今日は、とっても重たい話です。
ネットでも関連する記事を見かけます。
先ずは簡単に「空飛ぶタイヤ」について
原作は、池井戸潤さん。
自動車メーカーのデータ隠しが、、、
長瀬智也さんで映画化されています。
被害者家族にとって容疑者は当然許せない存在です。
容疑者が、社会的地位の高い(高かった)人間で、
高齢者ドライバー。
その中で、容疑を否定。
一般的な報道の通りであれば、責められて当然。
マスコミにとっては、恰好の標的。
ただし、もし「空飛ぶタイヤ」であったらと考えてしまう僕はやは
誤解しないで欲しいのですが、
でも、断言もできないのでは。
断言できなければ何も言えないのであれば、
報道の基準とは、どこにあるのでしょうか?
不安はないのでしょうか。
まさか、
僕のてんびんばかりは今日もどちらにも傾かない。。。
