「ミッドナイト・ジャーナル」(作:本城雅人)、を昨晩読み終わりました。

 たいへんおもしろい小説でした。

 竹野内豊主演でドラマ化もされているので、ご存じの方も多いかも。

 主人公は新聞記者ですが、主人公が事件を解決する訳ではなく(推測に基づいた調査

 はしますが)、警察の捜査情報をいかに取材で引っ張り出すか、そこに新聞社内/間

 の人間関係(競争意識、妬み、因縁等々)がからんでいきます。

 扱われる事件は残酷な連続幼女殺害事件。

 ※ジャーナルは主人公特有の用語:詳しくは原作を読んでください。

 

  ジャーナリズム・・・

    

 

   正義感に溢れていそうで、勇気に満ちていそうで、タフそうで。憧れました。

   沢田教一さん、沢木耕太郎さん、筑紫哲也さん、僕が憧れたジャーナリスト。

   本当に素晴らしい業績だと思います。

   でも、その一報で

    メディアで日々流される多くのニュースショウ、ワイドショウもジャーナリズム?

    「別物でしょう。」と言えれば楽なのでしょうが、明確な境界線が僕には見つからない。

    筑紫さんなんて、敢えてニュースショウのMCを担っていましたよね。

 

    「知る権利」、「報道する権利」、「国民の代弁者」と声高にしゃべり、“世論”と称する

    ものを形成していく。

    そして、流されたコメントを自分の意見のようにインタビューで答える人々。

    見事なまでのループ構造。恐ろしくなります。でも僕自身も流されているコメントに

    よって(肯定も否定も含めて)思考を形成していく。

 

    「知る権利」って本当にあるのかなア。「知られない権利」だってありますよね。

      でも僕自身、視聴するし、読むし、興味がないとは言えないし。

    「報道する権利」って本当にあるのかなア。話題性で報道内容を決めてますよね。

      でも僕自身、難しい話題よりも、センセーショナルで、真新しい話題に目が行く

      のも事実。短絡的ですよね。本当に反省(m。_ _)/

    「国民の代弁者」って本当なのかなア。あなた方に頼んだ覚えはないけどね。

      ここは本当に違うと思う。

      最近はMCもコメンテーターも...しゃべっているのは、最近キャスティングされて

      いない(ごめんなさい)俳優やお笑いタレント、アイドルたち。

      テレビに向かって「お前になんか言われたくなく!。」と突っ込んでしまう。

      <僕自身が末期的なおじさん化状態>υ´• ﻌ •`υ

 

   でも、マスコミがなくなっては困ります。政治家や権力者やお金持ちが勝手なこと

   をして、世の中が何も知らないでは大変です。抑制力、安全弁として必要だと。

 

   報道カメラマンなんてどんなに悲劇的な状況でも写真を撮るんだから。

   と言ってしまえば沢田さんをも否定してしまう。

   新聞記者なんて人が嫌がっていることを平気(ではないかもしれないけど)で書くん

   だから。

   と言ってしまえば筑紫さんをも否定してしまう。

   ノンフィクションライターの多くは他人の苦労をネタにして飯食っているわけで。

   と言ってしまえば沢木さんをも否定してしまう。

   全部を一緒にしては申し訳ないでしょう。と言えばそのとおりなのですが

   では、境界線はどこに?

   僕には見えない。

 

   嗚呼!( _ _ )..........o

   僕のてんびんばかりは今日もどちらにも傾かない。

 

   ps)今度、「大統領の陰謀」についてもお話したいな。