その道は静寂に包まれていた。
かと思えば風が通り抜け、
竹や笹がざわめいた。
ざわめく度に光が揺れて
一本の道が翠に染まっていった。
僕と由依さんは昼過ぎに
“翠の道”に足を踏み入れた。
写真でも充分に綺麗な場所だと
思ったけれど、
実際に目で見ると感動してしまった。
真っ直ぐな道は、
どこまでも美しい翠が続き
幻想的な空間が広がっていた。
息を呑む美しさというのは、
こういうものなのかもしれない。
そう思わせるくらい
説得力のある美しさだった。
午前中は村の南側の地域で
聞き込みをした。
しかし志田さんの目撃情報等は
全く得られなかった。
この“翠の道”が、
志田さんを探す何かしらの
足掛かりとなればいいのだが・・・
美しい風景に心を奪われながらも
常に不安が頭をよぎっていた。
今の所この道に僕ら以外
人の気配はない。
聖地巡礼に来ていた観光客のほとんどが
今日の午前中にこの村を離れていた。
だからというわけではないが、
村全体が静まり返っているように感じた。
僕らが会話を止めると、
風の音と竹のざわめき、
時折鳥のさえずりが聞こえるだけだった。
今の僕には、
この穏やかな空間が不気味に思えた。
神経を研ぎ澄まし、
見えるもの、聴こえる音、わずかな匂い、
この場の空気感を観察した。
どれくらい歩いたのだろう。
翠の道の入り口が
遥か遠くに小さく見えた。
この道は一体どこまで続くのだろう
というくらい長かった。
歩き続けていると
道幅は少しずつ狭くなっていった。
すると、
これまでの若竹の青々とした匂いに
土の匂いが混ざりだした。
けして嫌な匂いではない。
例えるなら、
手入れの行き届いた庭の匂い
とでもいうのだろうか・・・
その時、風が強く吹いた。
竹がしなるように揺れ、
太陽の光が地面に届いた。
その光を受けて地面がキラキラと
反射しているように見えた。
そのキラキラに近づいてみると
銀色の金具が付いた物が落ちていた。
それは、
バックル付きのケースに収まった
スマートフォンだった。
それを拾い上げ電源を入れたが
既に充電が切れているようだった。
「これ、もしかしたら
志田さんのスマホかな?」
由依さんにそのスマホを渡すと、
彼女はケースをまじまじと見た。
そして、
「このケース、
理佐が持ってるのと色違い・・・
もしかするかも」
そう言って僕を見た。
その目には少し
動揺の色が見えた気がした。
まさか由依さんが動揺してる?
こんなの一緒に仕事をしていて
初めての事だった。
当然ながら、
僕は由依さん以上に動揺していた。
なぜなら、
人命が関わっているかもしれない案件は
今回が初めてだった。
事件性がないことをさんざん願っていた。
でも、今回の案件は
依頼を受けた時点で事件性ありの確率が
ゼロではなかった。
それはわかっていた。
しかし、今頃になって
重量級の重みを感じていた。
僕と由依さんは一度立ち止まり
深呼吸をした。
若竹の香りを目一杯吸い込んだ。
竹林浴とでもいうのだろうか、
心は少し落ち着いた。
でも、頭はグルグル回りっぱなしだった。
僕らは何とか気を取り直し
先へと進んだ。
進むほどに
道はどんどん狭くなっていった。
道が人一人が通れるくらいの幅まで
狭くなった頃、
ようやく小さな山に突き当たった。
竹林はそこで切れており、
その山に沿うようにして道は続いていた。
鬱蒼とした山は熊に限らず、
何かしらの獣が出てきそうな
雰囲気があった。
道はあることはあるのだが、
ほぼ獣道といった感じだった。
道に木の枝やら背の高い草なんかが
せり出していて歩きづらい。
けれど足下は以外にしっかりと
踏み固められていて、
草に覆われているわけではなかった。
・・・ということは、
この場所に人が立ち入ることがある
ということを意味していた。
鼓動が速くなっているのがわかった。
熊は怖い、猪も怖い。
でも、一番怖いのはやはり人間だ。
この状況下では、
獣にしろ人にしろ襲い掛かられたら
一発で殺られてしまうんじゃないか・・・
そんな物騒な事を考えながら歩いた。
無意識のうちに力んでいた。
体がカチコチになり
思いっきり重力を感じていた。
そうしたら、急に視界が明るくなり
開けた場所に出た。
そこはグラウンドほどの広さがあり
一面に花が咲いていた。
そして、
奥の方にポツンと
小さな教会が建っていた。
この場所に咲いている花は
村役場前の花壇に咲いていたものと
同じに見えた。
「ここのポピーもすごいね」
由依さんにそう話し掛けると、彼女は
「・・ん?・・・うん」
と怪訝そうな顔で花に近づいた。
そして、その花を
じっくりと観察し始めた。
僕は彼女の行動を不思議に思い
「どうしたの?」
と聞いた。
すると彼女はゆっくりと振り向いた。
その顔は明らかに引き攣っていた。
「この花、ポピーじゃない。
ケシ・・・ケシの花」
そう言って僕をじっと見た。
「ケシって・・・えっ」
花に疎い僕だが
ケシが何なのかは知っていた。
探偵に成り立ての頃、
色々な本を読んでいた。
その中には薬物に関する本もあった。
たしか、日本では栽培していいケシと
いけないケシがある。
栽培してはいけないケシは、
花が散ったあとの未成熟な実から
“アヘン”つまり麻薬を生成することが
できる。
完全に違法植物だ。
由依さんの表情からはこのケシが
法律的にアウトの方のケシだということを
物語っていた。
血の気が引いていくのがわかった。
阿多羅布村には本当に秘密があった。
この村の秘密というのはたぶんこれだ。
村ぐるみで違法植物を栽培し
秘密裏に売買している。
ヤバい組織なんかとも
繋がりがあるのかもしれない。
この村の“花いちもんめ”の歌詞に出てくる
鬼とは、麻薬を売買する人、若しくは
麻薬その物を指しているのかもしれない。
僕は震える手で
このケシ畑を写真に収めた。
目の前の花が違法植物だとわかると
綺麗な花も妙に毒々しく見えた。
志田さんもこの秘密に
気がついてしまったのだろうか・・・
だとしたら、
もう消されてる・・・
その時、背後に人の気配を感じた。
そして、その気配は声を発した。
「見てしまいましたか」
僕は背筋が凍りついたように
硬くなっていた。
由依さんもその場から
身動きがとれないようだった。
僕らは恐る恐る振り向いた。
そこには番頭さんが立っていた。
僕は思わず
「見てしまいました」
と応えていた。
由依さんを見ると、
(なに悠長に応えてんだ、この馬鹿!?)
というような顔をしていた。
いや、そんな顔されても・・・
この場合なんて応えりゃいいのよ・・・
恐怖心から後退りしていた。
すると番頭さんが慌てだした。
「あっ・・・あの、いや、違うんです!
違うんですって!!
これ、その、理由がありまして・・・
お二人が思っているような事は
神に誓ってしていませんからっ!!!」
番頭さんは顔を真っ赤にしながら
そう言った。
しかし、
このケシ畑を前にして言われても
半信半疑だった。
「理由があるとは、どういう事ですか?」
由依さんが番頭さんにそう聞くと、彼は
「ついてきてください」
とだけ言い歩きだした。
そうやって油断させておいて・・・
なんて事も充分あり得る。
僕と由依さんは
辺りを気にしながら歩いた。
番頭さんとの距離は
かなり空けた状態にした。
僕らは武器になるような物は
持っていない。
いざとなったら、
素手でやりあうか一目散に逃げるかの
二択だった。
番頭さんは、ケシ畑の脇にある細い道を
ズンズン歩いた。
歩みに全く迷いがなかった。
彼はこの場所には
何度も訪れているようだ。
内心どこに案内されるのか
気が気ではなかった。
道はさっきケシ畑の入り口から見えた
教会まで続いていた。
番頭さんはその教会の前で足を止めた。
教会は小ぢんまりとしていて
手入れが行き届いていた。
まるで絵本にでも出てくるような
雰囲気を持っていた。
番頭さんはおもむろに
教会の正面扉を開けた。
すると中には
小柄で白髪の好々爺と
背の高い若い男がいた。
その若い男は、
白のTシャツに
黒のマウンテンパーカー
下はワンウォッシュデニム
靴は茶系のワークブーツ
そして、猫顔・・・
僕は慌てて写真を取り出した。
由依さんと二人で
写真と目の前にいる猫顔男を見比べた。
「・・・志田愛斗さんですか?」
そう聞くと猫顔男は、
「はい」
と返事をした。
志田さんが生きているとわかっただけで
力が抜けそうだった。
でもまだ油断は禁物だ。
それに疑問な点がある。
なぜ志田さんがここにいるのか?
その白髪の好々爺は一体誰なのか?
どうしてケシを栽培しているのか?
今の段階では全く何もわからなかった。
僕らはこの疑問を
番頭さんに投げ掛けた。
すると番頭さんは
一呼吸置いてから口を開いた。
「こらからする話の半分以上は
私が父と村の人から聞いた話です。
少し長くなりますが宜しいですか?」
そう聞かれ僕と由依さんは
一度顔を見合わせてからコクリと頷いた。
それを確認すると番頭さんは話を始めた。
「全ての始まりは、あの戦争でした・・・」
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