んー……今回は“エネルギー”について思ったことを適当に書いとこう……

まぁ“エネルギー”に、なんかいろいろ名称付けたり、方向性とか、俗にいう回路というか……

……本題から脱線した話なんだけど……この間、車(無論、私のではないし、運転してたのも私ではない)がパンクしてスペアに替えたんだけど、まぁ、車の構造的なの(ギア、アクセル、ブレーキ)をチャクラや生命の木みたいに体内にイメージしてみたりするのも現代的な魔術だと思ったり……脱線の本題からも脱線しましたが、車のアレ……タイヤをつけるアレ……ナット?まぁ自動車学校とかで習っていると思うけど、アレを絞める方法は対角に絞めていくんだけど、うん、ペンタクルなんだけど、こんなんでペンタクルについて、なんらかのインスピレーションが働いたり(ついで、ナット?も六角形でヘキサゴンで、それがペンタクルに……で、曼陀羅みたいなものを感じたり……)……等、なんか日常的に変な妄想しまくりです

まぁ、本題の「エネルギー」なんだけど……まぁ、エネルギーっていても、様々なんで、今回は「竜」的なエネルギーというわけで……

まぁ、そんな「竜」とかってのは、神秘的な本にて書かれているので……あくまで、私個人の妄想で話をすると

毎度お馴染みの変換というか

「竜」を「流」という、「自然の流れ」のようなイメージは前から思っていたり、様々な本でも見かけたりするんだけど

「竜」を「留」とも考えられますねー……自然的なエネルギーのわかりやすいイメージとして水から「溜」のほうが良いかな……5年も前から思っていたけど、思うだけで特に……で今まで保留にしてたんだけど……「留」だけに……

「神」の二面性的な話というか……「竜」の二面性というのは「流」と「留」かと……「流」と「留」は対義語なのか?という疑問的な思考はありますが、今はやめとこう……

「流」エネルギーと「留」エネルギー……この二つを上手く使うのが基本かな?と……

まぁ、そんな「竜」エネルギーというか……ちょっと「気」にもふれておこうかなと……

常々、武術的な感じで「気」とはなにか?と考えてます……まぁ、なんか何歩か離れた場所の壺なんかの陶器的なものを、自身では触れずに「エネルギー」みたいなもので破壊する、といったものではなく、「気を打ち込む」というようなやつの妄想なんだけど

まぁ「気」って「念」というか「目的」というか……まぁ、そんな感じで、いろいろ「~である」なんて、やったら、ほぼ全てのオカルト的なエネルギーを「気」とすることができるんで、まぁ、「気」も、そんな感じのエネルギーの一つの名称に過ぎないわけで

まぁ、まずは、ただのパンチ、だたのパンチでも工夫(どのようにすればダメージを大きくできるか)というようにしていくわけだけど、まぁ、そんな工夫が、「ただのパンチ」を「殺人パンチ」まで昇華させるというか、そんなエネルギー……つまり「意」的なもの(「殺す」的な)を「気」みたいな感じなのかなと……というか、もう「ダメージ」=「気」という感じかなと

ま、「かめはめ波」みたいなのは……物理的ダメージは空気なんて媒体じゃアレなんで……物理的になにかを投げたりするというか、ま、なんにせよ、意図的ななにか(人を殺すつもりで石を投げ、当てて殺す的な)をできるようになってこそ達人かなと……

ま、やっぱ「気」といった「エネルギー」の根源は「心」かなといった前回から的な話なんだけど

……まぁ、物理的に人を殺すなら、思念を飛ばすよりも、物を投げるほうが良いという、アレな基本的な話……「思念」といったものを「物理」的に作用される的な……


さて、脱線しまくって、本題から離れていってましたけど

「竜」の「留」的なイメージは「気を溜める」的なので「溜める」といえば、昔、国語の教科書にあった「竜」の三太郎とかいう竜の話……

なにが言いたいかっていうと……エネルギーを溜める必要もあるけど、溜めたままではいけないというか、水とかいったものは、「溜めた」ままだと濁るというか(自然的に多少、蒸発はしますが)……まぁ、溜めても流れはする……だから良いかと

まぁ、RPGのアンデッド的なモンスターを見て……不死の生き物というか死にぞこない的なアレだけど……生命エネルギー的なものが、完全に「留まった」生き物は、あんな風な感じかな……と、まぁ自然エネルギーから離れた「不死」という感じですね、自然エネルギーにある死体は良いから

……んー……やっぱ、無茶苦茶書いて、自分でもなにが言いたいのかさっぱりな……ま、世の中の自然エネルギーを「竜」に変換(イメージ)するというアレな話でした?

P.S

自然的なエネルギーを「竜」として、そのエネルギーを使う「心」のようなものが「神」なのかな……「神」とは「エネルギー」なのか?……ま、個人的な説(妄想)では、「竜」と「神」という別々のエネルギー的なものであり、元を辿れば同じエネルギーみたいなものとも言えるし……ま、こういうのは人それぞれでなんとでも妄想したり後付けなりできるな

今のところ、「神」的な「心臓」……いや「自身」エネルギーを「竜」的なエネルギーにして物に働きかける的な妄想……

ま、エネルギーっていわば「力」ですね、やっぱ
……んー……何故か「こっくりさん」とは、なにか?と今だに考えてしまう……「こっくりさん」に惹かれる人はごまんといますけど……主に思春期的な……或は子供的な……

いや、むしろ、こう「なにか?」と理論を組み立てることにより明確なものになるのでは?……と思ってますので……まぁ「こっくりさん」は「低俗」というか「簡略化されたもの」とか言われたりするので、きちんと理論を組み立てれば、それなりの“魔術”に昇華できると思うというか、今だ「これ」を“魔術”に昇華できてないの?というか……

まぁ「こっくりさん」は、今じゃあ「そこらの雑霊、悪霊、動物霊を招く、低レベル呪術」とか「無意識、潜在意識による自動書記的なもの」、「自己暗示」とか「筋肉の痙攣」とか……

私的には「自己暗示」的なものかなと考えたり……いわば、死霊魔術といったものでの死体や自身(憑依)といったもの(霊媒?)を使った腹話術のようなものの霊媒を紙にしたものというか……

まぁ……個人的に思ったことは……「こっくりさん」の道具で、とりあえず「五十音の書かれた紙」というのは必須道具的で……“喋らせる”為の道具は、「棒を三本ぐらい組み立てたもの」、十円玉とかで……

今回は硬貨で……十円玉が主流みたいな感じで、まぁウィジャ盤の穴のあいたピックのような感じの文字を見る為的に五円玉とか(というか、コインであればなんでもいいとか)……まぁ、十円玉で

……余談、なんかジャンプに掲載された漫画の影響が凄いと思ったり(机を鳥居に見立てるといった)……ぬ~べ~だとかうしろの百太郎だとか、こういった昔のオカルト的な漫画のネタを知らずにネットで広めたり、誇張したり、改竄したりして投稿された話ってどのくらいあるのだろう……なんて

……「こっくりさん」をやる場所の指定で、一人でしてはいけないとか、どこぞの方角に窓を開けないといけないとか、は置いといて……神社だとか十字路だとかがあるんだけど

見立て的な感じで……十円玉っていうのは十字路を顕すことができるな……と

そして、十円玉には鳳凰堂が描かれており……私は、この鳳凰堂と繋げてしまえる……と考えたわけですが……

ま、鳳凰堂は私は詳しくない、むしろ、わからないという日本人としてどうなの?というような奴なんですが……(鳳凰と法皇……ということで一回調べて、一分足らずで除外した過去が……)

鳳凰堂は、まぁ、なにやら阿弥陀如来に関する的な……まぁ、私が注目したのは「西方浄土」、西に極楽浄土がある的なやつなんですが(我ながら、ちゃんと知っとけよって感じ)

こっくりさんのやり方で、まぁ“霊”の来る方角と出る方角なんですが……全部の方角が出回ってるんで(まぁ窓は後付けのようなもんだと思うし)断定はできない……

まぁ……西の窓からだとすると、これ……西方浄土から呼んじゃったり?的な……

……こっくりさんを、こんな理論?で組み立てるとするなら、阿弥陀如来に、きちんとお伺いする……という方法を……

……まぁ「阿弥陀如来」を名乗る雑霊が……というか、ほぼ、この「雑霊」が来る可能性大なんで、もうちょっと神聖的な理論をきちんと組み立てようかと思ったり……

……なんか字的に「こっくりさん」は「虚空蔵菩薩」というような妄想もありますが、鳳凰堂との関連性は……わからず
………………アレから……個人的なことですが嫌な予感的中……というか、まぁ“嫌なこと”なんて日常に普通にあることなんだけですが……まぁ、ちょっと……

と、前置きを終えて

こんなブログでも閲覧してくれる方、お久しぶりです

まぁ久しぶりに書くんだけどネタらしいネタはありません……いつもどおり、個人的に感じたことについて雑記というか戯れ事を

なんといいますか、ちょっと崇拝的な感じで……祭壇を……的で、まぁ「神」の像について……

まぁ、その「神の像」の素材がスタチューだとかブロンズだとか……偶像崇拝というか“偶像”崇拝というか……

と、“心”について、いろいろ考えているわけなんですが……

「“心”は何処にある?」で、心臓とか脳とか肝臓だとか……まぁ、人は脳で思考していますから、“精神”というか思考的だと脳といいますか……

私は“心臓”です、何故かっていうと、思考=“心”や意志=“心”というわけでなく、“心”とは、それらの起源的な……みたいな感じで考えてたり……

んー……「(無機)物に“心”はあるか?」なんて問いもあって……私的な回答は「わからない」……考えようでは「ある」とも「ない」ともできるから……というか、「物」それ自体“心”ではないか、という考えもあったり……考えようでどうとでもなるようなものなんて世の中沢山……いや、私の場合、ほぼ全て……なんで、どっちか片方にしないから混んがらがるというか……

まぁ、今回の話は……“心臓”と“神像”という同音異義(?)で、なんかいろいろと妄想してたり迷想してたり

“神”と“心”については、いろんな方が=してたりとかするような、大体、考えることなんで、まぁ……アレかな……

“神”の“姿”は我が“心”なり……と迷想したり、我は“神”の心臓なり……とかと迷想したり……

神の像(ペンダント)を首から下げて……ちょうど“中心”の上にくるようにしたいものです……昔の映画のような、胸に銃弾を受けて、守ってくれた、なんてことが……

あと、「“神”とはなんぞ?」というような問いと“心”についての問いは……というか、こう、霊的な問いとかは、あれこれ妄想するのが楽しいですね(俗に言うアレの症状かな、当て字とか……)

「心」だとか「神」だとか「霊」だとかって考える方というのは、考えようによっては、そう「考えるもの」は、それらを知覚してないということになるんですが……まぁ、それらの名を名付けてたりして知覚するという固有的なことするのが私(とか、アレな方とか)なんだと……