年越しうどん(notそば) | ナナメ俯瞰から見た僕

年越しうどん(notそば)

今日はいまいち不調で、
空回りするばかりでぜんぜん仕事がはかどらなかった。

なんだかイライラして人(カミさん)に当たりそうになったので、
こいつはヤバいと、あわててニコレットガムを買いに行った。

でも、もうニコチン切れは関係ないと思うんだがなぁ~。

はやく全部終わらして、平穏な日々を過ごしたいね。






さて、大晦日といえば、年越しそばだけど、
僕の家では、子どものころからそばじゃなくてうどんを食べていた。
なぜかというと、僕がそばを食えないからだ。
そう、そばアレルギーってやつ。
好き嫌いじゃなくて、カラダが受け付けてくれないのです。
家族の中でも、なぜか僕だけがそばアレルギーだった。




アレルギーだということがわかるまでは、結構タイヘンだったよ。


子どものころ、僕はいつの間にか、そばが食べられない子ってことになってたんだけれど、
理由は誰もわかっていなくて、まわりも、そして僕自身も、
そばが嫌いなんだろうっていう認識だった。

嫌いって言っても、いつの間にか食べなくなっていたので、味なんか全然覚えていないし、
黒いツブツブが混じった、あの灰色な感じがダメなんだろうってぐらいの感覚だったのだ。




そんなある日、夕食にそばが出たことがあった。
いつものように僕は食べずに残したんだが、
その日は親父の機嫌が悪かったのか、
「全部食べるまで許さん」みたいな事態になっちゃった。

そして、僕は大泣きしながらそばを全部食べたんだが、
そうしたら、その直後にカラダ全体にすさまじい蕁麻疹(笑)。
高熱出してぶっ倒れてしまい、そこで初めて、
こりゃただのそば嫌いじゃないなってことがわかったのだ。
お袋が親父をなじる姿を、今もぼんやりと覚えてるなぁ。


そばアレルギーの子が、そばを食べた後に
のどを詰まらせて死亡、なんてニュースが流れたのは、
この事件からずうっと後のこと。

いやぁ、僕は下手したら親父にそばで(笑)殺されていたかもしれなかったんだよね。
ニュースを見たとき、たぶん、親父が一番ほっとしていただろうなぁ。





で、そばアレルギーだってことがわかったとき、
同時に、ずっと不思議に思ってたこともひとつ解決した。


僕は旅行その他で外に泊まると、
夜、ぜんそくみたいな症状に悩まされることが多かった。
ふとんに入ってさぁ寝ようというときになると、
のどから胸の奥にかけてかゆくなって、ぜぇぜぇしてしまうのだ。

どうしてそうなるのかが全然わからなくて、
僕はいつも外で泊まるとき、夜が怖かった。


…みなさんは、もうお分かりですね?


そう、そば殻の枕が原因だったのだ。


これがわかって以来、僕は旅先の部屋に着くと、
まず枕を触ってそば殻かどうか確かめるのが習慣になった(笑)。
ちなみに、そば殻だった場合は座布団などを枕にします。







そんなわけで、うちでは大晦日には、年越しそばならぬ
年越しうどんが定番になっている。
これは結婚してからも同じ。カミさんはそばOKな人だけど、しょうがないよね。




でも、僕が今住んでいる地域は、
一大うどん文化圏で、そばよりうどんっていうのは、実は当たり前だったりするんだな。

国分寺から小平、東村山、武蔵村山などの一帯は、
昔は小麦の産地で
(というか、米が栽培できなかったので、仕方なく小麦を作っていたらしい)、
農家にはどの家にも必ずうどんを打つ小屋があって、
家でうどんを作って食べるのが普通だったらしい。
「糧(かて)うどん」といって、こっちのうどんは、
ゆでた後、水でしめたうどんを、暖かい汁につけて食べるのが一般的。
これを改良したのが東村山の肉汁うどんで、
素朴な糧うどんに対してパンチの効いた味が特徴だ。
麺は、つるつるっていうより、しっかり歯ごたえがある感じ。
讃岐うどんもいいけれど、これら「武蔵野うどん」もなかなかおいしい。

うちでも、今じゃすっかりこの地元のスタイルに染まって、
家でうどんを食べるときは、
汁うどんより、もっぱらこのつけ麺スタイルのうどんを食べてる。



まぁ「年越しうどん」に限っては、気分を出すために
汁うどんにエビ天か掻き揚げ乗っけて食べるけどね。





ところで、そばってどんな味がするのかなぁ。
無理矢理食べさせられたそばの味なんて覚えてないし、
僕は一生そばの味を知ることなく終わるのだろうか。
誰か、言葉で説明できる人っていませんかね?