あの先の戦争・・・
まだ戦況が悪化する前のこと、
阿多羅布(あたらっぷ)村には
村人に親しまれていた
イギリス人牧師がいた。
牧師は村の中央から少し離れた場所に
居を構えていた。
妻は日本人だが、
体が弱かったようで既に他界していた。
二人の間には息子と娘がいた。
息子の名前はシン、娘はハナといった。
シンは面倒見が良く背の高い好青年、
ハナは少し人見知りだか賢く美しい少女
であった。
教会の前には一面に花畑が広がっており、
村の子供たちの遊び場だった。
花は牧師が毎年のように種を巻き
丹精込めて育てていた。
その頃は、まだ村は穏やかで
温かい時間が流れていた。
しかし、数年が経過すると
戦争の色が日に日に濃くなり、
村の様子も変わっていった。
村の多くの大人たちは
子供たちを教会に近づけないようにした。
牧師を敵国の人間だとして
目の敵にする人も現れた。
牧師は息子と娘に危害が及ぶことを恐れ、
二人には亡き妻の姓である
“平井(ひらい)”を名乗らせた。
けれど、当然ながら二人は
目鼻立ちが日本人離れしており、
村人に避けられるようになってしまった。
そんな中でも
牧師一家に変わらず接した家族がいた。
その家族は、“法螺井瑞”と書いて、
そのまま“ほらいずい”と読む
珍しい苗字をしていた。
法螺井瑞家の一人息子である
鉄郎(てつろう)は、
シンとハナの二人と仲が良かった。
鉄郎はシンの事を実の兄のように慕い
“兄ちゃん”と呼んだ。
そして、ハナには
ほのかな恋心を抱いていたようだ。
シン、ハナ、鉄郎の三人は
教会の花畑で
たわいもない話をするのが好きだった。
三人で笑い合いながら
話をしている時だけ
戦時下であることを忘れられた。
そんなある日、
教会に憲兵がやって来て
牧師を連行していった。
牧師が諜報活動をしているという情報が
どこからか流れたという。
その情報が敵国出身の人間を
陥れるための罠だと感じた人は多かった。
多くの村人は
牧師が無実であると思っていた。
しかし、憲兵を恐れ
声を上げることができなかった。
法螺井瑞一家だけが
牧師の無実を訴えたが、
全く聞き入れてもらえなかった。
程なくして牧師は拷問の末、
牢で体調を崩し帰らぬ人となった。
その頃、戦況は悪化の一途を辿っていた。
村の若い衆は
ほとんど戦地に行ってしまった。
シンに召集令状が届くのも
時間の問題だった。
彼は父の残した教会と花畑を
守りたいと考えていた。
けれど、その術が見つからなかった。
妹のハナに全てを託すことも考えた。
しかし、それではハナに
重荷を背負わせることにならないか
と心配していた。
シンはその胸の内を鉄郎に話した。
すると鉄郎は、
「教会も花畑もハナも僕が守る」
とシンに約束した。
その約束をした翌日、
シンに召集令状が届いた。
シンは戦地に赴く前に、
ハナと鉄郎に「生きて帰る」と伝えた。
そして、その夏、戦争は終わった。
不幸中の幸い、
村は空襲を免れ
家を失った者はいなかった。
しかし、村から戦地に行った若者は
誰一人として帰って来なかった。
シンも帰って来なかった。
鉄郎とハナは戦後まもなく結婚した。
お互いまだ十代だった。
二人は村で畑を耕し野菜を育てた。
鉄郎はシンとの約束を守るため毎日
汗水流して働いた。
町に出て野菜を売り歩き現金を得た。
それを教会や花畑の維持費に充てた。
ハナも鉄郎が兄とした約束を
大事にしていた。
彼女は繕い物の仕事を請け負い
家計を支えた。
そんな生活が続いていた頃、
鉄郎とハナはある話を聞いてしまった。
それは、ハナの父親である牧師が
戦中に諜報活動をしていたというのは
ある人物の作り話だった、というものだ。
その人物とは、この村の村長だった。
村長は嘘の諜報活動を捏ち上げ
憲兵の耳にその話が入るようにした。
その見返りとして
排外主義の団体から金を受け取っていた。
鉄郎とハナは怒りと憤りを覚えた。
しかしそれを
村長に直接ぶつける事はしなかった。
鉄郎はその時、ある目標を立てた。
それは、いずれ
この阿多羅布村の村長になることだった。
村長になり正しい事をして
村を守りたいと思った。
鉄郎自身もそれが
青臭い理想だとわかっていた。
けれど、戦前のように
穏やかで温かい時間の流れる村を
取り戻したかった。
牧師やシンの愛した村を
自らの手で守りたかった。
その一心で鉄郎は動いた。
それから十数年が経過したある日、
戦中から長々と
村長の座に君臨していた男が死んだ。
その男は金に汚く、
多くの人から恨みを買っていた。
ある日、
金の絡んだ揉め事で
ヤクザ者に刺し殺された。
呆気ない最期だった。
村人はその男が死んでも
誰一人として悲しまなかったという。
そんな中、村では若い村長が誕生した。
その村長の名前は
法螺井瑞鉄郎(ほらいずいてつろう)。
鉄郎は本当に村長になった。
その頃の鉄郎とハナは
三人の男の子に恵まれていた。
鉄郎は公私ともに充実していた。
村長になった鉄郎は、
まず村の産業を興す事を考えた。
そこで目につけたのが花の栽培だった。
教会の前に広がる
牧師が作った花畑を参考にした。
結果は大当たりだった。
村の気候も土質も花栽培に適していた。
花栽培が盛んになると、
それまで街に出稼ぎに行っていた
多くの人が村に戻ってきた。
村が生き返っていくようだと
鉄郎は思った。
鉄郎はまだ若かったが
髪の毛は既に真っ白になっていた。
そんな彼を見た村の子供たちは
彼に愛称を付けた。
彼の苗字である
法螺井瑞(ほらいずい)の
“瑞(ずい)”と、
白髪で頭だけお爺さんみたいだから、
お爺さんの“爺さん(じいさん)”を
掛け合わせて、「ホライズィさん」。
響き的には愛称というより
苗字のまんまだったが
鉄郎はそう呼ばれることを
嫌がらなかった。
むしろ村長と呼ばれるより
“ホライズィさん”と呼ばれることを
好んだ。
その愛称は次第に
子供たちから親に広がり、
気がつくと村人全員が鉄郎のことを
親しみを込めて“ホライズィさん”と
呼んでいた。
阿多羅布村は人の温かさで溢れていた。
鉄郎は順風満帆だった。
これからは、
ハナと一緒に過ごす時間を
作れると思った。
そんな矢先、悲劇が起きた。
ハナが突如病に倒れ
そのまま帰らぬ人となった。
その時、鉄郎はまだ四十代後半だった。
上の息子二人は既に独立していたが
末の三男坊はまだ中学生だった。
ハナを失った鉄郎は
外出もままならないくらい気力を失い
一時は村長を辞めようと考えた。
そんな失意の彼を支えたのは
村人たちだった。
戦後の村を盛り立ててくれた鉄郎に
村の誰もが恩返しがしたいと思っていた。
村人は鉄郎に
癒しの場所を作ることにした。
鉄郎が大切に守り続けている
教会とその花畑へと繋がる道は
戦中から手入れがされていなかった。
村人はその道を整備した。
鬱蒼とした竹林に少しばかり手を入れ、
山沿いの道の下草を刈った。
すると、道には
穏やかな風が通り抜けるようになった。
その道は風が吹く度に竹が薫り、
光が射す度に翡翠色に輝いて見えた。
村からその道を
プレゼントされた鉄郎は
“翠の道”と名付けた。
そして、
少しずつ元気を取り戻した鉄郎は、
嬉しそうに翠の道を通り
教会の修繕や花畑の手入れに
出掛けるようになった。
しかし、
この時すでに鉄郎には異変が起きていた。
役場の人の名前を忘れたり、
会議の時間を間違ったりと、
どこか不注意になることが増えていた。
鉄郎は周りの人の勧めで病院を受診した。
彼は若年性の認知症を患っていた。
それでも村人は
彼を村長として慕い続けた。
多くの村人が鉄郎をサポートした。
そんな日々が十数年続いたある時、
事件が起きた。
毎年のように教会前の花畑には
ポピーが咲いていた。
ポピーは鉄郎の大切な人たちが
好きな花だった。
その年もポピーが咲くはずだった。
しかし、畑一面に咲いたのは、
日本では法律で栽培が禁止されている
種類のケシだった。
鉄郎は今年も
沢山のポピーが咲いたと喜んだ。
彼はすでに
花の区別がつかなくなっていた。
鉄郎はケシの種を
インターネット通販で購入していた。
売る側も違法ケシだと知らずに
販売することがあるというから厄介だ。
それからというもの、
教会の花畑には毎年のように
違法ケシが咲いた。
花の種をすり替えても、
季節が来ると
どういうわけかケシが咲いた。
刈り取ろうとすると
鉄郎はパニックを起こした。
「勝手に触るな!!」
「兄ちゃんが帰ってくるから、
それまで僕が守らなきゃ・・・」
「兄ちゃんとハナに見せるんだ」
というような事を
口に出すようになった。
鉄郎は村長のホライズィさんではなく、
戦中の鉄郎少年に戻っていた。
村人たちはケシを刈り取るか、
鉄郎の思いを尊重するか、迷いに迷った。
そして、ケシの花畑を守る事を決めた。
鉄郎に穏やかな余生を過ごして欲しい、
それは村の総意だった。
そうして、
翠の道の奥にあるケシの花畑は
村の秘密となった・・・
「今の話が、
この村にケシの花畑がある理由です」
番頭さんはそう言うと
一度深く息を吸い込んだ。
長い、
長過ぎる・・・
番頭さん、
話が少し長くなると
前置きしていたけれど、
思った以上に長かった。
番頭さんには悪いが
正直始めの方の話しなんて
ぼんやりとしか覚えていない。
でも、
そこにいる白髪の老人の正体は
何となくわかった。
番頭さんは椅子から立ち上がると
白髪の老人の隣まで行った。
「もうお気づきかもしれませんが、
この人が元村長のホライズィさん、
つまり法螺井瑞鉄郎、私の親父です」
鉄郎さんは今はこの教会で
息子である番頭さんや
村の人のサポートを受けて
生活しているという。
この時点で、
ケシを栽培している理由と
白髪の老人の正体、
この二つの疑問は解消できた。
しかし、
なぜ志田さんがここにいるのかが
わからない。
その事を番頭さんに問うと彼は、
「その事も私からお話します。
全ては私の一存でしたことなんです。
志田さんには
本当にご迷惑をおかけしてしまって
申し訳なく思っています。
すみませんが
少しお待ちいただけますか」
と言って
祭壇の奥の方へと行ってしまった。
教会内に沈黙が流れた。
志田さんと目があった。
すると彼は苦笑いをして言った。
「俺、さっきの話し聞くの
二度目なんですよ、
やっぱ長いっすね・・・」
それはお気の毒なことです・・・
僕も苦笑いしていた。
番頭さんは足早で戻ってきた。
その手には古いアルバムらしき物を
持っていた。
番頭さんはそれを捲ると
一枚の写真を取り出した。
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