朝から雨が降っている。
穏やかで、
どこかしめやかな雨。
僕は雨が好きだ。
今日みたいに、
静かに穏やかに降る雨が好きだ。
しとしと降る物静かな雨で
気持ちが落ち着くことがある。
ゆっくりと地面の埃が
流れて行くように、
僕の心の埃みたいな物も
ほんの少しだけ
洗い流された気になるからだ。
今日は仕事が休みだ。
家で映画のDVDでも観て
のんびりしようと思っていた。
だけど、薬用ハミガキが
そろそろなくなりそうだ。
歯ブラシも毛羽立ってきている。
両方ストックはない。
冷蔵庫も空っぽだ。
どうせ食材を買いに行くつもり
だった。
ついでに日用品も買ってくれば
いいだけの話だ。
実のところ、
こうゆう雨の日は
外に出掛けたくなる。
湿った地面と、
ほのかな土の匂いを感じながら
外を歩く。
結構いいな。
そうだ、
最近買い換えた
新しい傘を持って行こう。
そうやって、
今日前半の予定がだいたい決まった。
マンションの階段は
雨音も聞こえないくらい
とても静かだった。
最近、少々運動不足だから
時間に余裕のある時は
なるべく階段を使っている。
エントランスに行くと、
赤い傘を差した人が
僕の少し前にいた。
その人は
僕と進行方向が同じだった。
僕が見ているのは
その人の後ろ姿だけ。
だけど、何となく
綺麗な人なんだろうな・・・
なんて想像をしてしまった。
その後ろ姿は、
どことなく元カノに似ている
ような気がした。
ダメだ・・・・・
僕はまた彼女の事を思い出していた。
数週間程前の
先輩の結婚式以来、
彼女の残像が度々目の前に
ちらついてしまう。
せっかく会えたんだから
もっとちゃんと話せばよかった・・・
あの時間を
もっと有効に使うべきだった・・・
なんて今更思っても
遅い事はわかっている。
彼女はもう
僕の手の届かない存在になっている。
そんな気さえしてしまう。
これって結構、
重症なのだろうか・・・・・
僕の前を歩く
赤い傘を差した女性が、
花屋の前で足を止めた。
どんな花を買うのだろう?
僕は彼女を横目に
花屋を通り過ぎスーパーへと
向かった。
西側の出入り口から入ると
スーパーは空いていた。
先に薬用ハミガキと歯ブラシを
カゴに入れた。
反時計回りに店内を進んだ。
昼には、
久々にナポリタンを
作ろうと思い立った。
パスタ売場に向かい
ちょっと太めのスパゲティを選んだ。
肉売場と野菜売場も少し覗いた。
ウィンナーと鶏肉、
ピーマンと人参、椎茸を
カゴに入れた。
レジに向かう途中、
店の東側出入り口付近にある
パン屋の方向から
美味しそうな匂いが漂ってきた。
パン屋の壁に大きめの文字で
パンの焼き上がり時間の目安が
書かれていた。
今の時間だと、この匂いは・・・
カレーパンだ。
いいな、カレーパン・・・
昼はナポリタンだと
決めたばかりなのに・・・
気持ちが揺らいだ。
大いに揺らいだ。
精算機で支払いを済ませ
荷物を袋詰めしている際も
迷っていた。
スパイシーな香りが
僕を誘惑してきた。
僕はナポリタンと
カレーパンの間で揺れていた。
そして僕は、誘惑に負けた。
お昼はカレーパンになった。
脳内のもう一人の自分と
夕食にナポリタンを作るという事で
合意した。
カレーパンは揚げたて熱々だった。
僕はカレーパンを2個買い
西側の出入り口から出て
スーパーを後にした。
外に出ると雨は上がっていた。
西の空が明るくなり
薄日が射していた。
花屋の前を通った。
赤い傘の女性はもういなかった。
別れた彼女に
後ろ姿が似ているというだけで、
僕はその女性の事が気になっていた。
同じマンションに住んでいるなら
そのうち顔を合わせることも
あるだろう。
見てみたいな、彼女の顔。
何となく
僕のタイプのような気がする。
何となくだけど・・・・・
でも、後ろ姿だけではなく、
顔とか声とか仕草とか、
そんなとこまで
別れた彼女と似ていたらどうしよう。
絶対思い出しちゃうよな、
彼女の事・・・
って、もうとっくに
思い出してるけど。
それでも、
赤い傘の彼女とだったら
もしかしたら、
新しい恋が始められるかもしれない。
なんてかなり都合のいい事を
考えていた。
そして、ほんの少しだけ心が弾んだ。
そんな時、
ビニール傘を持った少年と
すれ違った。
僕は今でこそ雨の日は
傘を差しているが、
数年前までは
小雨くらいだと傘も差さずに
出掛けていた。
そんな僕に、別れた彼女は
風邪を引いては大変だからと、
自分の予備のビニール傘を
貸してくれた。
結局、僕専用の傘になっていた。
ある日、彼女から
バイトで遅くなると連絡があった。
その日は夕方から大雨だった。
彼女は傘を持って行ってなかった。
僕は彼女が心配で
そのビニール傘を差して
駅まで迎えに行った。
でも、肝心の彼女の傘を
持って行くのを忘れてしまった。
二人して半身ずぶ濡れ状態で
帰ってきた。
彼女は呆れたように、
だけど、優しく微笑みながら
僕の傘に入った。
あんな風にまた彼女と帰れたらな・・・・・
彼女はあの時の事を
覚えているだろうか・・・?
やっぱり、
そう簡単に彼女の事は
忘れられないみたいだ。
腹が鳴った。
彼女を思っても腹が鳴る・・・
何の情緒もないな、おいっ。
あっ、そうだ!
カレーパン、カレーパン。
今だとまだ
温かいうちに食べられそうだ。
僕は早足でマンションの
エントランスに入ると、
駆け足で階段を上った。
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