[火曜日、午後1時20分]
昼を食べ終えると、
分担して後片付けをした。
後片付けが終わると、
図書館組はコピーしてきた資料を
テーブルの上に出した。
すると、小林さんが
少し残念そうな表情をして言った。
「菅井教授は今日大学にはいなかった。
遠方でシンポジウムがあるみたいで
前乗りしたみたい」
「いつ戻ってくるんですか?」
「研究室の人が言うには
明後日だって」
「そうなんですか」
「でも、研究室の人に頼んだら
文献の一部分だけなんとか
コピーしてくれた」
欅坂藩の専門家がよりによって、
こんな時にいないなんて・・・
今、教授に
欅坂藩16代目藩主の御嫡男、
照日成諭(てらひ なりゆ)様が
欅寮にお越しになっています。
とでも電話すれば、
飛んで帰ってきてくれるだろうか?
無理だよな・・・
あまりに非現実的過ぎて、
まず請け合ってもらえなさそうだ。
「とりあえず、いまある情報を
整理してみようぜ」
志田先輩の掛け声で、
図書館組から
話をしていくことになった。
織田先輩、小林さん、長濱さん、
渡邉さんの話をまとめると、
どうやらこういう事らしかった。
僕達の通う三角大学の土地は
どうやら欅坂藩の藩校があった
場所らしい。
その縁もあり大学に隣接して
郷土歴史館が建てられ、
欅坂藩の研究室が置かれたようだ。
欅坂藩にまつわる資料の多くは
もとはこの大学の前身である
師範学校の書庫に
保管されていた。
しかし、
太平洋戦争の空襲によって
欅坂藩の資料の大半は焼失して
しまったようだ。
戦後になってから、
かろうじて焼失を免れた文献や
親交の深かった坂道藩の
資料の中にあった書状などを
譲り受けて、
それをもとに研究が進められて
いったという。
最近になって、
とある古文書コレクターが
高齢になり施設に入所するため
自分のコレクションを
全て大学に寄贈したらしい。
そのコレクションの中に
欅坂藩側用人の日記があったようだ。
その日記に書かれていた事が
昨日、織田先輩と小林さんが
言っていた、
16代藩主の嫡男
照日成諭(てらひ なりゆ)が
総髪だったという事と、
幼名が輝知之進(てちのしん)だった
という事らしかった。
「これがコピーしてもらった
側用人の日記の一部なの」
確かにそこには、
"総髪"、"輝知之進"
と文字が書かれていた。
しかし、コピーからでも
文献の保存状態の悪さが
確認できるくらい
所々虫に喰われ、
かなり傷んでいるのがわかった。
「ほら、さっき昼食前に
てちさんが言ってただろ、
御側係の
友逗洲多聞(ともずすたもん)
って人のこと」
「あ、言ってましたね」
「この日記を書いた人物はその
友逗洲さんなんだよ。
きっと心配しただろうな・・・
ん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
え・・・・・・・・・・・・・・あっ!?」
織田先輩は気が付いた。
僕もこの時、気が付いた。
長濱さんも、小林さんも、
渡邉さんも、志田先輩も、
たぶんこの時になって
気が付いたんだと思う。
僕もみんなもたぶん、昨日から
平静を装っているに違いない。
じゃないと、こんな重要な事を
すっ飛ばすはずがない。
てちさんこと
照日成諭の出現の衝撃はよほど強烈で、
実は未だにテンパった状態なのだろう。
僕達は彼(てちさん)に大事な事を
伝え忘れていた。
それは、
今、てちさんがいる場所は
異国ではなく日本だという事、
しかも、てちさんがいた時代より
約160年程先の
未来の日本だという事を
僕達はまだ彼に伝えていなかった。
当のてちさんは、
「この国は本当に進んでおる。
ワタシの藩の事まで知っている
とは驚きである。
でもかつてこの国でも
戦はあったようだな。
ワタシは戦は好まぬ。
戦は民を不幸にするだけだ」
「・・・そうですね」
まだここが日本だとは
思っていないようだ。
「その、これくたあ、というお方は
この国の学者であるか?」
これくたあ・・・
ああ、古文書コレクターのことね。
小林さんが、やんわりと答えた。
「コレクターは人の名前では
ないんです。収集家のことですよ。
だから、市井の人の中にもいます。
学者である必要はないんです」
「そうか・・・
ならば、その者はどうやって
多聞の日記を
手に入れたのであろうか?
てんで見当がつかぬ・・・」
僕達はさっきから目配せをしている。
みんなてちさんに、
今の本当の状況を伝えるべきか
正直迷っていた。
何かにつけて
異国だと言って喜んだり、
驚いたりする彼を見ていたら、
本当の事を言わない方が
いいような気がしていた。
僕達、現代人6人は、
コクリと頷き合って確認した。
とりあえず今は、
話を進める事にした。
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