早足で歩くと当然ながら
"あの人"との距離が
どんどん近くなった。


あまり近づきすぎて
不審者扱いされたら困るので、
ある程度の距離を保った。


僕は歩くリズムを"あの人"に合わせた。


なんだか尾行しているみたいで
後ろめたさを感じた。


でも、思いがけず
"あの人"の顔を
見られるかもしれない。


そう思うと、
心が踊り鼓動が早まった。


今の僕は、
顔を見てみたいという欲求の方が
後ろめたさを遙かに上回っていた。



志田先輩には、
"あの人"を次に見掛けた時は
レポートを書くなんて
冗談を言ったけど、

いざ本人が近くにいると
あんな冗談は言うもんじゃない
と感じていた。


なんだか
とんでもなく緊張していて、
手汗をかいていた。



秒単位で思いが募り、
それに比例するように
脈打つスピードも早くなった。



マンションが見えた頃には
口の中がカラカラに渇いているのが
わかった。



久しぶりのときめきだった。



正直、久しぶりすぎて
どうしたらいいかわからなかった。





"あの人"がマンションの前で
足を止めた。


エントランス手前の段差を
数段上がると傘を閉じた。



バックン バックン バックン


と僕の耳には自分の鼓動の音しか
聞こえなくなっていた。



傘を閉じながら
空を見上げた"あの人"の横顔は
綺麗だった。



僕は"あの人"に見とれてしまった。



周りの景色はスローモーションに
見えた。



横顔まで別れた"彼女"にそっくりで、

僕は幻覚を見ているのかと・・・・・





って、 え・・・・・





ちょっと待て・・・・・





嘘だろ!? え!?





うわっ・・・・・





えええぇぇー!? マジかっ!?





心では絶叫していたけど
あまりの驚きに声なんて出なかった。


口をぽかんと開け
間抜けな顔をしていたのだと思う。


恥ずかしくなり慌てて口を閉じた。



僕が気になっている
"あの人"は"彼女"だった。



夢にまで出てきた
大好きな"彼女"。


抱きしめたくて
しょうがなかった"彼女"、


長濱さんだった。





無意識のうちに
僕は走り出していた。


でも、いつものように走れなかった。


足がもつれて、
つんのめりそうになった。


それでもなんとか
エントランスまで走った。


エレベーターの扉はとっくに
閉じていた。


静かな稼働音を立てて
上昇しているのがわかった。


僕は無我夢中で
階段を駆け上がった。





4階まで駆け上がった時
ふと我に返った。



ん・・・長濱さん、

何階に住んでるんだ・・・?



僕は階段の踊り場で足を止めた。



闇雲に駆け上がったが
肝心な事がわからなかった。


僕は気持ちを落ち着かせようと
深呼吸をした。


何度も、何度も。



だけど、
それで簡単に落ち着くような
精神状態ではなかった。



ある程度呼吸が整うと、
自分の部屋がある5階まで上った。


とりあえず落ち着け、と
自分に言い聞かせながら
階段を上った。





自分の部屋に帰ると、
いつも通り手を洗いうがいをした。


部屋着に着替えると
冷蔵庫からミネラルウォーターを
取り出しコップに注いだ。


それを飲み干すとソファーに腰掛け
また呼吸を整えた。


電源の入っていないテレビの画面は
黒い鏡の様で、

僕のぼーっとした顔を
写し出していた。





それからの事は
あまりはっきりとは覚えていない。


覚えていることと言えば、



ご飯をレンジでチンした事、

缶詰のタイカレーを食べた事、

シャワーを浴びた事、



くらいで、



カレーが美味しかった、とか、

辛かった、とか、

髭を剃った、とか、

歯を磨いたか、とか、


そういう細かいことは
全く覚えていなかった。



気が付いたら
ソファーに腰掛けたまま
午前3時になっていた。


睡眠時間が
どんどん削られている事に
気が付いた。


僕はベッドに仰向けに倒れると
目を瞑った。


そうしたら、
ようやく眠気が訪れてくれた。


うつらうつらする中でも
僕は考えた。



長濱さんは
このマンションに住んでいる。


それは確定だ。この目で見た。


部屋はまだわからない。


だけど、
直ぐに会える距離にいる。


だったら、
もう少し冷静さを取り戻してから
彼女に会いたい。


今のままだったら
僕は彼女に何も伝えられない。


それだけは避けたい。


出来ればストレートに
やり直したいと言いたい。


そして彼女を抱きしめたい。



これでやっと彼女と向き合える。





僕はたぶん
前向きな気持ちで眠りに落ちた。





夢の入り口で黒猫が鳴いた。





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