
ガチガチになりながらも
その生き物にお辞儀をしていた。





数秒後、
顔を上げるとその生き物の姿はなかった。





「見ちゃった・・・」


由依さんがボソッと言った。



「うん・・見ちゃったね・・・」


僕もボソッとした返答しか
できなかった。







秘密は秘密のままで、
なんて言葉をたまに聞く。


この村の秘密は、
まさにそんな秘密だった。







鬼神様、すみませんでした。

貴方と貴方の大切な人たちの
テリトリーに入ってしまいました。

僕たちはこれで帰ります。

お邪魔しました。





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次回、最終回です。

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